5分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
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| 作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
|---|---|---|---|
| 「風博士」 | 牧野信一 | 5分以内 | |
厭世の偏奇境から発酵したとてつもないおしやべりです、これを読んで憤らうつたつて憤れる筈もありますまいし、笑ふには少々馬鹿/\し過ぎて、さて何としたものかと首をかしげさせられながら、だんだん読んで行くと重たい笑素に襲はれます。 | |||
| 西部劇通信 | 牧野信一 | 5分以内 | |
「西部劇通信」に収めた諸篇――「川を遡りて」から「出発」まで――は、私のこの五年間の、主なる作品である。 | |||
| 主のつとめ | 北村透谷 | 5分以内 | |
「汝ら只ヱホバをかしこみ心をつくして誠にこれにつかへよ」 (撒母耳前書第十二章二十四節)(七月分日課) この月の日課なる馬太伝の中には神の王国に就きて重要なる教へ多くあり。 | |||
| 街上スケツチ | 牧野信一 | 5分以内 | |
明るいうちは風があつたが、陽が落ちると一処に綺麗に凪いで、街は夢のやうにうつとりとした。 | |||
| 山を降る一隊 | 牧野信一 | 5分以内 | |
「メートル係り。」 それが私の仕事である。 | |||
| 鎧の挿話 | 牧野信一 | 5分以内 | |
五人力と称ばれてゐる無頼漢の大川九郎が今日はまた大酒を呑んで、店で暴れてゐる――と悲しさうな顔で居酒屋の娘が、私の家に逃げて来た夕暮時に、恰度私の家では土用干の品々を片附けてゐたところで、そして私は戯れに鎧を着、鉄の兜を被つて、ふざけてゐたところだつた。 | |||
| ガール・シヤイ挿話 | 牧野信一 | 5分以内 | |
僕(理科大学生)は、さつき玄関でチラリと娘の姿を見たばかりで一途にカーツと全身の血潮が逆上してしまつて(註、ガール・シヤイを翻訳すれば、美しい女を見ると無性に気恥かしくなつて口が聞けなくなる病――とでも云ふべきであらう。)慌てゝ自分の部屋へ逃げ込んでしまつた。 | |||
| 挿頭花 | 津村信夫 | 5分以内 | |
戸隠の月夜は九月に這入ると、幾晩もつづいてゐた――。 | |||
| あしびの花 | 土田杏村 | 5分以内 | |
今はもう散つて了つたが、馬酔木の花は樹の花の中でも立派なものだ。 | |||
| るい | 牧野信一 | 5分以内 | |
竹藪の蔭の井戸端に木蓮とコヾメ桜の老樹が枝を張り、野天風呂の火が、風呂番の娘の横顔を照してゐた。 | |||
| 一ノ倉沢南稜 | 松濤明 | 5分以内 | |
パーティ 丹羽(正吉)、松濤 昭和十六年六月八日 土合(六・〇〇)―南稜テラス(八・一〇~八・三〇)―一ノ倉尾根のピーク(一四・〇〇~一四・二〇)―土合(一七・〇〇) テラスに揃ってキジを撃ち、ここでアンザイレンしておもむろに取り付く。 | |||
| 八ガ岳大門沢 | 松濤明 | 5分以内 | |
松濤明 単独 昭和十六年八月十一日 曇時々雨 清里(七・四〇)―大門沢本流(一一・〇〇)―バットレス下(一三・二〇)―リッジ(一三・五〇~一四・〇〇)―赤岳北峰(一四・二五~一四・三〇)―清里(一六・三五) 甲府で駅弁を買いそこね、小淵沢のチャチなチラシで朝食をしたため、初めから終りまで顎を出した一日。 | |||
| 再婚 | 牧野信一 | 5分以内 | |
こんな芝居を観に来るんぢやなかつた――と夫は後悔した。 | |||
| 田舎から東京を見る | 黒島伝治 | 5分以内 | |
田舎から東京をみるという題をつけたが本当をいうと、田舎に長く住んでいると東京のことは殆ど分らない。 | |||
| 伊賀国 | 近松秋江 | 5分以内 | |
伊賀國は小國であるけれども、この國に入るには何方からゆくにも相應に深い山を踰えねばならぬ。 | |||
| 瘠我慢の説 | 石河幹明 | 5分以内 | |
瘠我慢の説は、福沢先生が明治二十四年の冬頃に執筆せられ、これを勝安芳、榎本武揚の二氏に寄せてその意見を徴められしものなり。 | |||
| 虎杖採り | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
閨秀画家の[#「閨秀画家の」は底本では「閏秀画家の」]伊藤美代乃女史は、秋田の出身であるが、その女史が小さい時、それは晩春の事であった。 | |||
| お化の面 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
怪談浪曲師浪華綱右衛門の家に、怪奇なお化の面があった。 | |||
| 死体を喫う学生 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
北海道の○○大学は、後に農園があって、側面が運動場になっているが、その運動場の端れから農園にかけて草の堤が続き、そして堤の外は墓場になっていた。 | |||
| 死んでいた狒狒 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
昔から山には魑魅、水には魍魎がおると云われているが、明治二十年比の事であった。 | |||
| 千匹猿の鍔 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
大正十二年九月一日、高橋秀臣君は埼玉県下へ遊説に往っていたが、突如として起った大震災の騒ぎに、翌二日倉皇として神田錦町の自宅へ帰ったが、四辺は一面の焼野原。 | |||
| 前妻の怪異 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
長崎市の今博多町、中島川に沿うた処に、竹田と云う青年が住んでいた。 | |||
| 天井裏の妖婆 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
鏑木清方画伯の夫人が産褥熱で入院した時の話である。 | |||
| 隧道内の怪火 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
兵庫県と岡山県の境になった上郡と三石間の隧道の開鑿工事は、多くの犠牲者を出してようやく竣工しただけに、ここを通る汽車は、その車輪の音までが、 「骨がたりない、トコトコトン」 と聞えると云って、車掌たちから恐れられていた。 | |||
| 母の変死 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
よく肉親の身の上に変事があると、その知らせがあると云いますが、私にもそうした経験があります。 | |||
| 妖蛸 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
明治二十二三年比のことであった。 | |||
