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60分以内で読める青空文庫の中編作品

青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「60分以内」の中編作品を、おすすめ人気順で表示しています。

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作品名著者読了時間人気
人外魔境小栗虫太郎
60分以内
魔境からの使者――折竹氏、中央亜細亜へゆく。
竹の木戸国木田独歩
60分以内
上大庭真蔵という会社員は東京郊外に住んで京橋区辺の事務所に通っていたが、電車の停留所まで半里以上もあるのを、毎朝欠かさずテクテク歩いて運動にはちょうど可いと言っていた。
死刑の前幸徳秋水
60分以内
第一章死生第二章運命第三章道徳―罪悪第四章半生の回顧第五章獄中の回顧第一章死生わたくしは、死刑に処せらるべく、いま東京監獄の一室に拘禁されている。
明治美人伝長谷川時雨
60分以内
空の麗しさ、地の美しさ、万象の妙なる中に、あまりにいみじき人間美は永遠を誓えぬだけに、脆(もろ)き命に激しき情熱の魂をこめて、たとえしもない刹那の美を感じさせる。
女の一生森本薫
60分以内
人布引けい知栄の少女時代堤しず野村精三伸太郎職人井上栄二女中清総子刑事ふみ刑事二章介知栄第一幕の堤家の焼跡。
石ころ路田畑修一郎
60分以内
島へ着いた翌日から強い風が出て、後三日にわたって吹いて吹き捲(まく)った。
修道院の秋南部修太郎
60分以内
「好いかよう……」と、若い水夫の一人が、間延びのした太い聲で叫びながら船尾の纜(ともづな)を放すと、鈍い汽笛がまどろむやうに海面を掠めて、船は靜かに函館の舊棧橋を離れた。
姉妹若山牧水
60分以内
山には別しても秋の來るのが早い。
諸家の芸術価値理論の批判平林初之輔
60分以内
はしがき私が「新潮」三月号に発表した「政治的価値と芸術的価値」は、私の頭に疑問として残されてゐた一つの問題を、雑然と、無秩序に、しかも甚だ例証的に、従つて、非常に単純化された姿に於いて、そして何よりも率直に、表白して、私自身その問題に対する一つのサジエツシヨンを試みつゝ、大方の示教を乞ふために書かれたものであつた。
文語詩稿 一百篇宮沢賢治
60分以内
目次母岩手公園選挙崖下の床屋祭日〔一〕保線工手〔南風の頬に酸くして〕種山ヶ原ポランの広場巡業隊夜医院〔沃度ノニホヒフルヒ来ス〕〔みちべの苔にまどろめば〕〔二山の瓜を運びて〕〔けむりは時に丘丘の〕〔遠く琥珀のいろなして〕心相肖像暁眠旱倹〔老いては冬の孔雀守る〕老農浮世絵歯科医院...
遠野へ水野葉舟
60分以内
「いま、これから東の方に向って、この花巻を発つ。
放生津物語田中貢太郎
60分以内
越中の放生津の町中に在る松や榎の飛び飛びに生えた草原は、町の小供の遊び場所であった。
北国の人水野葉舟
60分以内
九月の中ごろ、ひどく雨が降った或る晩のこと。
帰途水野葉舟
60分以内
三月二十七日――陸中のこの山間の村一帯に雪にまじって雨が降った。
富岡先生国木田独歩
60分以内
何公爵の旧領地とばかり、詳細い事は言われない、侯伯子男の新華族を沢山出しただけに、同じく維新の風雲に会しながらも妙な機から雲梯をすべり落ちて、遂には男爵どころか県知事の椅子一にも有つき得ず、空しく故郷に引込んで老朽ちんとする人物も少くはない、こういう人物に限ぎって変物である、頑固である、片意地である、尊大である、富岡先生もその一人たるを失なわない。
佐渡が島長塚節
60分以内
濱茄子の花佐渡は今日で三日共雨である。
かの女の朝岡本かの子
60分以内
K雑誌先月号に載ったあなたの小説を見ました。
伊勢之巻泉鏡花
60分以内
昔男と聞く時は、今も床しき道中姿。
露肆泉鏡花
60分以内
寒くなると、山の手大通りの露店に古着屋の数が殖える。
艶書泉鏡花
60分以内
「あゝもし、一寸。
魔法罎泉鏡花
