5分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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一ノ倉沢南稜 | 松濤明 | 5分以内 | |
パーティ丹羽(正吉)、松濤昭和十六年六月八日土合(六・〇〇)―南稜テラス(八・一〇〜八・三〇)―一ノ倉尾根のピーク(一四・〇〇〜一四・二〇)―土合(一七・〇〇)テラスに揃ってキジを撃ち、ここでアンザイレンしておもむろに取り付く。 | |||
八ガ岳大門沢 | 松濤明 | 5分以内 | |
松濤明単独昭和十六年八月十一日曇時々雨清里(七・四〇)―大門沢本流(一一・〇〇)―バットレス下(一三・二〇)―リッジ(一三・五〇〜一四・〇〇)―赤岳北峰(一四・二五〜一四・三〇)―清里(一六・三五)甲府で駅弁を買いそこね、小淵沢のチャチなチラシで朝食をしたため、初めから終りまで顎を出した一日。 | |||
再婚 | 牧野信一 | 5分以内 | |
こんな芝居を観に来るんぢやなかつた――と夫は後悔した。 | |||
田舎から東京を見る | 黒島伝治 | 5分以内 | |
田舎から東京をみるという題をつけたが本当をいうと、田舎に長く住んでいると東京のことは殆ど分らない。 | |||
伊賀国 | 近松秋江 | 5分以内 | |
伊賀國は小國であるけれども、この國に入るには何方からゆくにも相應に深い山を踰(こ)えねばならぬ。 | |||
瘠我慢の説 | 石河幹明 | 5分以内 | |
瘠我慢の説は、福沢先生が明治二十四年の冬頃に執筆せられ、これを勝安芳、榎本武揚の二氏に寄せてその意見を徴められしものなり。 | |||
虎杖採り | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
閨秀画家の[#「閨秀画家の」は底本では「閏秀画家の」]伊藤美代乃女史は、秋田の出身であるが、その女史が小さい時、それは晩春の事であった。 | |||
海坊主 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
これは小説家泉鏡花氏の話である。 | |||
お化の面 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
怪談浪曲師浪華綱右衛門の家に、怪奇なお化の面があった。 | |||
怪談会の怪異 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
震災の前であった。 | |||
空中に消えた兵曹 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
大正七八年比のことであった。 | |||
狐狗狸の話 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
コクリと云う遊戯は、海外から渡来したものであって、渡来期は正確には判らないが、明治十六年比、米国船が伊豆の下田へ寄港した時、水夫の一人がそれを伝えたと云われている。 | |||
死体を喫う学生 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
北海道の○○大学は、後に農園があって、側面が運動場になっているが、その運動場の端れから農園にかけて草の堤が続き、そして堤の外は墓場になっていた。 | |||
死んでいた狒狒 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
昔から山には魑魅、水には魍魎(もうりょう)がおると云われているが、明治二十年比の事であった。 | |||
戦死者の凱旋 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
この話は長谷川伸君から聞いた話であるが、長谷川君は日露役の際、即ち明治三十七年の暮に、補充兵として国府台の野砲連隊へ入営した。 | |||
千匹猿の鍔 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
大正十二年九月一日、高橋秀臣君は埼玉県下へ遊説に往っていたが、突如として起った大震災の騒ぎに、翌二日倉皇として神田錦町の自宅へ帰ったが、四辺は一面の焼野原。 | |||
前妻の怪異 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
長崎市の今博多町、中島川に沿うた処に、竹田と云う青年が住んでいた。 | |||
天井裏の妖婆 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
鏑木清方画伯の夫人が産褥熱で入院した時の話である。 | |||
天井からぶらさがる足 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
小説家の山中峯太郎君が、広島市の幟町にいた比のことであった。 | |||
隧道内の怪火 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
兵庫県と岡山県の境になった上郡と三石間の隧道の開鑿工事は、多くの犠牲者を出してようやく竣工しただけに、ここを通る汽車は、その車輪の音までが、「骨がたりない、トコトコトン」と聞えると云って、車掌たちから恐れられていた。 | |||
母の変死 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
よく肉親の身の上に変事があると、その知らせがあると云いますが、私にもそうした経験があります。 | |||
魔の電柱 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
昭和十年九月二十八日の夜の八時比、駒込神明町行の市電が、下谷池の端の弁天前を進行中、女の乗客の一人が、何かに驚いたように不意に悲鳴をあげて、逃げ出そうとでもするようにして上半身を窓の外へ出したところで、そこにあったセンターポールで顔を打って昏倒した。 | |||
疫病神 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
長谷川時雨女史の実験談であるが、女史が佃島にいた比、令妹の春子さんが腸チブスに罹(かか)って離屋の二階に寝ていたので、その枕頭につきっきりで看護していた。 | |||
屋根の上の黒猫 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
昭和九年の夏、横井春野君が三田稲門戦の試合を見て帰って来たところで、その時千葉の市川にいた令弟の夫人から、「病気危篤、すぐ来い」と云う電報が来た。 | |||
妖女の舞踏する踏切 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
品川駅の近くに魔の踏切と云われている踏切がある。 | |||
