青空文庫の全作品
青空文庫で公開されているすべての著者の全作品を、おすすめ人気順で表示しています。
401-450件 / 全14,272件
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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罪と罰(内田不知庵訳) | 北村透谷 | 10分以内 | |
沈痛、悲慘、幽悽なる心理的小説「罪と罰」は彼の奇怪なる一大巨人(露西亞)の暗黒なる社界の側面を暴露して餘(あま)すところなしと言ふべし。 | |||
世界怪談名作集 | チャールズ・ディケンズ | 60分以内 | |
「おぅい、下にいる人!」わたしがこう呼んだ声を聞いたとき、信号手は短い棒に巻いた旗を持ったままで、あたかも信号所の小屋の前に立っていた。 | |||
「ああしんど」 | 池田蕉園 | 5分以内 | |
よっぽど古いお話なんで御座いますよ。 | |||
蘭学事始 | 菊池寛 | 60分以内 | |
杉田玄白が、新大橋の中邸を出て、本石町三丁目の長崎屋源右衛門方へ着いたのは、巳刻を少し回ったばかりだった。 | |||
小説の面白さ | 太宰治 | 5分以内 | |
小説と云うものは、本来、女子供の読むもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。 | |||
油絵新技法 | 小出楢重 | 1時間〜 | |
序言日本の油絵も、ようやくパリのそれと多くの距離を有たぬようにまで達しつつある事は素晴らしき進歩であると思う。 | |||
老ハイデルベルヒ | 太宰治 | 30分以内 | |
八年まえの事でありました。 | |||
あやかしの鼓 | 夢野久作 | 1時間〜 | |
私は嬉しい。 | |||
玉藻の前 | 岡本綺堂 | 1時間〜 | |
清水詣で「ほう、よい月じゃ。 | |||
四国遍路日記 | 種田山頭火 | 60分以内 | |
十一月一日晴、行程七里、もみぢ屋という宿に泊る。 | |||
お富の貞操 | 芥川竜之介 | 30分以内 | |
明治元年五月十四日の午過ぎだつた。 | |||
道楽と職業 | 夏目漱石 | 60分以内 | |
ただいまは牧君の満洲問題――満洲の過去と満洲の未来というような問題について、大変条理の明かな、そうして秩序のよい演説がありました。 | |||
交尾 | 梶井基次郎 | 30分以内 | |
その星空を見上げると、音もしないで何匹も蝙蝠(こうもり)が飛んでいる。 | |||
オリンポスの果実 | 田中英光 | 1時間〜 | |
秋ちゃん。 | |||
うづしほ | エドガー・アラン・ポー | 60分以内 | |
二人で丁度一番高い岩山の巓(いたゞき)まで登つた。 | |||
家 | 島崎藤村 | 1時間〜 | |
橋本の家の台所では昼飯の仕度に忙しかった。 | |||
源氏物語 | 紫式部 | 1時間〜 | |
わりなくもわかれがたしとしら玉の涙をながす琴のいとかな(晶子)まだ雨風はやまないし、雷鳴が始終することも同じで幾日かたった。 | |||
蜃気楼 | 芥川竜之介 | 30分以内 | |
或秋の午頃、僕は東京から遊びに来た大学生のK君と一しょに蜃気楼を見に出かけて行った。 | |||
老妓抄 | 岡本かの子 | 60分以内 | |
平出園子というのが老妓の本名だが、これは歌舞伎俳優の戸籍名のように当人の感じになずまないところがある。 | |||
「グッド・バイ」作者の言葉 | 太宰治 | 5分以内 | |
唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。 | |||
ベースボール | 正岡子規 | 30分以内 | |
○ベースボールに至りてはこれを行う者極めて少くこれを知る人の区域も甚だ狭かりしが近時第一高等学校と在横浜米人との間に仕合ありしより以来ベースボールという語ははしなく世人の耳に入りたり。 | |||
手巾 | 芥川竜之介 | 30分以内 | |
東京帝国法科大学教授、長谷川謹造先生は、ヴエランダの籐椅子に腰をかけて、ストリントベルクの作劇術を読んでゐた。 | |||
聖徳太子 | 内藤湖南 | 30分以内 | |
聖徳太子に關して徳川時代の儒者で之を作者の聖と稱せし人があつたが、之は最も善く當つて居つて、殆んど其の人格の全體を悉して居ると思ふ。 | |||
源氏物語 | 紫式部 | 60分以内 | |
さくら散る春の夕のうすぐもの涙となりて落つる心地に(晶子)冬になって来て川沿いの家にいる人は心細い思いをすることが多く、気の落ち着くこともない日の続くのを、源氏も見かねて、「これではたまらないだろう、私の言っている近い家へ引っ越す決心をなさい」と勧めるのであったが、「宿変へて待つにも見えずなりぬればつらき所の多くもあるかな」という歌のように、恋人の冷淡に思われることも地理的に斟酌をしなければならないと、しいて解釈してみずから慰めることなども... | |||
惜別 | 太宰治 | 1時間〜 | |
これは日本の東北地方の某村に開業している一老医師の手記である。 | |||
文士の生活 | 夏目漱石 | 30分以内 | |
私が巨万の富を蓄えたとか、立派な家を建てたとか、土地家屋を売買して金を儲(もう)けて居るとか、種々な噂(うわさ)が世間にあるようだが、皆嘘(うそ)だ。 | |||
半七捕物帳 | 岡本綺堂 | 60分以内 | |
半七老人は或るとき彼のむかしの身分について詳しい話をしてくれた。 | |||
