森鴎外の全作品

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作品名著者読了時間文字数人気書き出し
高瀬舟森鴎外30分以内8,818

高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。

高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。

ヰタ・セクスアリス森鴎外1時間〜59,027

金井湛君は哲学が職業である。

金井湛君は哲学が職業である。

山椒大夫森鴎外60分以内22,427

越後の春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。

越後の春日を経て今津へ出る道を、珍らしい旅人の一群れが歩いている。

雁森鴎外1時間〜74,450

壱  古い話である。

壱  古い話である。

阿部一族森鴎外1時間〜27,733

従四位下左近衛少将兼越中守細川忠利は、寛永十八年辛巳の春、よそよりは早く咲く領地肥後国の花を見すてて、五十四万石の大名の晴れ晴れしい行列に前後を囲ませ、南より北へ歩みを運ぶ春とともに、江戸を志して参勤の途に上ろうとしているうち、はからず病にかかって、典医の方剤も功を奏せず、日に増し重くなるばかりなので、江戸へは出発日延べの飛脚が立つ。

従四位下左近衛少将兼越中守細川忠利は、寛永十八年辛巳の春、よそよりは早く咲く領地肥後国の花を見すてて、五十四万石の大名の晴れ晴れしい行列に前後を囲ませ、南より北へ歩みを運ぶ春とともに、江戸を志して参勤の途に上ろうとしているうち、はからず病にかかって、典医の方剤も功を奏せず、日に増し重くなるばかりなので、江戸へは出発日延べの飛脚が立つ。

寒山拾得森鴎外30分以内6,252

唐の貞観のころだというから、西洋は七世紀の初め日本は年号というもののやっと出来かかったときである。

唐の貞観のころだというから、西洋は七世紀の初め日本は年号というもののやっと出来かかったときである。

渋江抽斎森鴎外1時間〜167,408

その一  三十七年如一瞬。

その一  三十七年如一瞬。

最後の一句森鴎外30分以内9,392

元文三年十一月二十三日の事である。

元文三年十一月二十三日の事である。

青年森鴎外1時間〜124,916

壱  小泉純一は芝日蔭町の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場から上野行の電車に乗った。

壱  小泉純一は芝日蔭町の宿屋を出て、東京方眼図を片手に人にうるさく問うて、新橋停留場から上野行の電車に乗った。

かのように森鴎外60分以内22,719

朝小間使の雪が火鉢に火を入れに来た時、奥さんが不安らしい顔をして、「秀麿の部屋にはゆうべも又電気が附いていたね」と云った。

朝小間使の雪が火鉢に火を入れに来た時、奥さんが不安らしい顔をして、「秀麿の部屋にはゆうべも又電気が附いていたね」と云った。

うたかたの記森鴎外60分以内15,530

上  幾頭の獅子の挽ける車の上に、勢よく突立ちたる、女神バワリアの像は、先王ルウドヰヒ第一世がこの凱旋門に据ゑさせしなりといふ。

上  幾頭の獅子の挽ける車の上に、勢よく突立ちたる、女神バワリアの像は、先王ルウドヰヒ第一世がこの凱旋門に据ゑさせしなりといふ。

百物語森鴎外60分以内12,603

何か事情があって、川開きが暑中を過ぎた後に延びた年の当日であったかと思う。

何か事情があって、川開きが暑中を過ぎた後に延びた年の当日であったかと思う。

伊沢蘭軒森鴎外1時間〜494,635

その一  頼山陽は寛政十二年十一月三日に、安藝国広島国泰寺裏門前杉木小路の父春水の屋敷で、囲の中に入れられ、享和三年十二月六日まで屏禁せられて居り、文化二年五月九日に至つて、「門外も為仕度段、存寄之通可被仕候」と云ふ浅野安藝守重晟が月番の達しに依つて釈された。

その一  頼山陽は寛政十二年十一月三日に、安藝国広島国泰寺裏門前杉木小路の父春水の屋敷で、囲の中に入れられ、享和三年十二月六日まで屏禁せられて居り、文化二年五月九日に至つて、「門外も為仕度段、存寄之通可被仕候」と云ふ浅野安藝守重晟が月番の達しに依つて釈された。