妖蛸 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
明治二十二三年比のことであった。 | |||
寄席の没落 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
少し古い土地の人なら、八丁堀に岡吉と云う色物専門の寄席があったのを記憶しているはずである。 | |||
赤い牛 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
長野県の上田市にある上田城は、名将真田幸村の居城として知られているが、その上田城の濠の水を明治初年になって、替え乾そうと云う事になった。 | |||
朝倉一五〇 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
洋画家の橋田庫次君の話であるが、橋田君は少年の頃、吾川郡の弘岡村へ使いに往って、日が暮れてから帰って来たが、途中に荒倉と云う山坂があって、そこには鬼火が出るとか狸がいるとかと云うので、少年の橋田君は鬼魅がわるかった。 | |||
位牌田 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
義民木内宗五郎で有名な甚兵衛の渡場のある処は、印西という処であるが、その印西の渡場から西へ十町ばかり往った処に、位牌田と云う田がある。 | |||
位牌と鼠 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
大正十二年の震災の時であった。 | |||
唖の妖女 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
明治七年四月のこと、神奈川県多摩郡下仙川村浅尾兼五郎の家へ妖怪が出ると云う噂がたった。 | |||
女の出る蚊帳 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
明治二年七月八日発行の明治新聞と云うのに、浜田藩の淀藤十郎と云うのが、古著屋からであろう、蚊帳を買って来て、それを釣って寝たところで、その夜の半夜頃、枕頭へ女の姿があらわれた。 | |||
亀の子を握ったまま | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
岩手県の北上川の流域に亀ヶ淵と云う淵があったが、そこには昔から大きな亀が住んでいて、いろいろの怪異を見せると云うので夜など往くものはなかった。 | |||
簪につけた短冊 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
日本橋区本町三丁目一番地嚢物商鈴木米次郎方の婢(じょちゅう)おきんと云うのが、某夜九時すぎ裏手にある便所へ入ろうとして扉をあけると、急に全身に水を浴びせられたようにぞっとして、忽(たちま)ち頭の毛がばらばらと顔の上へ落ちて来てまるで散髪頭のようになった。 | |||
商売の繁昌する家 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
芝公園大門脇に『わかもと』の本舗がある。 | |||
白い小犬を抱いた女 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
某夜、某運転手が護国寺の墓地を通っていると、白い小犬を抱いた女が来て車を停めた。 | |||
天長節の式場 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
大正十一年十月三十日、横浜市横浜尋常高等石川小学校では、例年の如く天長節の勅語奉読式を挙行した。 | |||
遁げて往く人魂 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
二人の仕事師が某夜夜廻りに往っていると、すぐ眼の前でふうわりと青い火が燃えた。 | |||
偶人物語 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
古道具屋の大井金五郎は、古道具の入った大きな風呂敷包を背にして金町の家へ帰って来た。 | |||
母親に憑る霊 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
大正八年二月二十六日、西比利亜出征の田中中佐の一隊は、過激派軍のために包囲せられて、クスラムスコエ附近で全滅したが、悲壮極まるその戦闘で、名誉の戦死を遂げた小島勇次郎と云う軍曹は、大分県大野郡東大野村の出身であった。 | |||
平山婆 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
福岡県嘉穂郡漆生村に平山と云う処があって、そこに坑夫の一家が住んでいた。 | |||
室の中を歩く石 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
大阪市住吉区阿倍野筋一丁目に、山本照美と云う素封家の未亡人が住んでいた。 | |||
堀切橋の怪異 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
荒川放水路に架けた堀切橋、長い長いその橋は鐘淵紡績の女工が怪死した事から怪異が伝えられるようになった。 | |||
帽子のない水兵 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
まだ横須賀行の汽車が電化しない時のことであった。 | |||
掠奪した短刀 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
松山寛一郎は香美郡夜須の生れであった。 | |||
レンズに現われた女の姿 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
保土ヶ谷の某寺の僧侶が写真を撮る必要があって、横浜へ往って写真屋へ入り、レンズの前へ立っていると、写真師は機械に故障が出来たからと云って撮影を中止した。 | |||
娘の生霊 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
某相場師の娘が、父親にねだって買ってもらった衣服を、知りあいの裁縫師の処へ縫わしにやった。 | |||
焦土に残る怪 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
昭和九年三月二十一日の函館の大火は、その日の午後六時から翌朝の七時まで燃えつづけて、焼失家屋二万四千戸、死傷者三千人を出したが、その時火に追われた市民は、猛火の中をくぐって安全な場所から場所へと[#「場所へと」は底本では「場戸へと」]逃げ廻った。 | |||
棄轎 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
上州の田舎の話である。 |