ロマネスク | 太宰治 | 60分以内 | |
仙術太郎むかし津軽の国、神梛木村に鍬形惣助という庄屋がいた。 | |||
竹青 | 太宰治 | 30分以内 | |
むかし湖南の何とやら郡邑に、魚容という名の貧書生がいた。 | |||
幾何学と空間 | 戸坂潤 | 1時間〜 | |
幾何学とは何であるか、之が私の問題である。 | |||
河童の話 | 折口信夫 | 60分以内 | |
私はふた夏、壱岐の国へ渡つた。 | |||
運 | 芥川竜之介 | 30分以内 | |
目のあらい簾(すだれ)が、入口にぶらさげてあるので、往来の容子は仕事場にいても、よく見えた。 | |||
大塩平八郎 | 森鴎外 | 1時間〜 | |
一、西町奉行所天保八年丁酉の歳二月十九日の暁方七つ時に、大阪西町奉行所の門を敲(たゝ)くものがある。 | |||
レ・ミゼラブル | ヴィクトル・ユゴー | 1時間〜 | |
第一編歴史の数ページ善き截断一八三一年と一八三二年とは、七月革命に直接関係ある年で、史上最も特殊な最も驚くべき時期の一つである。 | |||
平将門 | 幸田露伴 | 1時間〜 | |
千鍾の酒も少く、一句の言も多いといふことがある。 | |||
源氏物語 | 紫式部 | 10分以内 | |
橘(たちばな)も恋のうれひも散りかへば香をなつかしみほととぎす鳴く(晶子)みずから求めてしている恋愛の苦は昔もこのごろも変わらない源氏であるが、ほかから受ける忍びがたい圧迫が近ごろになってますます加わるばかりであったから、心細くて、人間の生活というものからのがれたい欲求も起こるが、さてそうもならない絆(ほだし)は幾つもあった。 | |||
大和路・信濃路 | 堀辰雄 | 1時間〜 | |
樹下その藁屋根の古い寺の、木ぶかい墓地へゆく小径のかたわらに、一体の小さな苔蒸した石仏が、笹むらのなかに何かしおらしい姿で、ちらちらと木洩れ日に光って見えている。 | |||
カール・マルクスとその夫人 | 宮本百合子 | 60分以内 | |
カールの持った「三人の聖者」ドイツの南の小さい一つの湖から注ぎ出て、深い峡谷の間を流れ、やがて葡萄の美しく実る地方を通って、遠くオランダの海に河口を開いている大きい河がある。 | |||
狂人日記 | ニコライ・ゴーゴリ | 1時間〜 | |
十月三日けふといふ日にはずゐぶん變なことがあつた。 | |||
「平家物語」ぬきほ(言文一致訳) | 作者不詳 | 1時間〜 | |
葵の前(高倉)其の頃何より優美でやさしいことの例に云い出されて居たのは中宮の御所に仕えて居る局の女房達がめしつかわれて居た上童の中に葵の前と云って陛下の御側近う仕る事がある上童が居た。 | |||
川中島合戦 | 菊池寛 | 60分以内 | |
川中島に於ける上杉謙信、武田信玄の一騎討は、誰もよく知って居るところであるが、其合戦の模様については、知る人は甚だ少い。 | |||
一問一答 | 太宰治 | 5分以内 | |
「何か、最近の、御感想を聞かせて下さい。 | |||
『心』広告文 | 夏目漱石 | 5分以内 | |
自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。 | |||
一円本流行の害毒と其裏面談 | 宮武外骨 | 60分以内 | |
[#ページの左右中央]著作界の売名家、奇人変人中のニセ悪人雑学大博士外骨先生著近来にない簡潔犀利の力作一円本流行の害毒と其裏面談熱烈の筆痛快の論辛辣と皮肉好謔と善罵拍案拍掌愉絶壮絶溜飲の薬にもなる(一冊定価金タッタ十銭)[#改丁]著者自本書の著者は彼是と多忙の身であるが、現在の円本流行を黙過すべからざる害毒問題として、天下に吼号し、以て読書界の進展と出版界の転機を促さ... | |||
人体解剖を看るの記 | 海野十三 | 30分以内 | |
僕は最近、はからずも屍体解剖を看るの機会を持った。 | |||
新日本の進路 | 石原莞爾 | 30分以内 | |
一、人類歴史は統制主義の時代にあるフランス革命は專制主義から自由主義えの轉換を決定した典型的自由主義革命であり、日本の明治維新もこの見地からすれば、自由主義革命に属する。 | |||
源氏物語 | 紫式部 | 60分以内 | |
みをつくし逢(あ)はんと祈るみてぐらもわれのみ神にたてまつるらん(晶子)須磨の夜の源氏の夢にまざまざとお姿をお現わしになって以来、父帝のことで痛心していた源氏は、帰京ができた今日になってその御菩提を早く弔いたいと仕度をしていた。 | |||
源氏物語 | 紫式部 | 60分以内 | |
道もなき蓬(よもぎ)をわけて君ぞこし誰にもまさる身のここちする(晶子)源氏が須磨、明石に漂泊っていたころは、京のほうにも悲しく思い暮らす人の多数にあった中でも、しかとした立場を持っている人は、苦しい一面はあっても、たとえば二条の夫人などは、源氏が旅での生活の様子もかなりくわしく通信されていたし、便宜が多くて手紙を書いて出すこともよくできたし、当時無官になっていた源氏の無紋の衣裳も季節に従って仕立てて送るような慰みもあった。 | |||
縮図 | 徳田秋声 | 1時間〜 | |
日蔭に居りて晩飯時間の銀座の資生堂は、いつに変わらず上も下も一杯であった。 | |||
反スタイルの記 | 坂口安吾 | 10分以内 | |
(上)私がヒロポンという薬の名をきいたのは六七年前で、東京新聞のY君がきかせてくれたのである。 |
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