大塩平八郎森鴎外1時間〜47,077

一、西町奉行所  天保八年丁酉の歳二月十九日の暁方七つ時に、大阪西町奉行所の門を敲くものがある。

一、西町奉行所  天保八年丁酉の歳二月十九日の暁方七つ時に、大阪西町奉行所の門を敲くものがある。

舞姫森鴎外60分以内16,367

石炭をばはや積み果てつ。

石炭をばはや積み果てつ。

普請中森鴎外30分以内4,516

渡辺参事官は歌舞伎座の前で電車を降りた。

渡辺参事官は歌舞伎座の前で電車を降りた。

みちの記森鴎外30分以内7,211

明治二十三年八月十七日、上野より一番汽車に乗りていず。

明治二十三年八月十七日、上野より一番汽車に乗りていず。

興津弥五右衛門の遺書森鴎外30分以内7,177

某儀明日年来の宿望相達し候て、妙解院殿(松向寺殿)御墓前において首尾よく切腹いたし候事と相成り候。

某儀明日年来の宿望相達し候て、妙解院殿(松向寺殿)御墓前において首尾よく切腹いたし候事と相成り候。

じいさんばあさん森鴎外30分以内5,674

文化六年の春が暮れて行く頃であった。

文化六年の春が暮れて行く頃であった。

妄想森鴎外60分以内13,941

目前には広々と海が横はつてゐる。

目前には広々と海が横はつてゐる。

文づかひ森鴎外60分以内13,199

それがしの宮の催したまひし星が岡茶寮の独逸会に、洋行がへりの将校次を逐うて身の上ばなしせし時のことなりしが、こよひはおん身が物語聞くべきはずなり、殿下も待兼ねておはすればと促されて、まだ大尉になりてほどもあらじと見ゆる小林といふ少年士官、口に啣へし巻烟草取りて火鉢の中へ灰振り落して語りは始めぬ。

それがしの宮の催したまひし星が岡茶寮の独逸会に、洋行がへりの将校次を逐うて身の上ばなしせし時のことなりしが、こよひはおん身が物語聞くべきはずなり、殿下も待兼ねておはすればと促されて、まだ大尉になりてほどもあらじと見ゆる小林といふ少年士官、口に啣へし巻烟草取りて火鉢の中へ灰振り落して語りは始めぬ。

そめちがへ森鴎外30分以内6,489

時節は五月雨のまだ思切悪く昨夕より小止なく降りて、※子の下に四足踏伸ばしたる猫懶くして起たんともせず、夜更て酔はされし酒に、明近くからぐつすり眠り、朝飯と午餉とを一つに片付けたる兼吉が、浴衣脱捨てて引つ掛くる衣は紺にあめ入の明石、唐繻子の丸帯うるささうに締め畢り、何処かけんのある顔の眉蹙めて、四分珠の金釵もて結髪の頭をやけに掻き、それもこれも私がいつもののんきで、気が付かずにゐたからの事、人を恨む

時節は五月雨のまだ思切悪く昨夕より小止なく降りて、※子の下に四足踏伸ばしたる猫懶くして起たんともせず、夜更て酔はされし酒に、明近くからぐつすり眠り、朝飯と午餉とを一つに片付けたる兼吉が、浴衣脱捨てて引つ掛くる衣は紺にあめ入の明石、唐繻子の丸帯うるささうに締め畢り、何処かけんのある顔の眉蹙めて、四分珠の金釵もて結髪の頭をやけに掻き、それもこれも私がいつもののんきで、気が付かずにゐたからの事、人を恨む