| 寄席の没落 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
少し古い土地の人なら、八丁堀に岡吉と云う色物専門の寄席があったのを記憶しているはずである。 | |||
| 赤い牛 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
長野県の上田市にある上田城は、名将真田幸村の居城として知られているが、その上田城の濠の水を明治初年になって、替え乾そうと云う事になった。 | |||
| 位牌田 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
義民木内宗五郎で有名な甚兵衛の渡場のある処は、印西という処であるが、その印西の渡場から西へ十町ばかり往った処に、位牌田と云う田がある。 | |||
| 位牌と鼠 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
大正十二年の震災の時であった。 | |||
| 唖の妖女 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
明治七年四月のこと、神奈川県多摩郡下仙川村浅尾兼五郎の家へ妖怪が出ると云う噂がたった。 | |||
| 亀の子を握ったまま | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
岩手県の北上川の流域に亀ヶ淵と云う淵があったが、そこには昔から大きな亀が住んでいて、いろいろの怪異を見せると云うので夜など往くものはなかった。 | |||
| 簪につけた短冊 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
日本橋区本町三丁目一番地嚢物商鈴木米次郎方の婢おきんと云うのが、某夜九時すぎ裏手にある便所へ入ろうとして扉をあけると、急に全身に水を浴びせられたようにぞっとして、忽ち頭の毛がばらばらと顔の上へ落ちて来てまるで散髪頭のようになった。 | |||
| 天長節の式場 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
大正十一年十月三十日、横浜市横浜尋常高等石川小学校では、例年の如く天長節の勅語奉読式を挙行した。 | |||
| 遁げて往く人魂 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
二人の仕事師が某夜夜廻りに往っていると、すぐ眼の前でふうわりと青い火が燃えた。 | |||
| 偶人物語 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
古道具屋の大井金五郎は、古道具の入った大きな風呂敷包を背にして金町の家へ帰って来た。 | |||
| 母親に憑る霊 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
大正八年二月二十六日、西比利亜出征の田中中佐の一隊は、過激派軍のために包囲せられて、クスラムスコエ附近で全滅したが、悲壮極まるその戦闘で、名誉の戦死を遂げた小島勇次郎と云う軍曹は、大分県大野郡東大野村の出身であった。 | |||
| 平山婆 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
福岡県嘉穂郡漆生村に平山と云う処があって、そこに坑夫の一家が住んでいた。 | |||
| 室の中を歩く石 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
大阪市住吉区阿倍野筋一丁目に、山本照美と云う素封家の未亡人が住んでいた。 | |||
| 堀切橋の怪異 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
荒川放水路に架けた堀切橋、長い長いその橋は鐘淵紡績の女工が怪死した事から怪異が伝えられるようになった。 | |||
| 帽子のない水兵 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
まだ横須賀行の汽車が電化しない時のことであった。 | |||
| 掠奪した短刀 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
松山寛一郎は香美郡夜須の生れであった。 | |||
| レンズに現われた女の姿 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
保土ヶ谷の某寺の僧侶が写真を撮る必要があって、横浜へ往って写真屋へ入り、レンズの前へ立っていると、写真師は機械に故障が出来たからと云って撮影を中止した。 | |||
| 焦土に残る怪 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
昭和九年三月二十一日の函館の大火は、その日の午後六時から翌朝の七時まで燃えつづけて、焼失家屋二万四千戸、死傷者三千人を出したが、その時火に追われた市民は、猛火の中をくぐって安全な場所から場所へと[#「場所へと」は底本では「場戸へと」]逃げ廻った。 | |||
| 棄轎 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
上州の田舎の話である。 | |||
| 築地の川獺 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
小泉八雲の書いた怪談の中には、赤坂に出る目も鼻もないのっぺらぼうの川獺のことがあるが、築地の周囲の運河の水にも数多の川獺がいて、そこにも川獺の怪異が伝わっていた。 | |||
| 長崎の電話 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
京都西陣の某と云う商店の主人は、遅い昼飯を喫って店の帳場に坐っていると電話のベルが鳴った。 | |||
| 二通の書翰 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
小説家後藤宙外氏が鎌倉に住んでいた比のことであると云うから、明治三十年前後のことであろう、その時鎌倉の雪の下、つまり八幡宮の前に饅頭屋があって、東京から避暑に往っていた××君がその前を通っていると、饅頭屋の主翁が出て来て、 「あなたは××さんと云う方ではございませんか」 と己の姓名を云うので、そうだと云うと、 「こんなことを、だしぬけに申しましては、へんでございますが、二階堂の方の別荘にいらっし | |||
| 真紅な帆の帆前船 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
遠江の御前崎へ往ったのは大正十四年の二月二日であった。 | |||
| 料理番と婢の姿 | 田中貢太郎 | 5分以内 | |
彼女は裏二階の階子段をおりて便所へ往った。 | |||
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