牛鍋森鴎外5分以内1,892

鍋はぐつぐつ煮える。

鍋はぐつぐつ煮える。

鶏森鴎外60分以内18,426

石田小介が少佐参謀になって小倉に着任したのは六月二十四日であった。

石田小介が少佐参謀になって小倉に着任したのは六月二十四日であった。

ぢいさんばあさん森鴎外30分以内5,858

文化六年の春が暮れて行く頃であつた。

文化六年の春が暮れて行く頃であつた。

あそび森鴎外30分以内10,497

木村は官吏である。

木村は官吏である。

護持院原の敵討森鴎外60分以内21,888

播磨国飾東郡姫路の城主酒井雅楽頭忠実の上邸は、江戸城の大手向左角にあった。

播磨国飾東郡姫路の城主酒井雅楽頭忠実の上邸は、江戸城の大手向左角にあった。

魔睡森鴎外60分以内13,892

法科大学教授大川渉君は居間の真中へ革包を出して、そこら中に書物やシヤツなどを取り散らして、何か考へては革包の中へしまひ込んでゐる。

法科大学教授大川渉君は居間の真中へ革包を出して、そこら中に書物やシヤツなどを取り散らして、何か考へては革包の中へしまひ込んでゐる。

栗山大膳森鴎外60分以内17,963

寛永九年六月十五日に、筑前國福岡の城主黒田右衞門佐忠之の出した見廻役が、博多辻の堂町で怪しい風體の男を捕へた。

寛永九年六月十五日に、筑前國福岡の城主黒田右衞門佐忠之の出した見廻役が、博多辻の堂町で怪しい風體の男を捕へた。

金貨森鴎外60分以内14,851

左官の八は、裏を返して縫ひ直して、継の上に継を当てた絆纏を着て、千駄ヶ谷の停車場脇の坂の下に、改札口からさす明を浴びてぼんやり立つてゐた。

左官の八は、裏を返して縫ひ直して、継の上に継を当てた絆纏を着て、千駄ヶ谷の停車場脇の坂の下に、改札口からさす明を浴びてぼんやり立つてゐた。

夏目漱石論森鴎外5分以内796

一、今日の地位に至れる径路  政略と云うようなものがあるかどうだか知らない。

一、今日の地位に至れる径路  政略と云うようなものがあるかどうだか知らない。

蛇森鴎外30分以内11,162

明け易い夏の夜に、なんだってこんなそうぞうしい家に泊り合わせたことかと思って、己はうるさく頬のあたりに飛んで来る蚊を逐いながら、二間の縁側から、せせこましく石を据えて、いろいろな木を植え込んである奥の小庭を、ぼんやり眺めている。

明け易い夏の夜に、なんだってこんなそうぞうしい家に泊り合わせたことかと思って、己はうるさく頬のあたりに飛んで来る蚊を逐いながら、二間の縁側から、せせこましく石を据えて、いろいろな木を植え込んである奥の小庭を、ぼんやり眺めている。

半日森鴎外60分以内16,662

六疊の間に、床を三つ並べて取つて、七つになる娘を眞中に寢かして、夫婦が寢てゐる。

六疊の間に、床を三つ並べて取つて、七つになる娘を眞中に寢かして、夫婦が寢てゐる。

カズイスチカ森鴎外30分以内8,823

父が開業をしていたので、花房医学士は卒業する少し前から、休課に父の許へ来ている間は、代診の真似事をしていた。

父が開業をしていたので、花房医学士は卒業する少し前から、休課に父の許へ来ている間は、代診の真似事をしていた。

文づかい森鴎外60分以内13,739

それがしの宮の催したまいし星が岡茶寮のドイツ会に、洋行がえりの将校次をおうて身の上ばなしせしときのことなりしが、こよいはおん身が物語聞くべきはずなり、殿下も待ちかねておわすればとうながされて、まだ大尉になりてほどもあらじと見ゆる小林という少年士官、口にくわえし巻煙草取りて火鉢の中へ灰ふり落して語りははじめぬ。

それがしの宮の催したまいし星が岡茶寮のドイツ会に、洋行がえりの将校次をおうて身の上ばなしせしときのことなりしが、こよいはおん身が物語聞くべきはずなり、殿下も待ちかねておわすればとうながされて、まだ大尉になりてほどもあらじと見ゆる小林という少年士官、口にくわえし巻煙草取りて火鉢の中へ灰ふり落して語りははじめぬ。

文芸の主義森鴎外5分以内1,156

芸術に主義というものは本来ないと思う。

芸術に主義というものは本来ないと思う。

身上話森鴎外30分以内7,556

「御勉強。」  障子の外から、小聲で云ふのである。

「御勉強。」  障子の外から、小聲で云ふのである。

古い手帳から森鴎外30分以内11,105

Platon  Platon は何故に共産主義者とせられてゐるか。

Platon  Platon は何故に共産主義者とせられてゐるか。

ロビンソン・クルソオ森鴎外30分以内4,971

人物 主人 客 譯者  場所 主人の書齋。

人物 主人 客 譯者  場所 主人の書齋。

空車森鴎外10分以内2,220

むなぐるまは古言である。

むなぐるまは古言である。

安井夫人森鴎外30分以内11,417

「仲平さんはえらくなりなさるだろう」という評判と同時に、「仲平さんは不男だ」という蔭言が、清武一郷に伝えられている。

「仲平さんはえらくなりなさるだろう」という評判と同時に、「仲平さんは不男だ」という蔭言が、清武一郷に伝えられている。

杯森鴎外10分以内2,602

温泉宿から皷が滝へ登って行く途中に、清冽な泉が湧き出ている。

温泉宿から皷が滝へ登って行く途中に、清冽な泉が湧き出ている。

鼠坂森鴎外30分以内7,730

小日向から音羽へ降りる鼠坂と云う坂がある。

小日向から音羽へ降りる鼠坂と云う坂がある。

高瀬舟縁起森鴎外5分以内1,334

京都の高瀬川は、五条から南は天正十五年に、二条から五条までは慶長十七年に、角倉了以が掘ったものだそうである。

京都の高瀬川は、五条から南は天正十五年に、二条から五条までは慶長十七年に、角倉了以が掘ったものだそうである。

歴史其儘と歴史離れ森鴎外10分以内3,232

わたくしの近頃書いた、歴史上の人物を取り扱つた作品は、小説だとか、小説でないとか云つて、友人間にも議論がある。

わたくしの近頃書いた、歴史上の人物を取り扱つた作品は、小説だとか、小説でないとか云つて、友人間にも議論がある。

柵草紙の山房論文森鴎外1時間〜69,055

我に問ふ、何故に久しく文を論ぜざるかと。

我に問ふ、何故に久しく文を論ぜざるかと。

混沌森鴎外30分以内4,234

私は話をすることが非常に下手なので、話をしろと云はれると實に氣になつてならない。

私は話をすることが非常に下手なので、話をしろと云はれると實に氣になつてならない。

鼎軒先生森鴎外5分以内1,958

鼎軒先生には一度もお目に掛かつたことがない、私は少壯の頃、暇があれば本ばかり讀んでゐたので名家の演説などをもわざ/\聽きに往つたことが殆ど無い、そこで餘所ながら先生のお顏を見る機會をも得ないでしまつた、  先生がアアリア人種に日本人も屬するといふことを論じた小册子を出された頃であつた、友人上田敏君が宅の二階に來て、話をしてゐられた、私はふいと思ひ出して、かう云つた、 「僕は此頃田口卯吉と云ふ人の書

鼎軒先生には一度もお目に掛かつたことがない、私は少壯の頃、暇があれば本ばかり讀んでゐたので名家の演説などをもわざ/\聽きに往つたことが殆ど無い、そこで餘所ながら先生のお顏を見る機會をも得ないでしまつた、  先生がアアリア人種に日本人も屬するといふことを論じた小册子を出された頃であつた、友人上田敏君が宅の二階に來て、話をしてゐられた、私はふいと思ひ出して、かう云つた、 「僕は此頃田口卯吉と云ふ人の書

サフラン森鴎外10分以内2,244

名を聞いて人を知らぬと云うことが随分ある。

名を聞いて人を知らぬと云うことが随分ある。

佐橋甚五郎森鴎外30分以内6,401

豊太閤が朝鮮を攻めてから、朝鮮と日本との間には往来が全く絶えていたのに、宗対馬守義智が徳川家の旨を承けて肝いりをして、慶長九年の暮れに、松雲孫、文※[#「或」の「ノ」の部分が三本、102-2]、金考舜という三人の僧が朝鮮から様子を見に来た。

豊太閤が朝鮮を攻めてから、朝鮮と日本との間には往来が全く絶えていたのに、宗対馬守義智が徳川家の旨を承けて肝いりをして、慶長九年の暮れに、松雲孫、文※[#「或」の「ノ」の部分が三本、102-2]、金考舜という三人の僧が朝鮮から様子を見に来た。