60分以内
峰は木の葉の虹である、谷は錦の淵(ふち)である。
天竜川小島烏水
60分以内
山又山の上を、何日も偃松の中に寝て、カアキイ色の登山服には、松葉汁をなすり込んだ青い斑染が、消えずに残つてゐる、山を下りてから、飯田の町まで寂しい宿駅を、車の上で揺られて来たが、どこを見ても山が重なり合ひ、顔を出し、肩を寄せて、通せん坊をしてゐる、これから南の国まで歩くとすれば、高い峠、低い峠が、鋭角線を何本も併行させたり、乱れ打つたりして、疲れた足の邪魔をする。
木枯紀行若山牧水
60分以内
――ひと年にひとたび逢はむ斯く言ひて別れきさなり今ぞ逢ひぬる――十月二十八日。
伊良湖の旅吉江喬松
60分以内
北から吹く風が冷たく湖上を亙つて来た。
放翁鑑賞河上肇
60分以内
渭南文集五十巻、老学庵筆記十巻、詩に関する説話の散見するものを、拾ひ集めて此篇を成す。
華厳滝幸田露伴
60分以内
昭和二年七月の九日、午後一時過ぐるころ安成子の來車を受け、かねての約に從つて同乘して上野停車場へと向つた。
伊豆の旅島崎藤村
60分以内
汽車は大仁へ着いた。
滑川畔にて嘉村礒多
60分以内
北鎌倉で下車して、時計を見ると十時であつた。
箱根の山々近松秋江
60分以内
夏が來て、また山の地方を懷かしむ感情が自然に私の胸に慘んでくるのを覺える。
海郷風物記木下杢太郎
60分以内
夕暮れがた汽船が小さな港に着く。
書簡原民喜
60分以内
●昭和十一年四月三十日千葉市登戸より村岡敏(末弟・当時明治大学ホッケー部に在籍し、ベルリンオリンピックに代表として派遣された)宛今朝早くから女房が起すのであるそれから一日中オリンピツクのことを云つて女房は浮かれたうたう我慢が出来ないと云ふので速達を出すといふのである大変芽出度いこととワシも思ふのであるこの上は身躰に注意し晴れの榮冠を擔つてかへつて來い原家一同それを望んでやまないのである杞四月丗日村岡敏君万才●昭和十...
チャアリイは何処にいる牧逸馬
60分以内
七月一日だった。
京阪聞見録木下杢太郎
60分以内
予も亦明晩立たうと思ふ。
蒲寿庚の事蹟桑原隲蔵
60分以内
本論大食人の通商西暦八世紀の初頃から、十五世紀の末に、ヨーロッパ人が東洋に來航する頃まで、約八百年の間は、アラブ人が世界の通商貿易の舞臺に立つて、尤も活躍した時代で、殊に西暦八世紀の後半に、Abb※s 王朝が縛達 Baghd※d に都を奠めて以來、彼等は海上から印度や支那方面の通商に尤も力を注いだ。
大秦景教流行中国碑に就いて桑原隲蔵
60分以内
私は明治四十三年四月の『藝文』に、「西安府の大秦景教流行中國碑』といふ論文を發表した。
湖光島影近松秋江
60分以内
比叡山延暦寺の、今、私の坐つてゐる宿院の二階の座敷の東の窓の机に凭(よ)つて遠く眼を放つてゐると、老杉蓊鬱たる尾峰の彼方に琵琶湖の水が古鏡の表の如く、五月雨霽(ば)れの日を受けて白く光つてゐる。
酔ひたる商人水野仙子
60分以内
東北のある小さな一町民なる綿屋幸吉は、今朝起きぬけに例の郡男爵から迎への手紙を受け取つたのであつた。
花園の思想横光利一
60分以内
丘の先端の花の中で、透明な日光室が輝いていた。
関牧塲創業記事関寛
60分以内
創業記事端書世の中をわたりくらべて今ぞ知る阿波の鳴門は浪風ぞ無き予は第二の故郷として徳島に住する事殆んど四十年、為に数十回鳴門を渡りたるも、暴風激浪の為めに苦しめらるる事を記憶せざるなり。
小さな村原民喜
60分以内
夕暮青田の上の広い空が次第に光を喪つてゐた。
氷花原民喜
60分以内
三畳足らずの板敷の部屋で、どうかすると息も窒がりさうになるのであつた。
災厄の日原民喜
60分以内
自分の部屋でもないその部屋を自分の部屋のやうに、古びた襖や朽ちかかつた柱や雨漏のあとをとどめた壁を、自分の心の内部か何かのやうに安らかな気持で僕は眺めてゐる。
魔のひととき原民喜
60分以内
ここでは夜明けが僕の瞼の上に直接落ちてくる。
チビの魂徳田秋声
60分以内
彼女も亦(また)人並みに――或ひはそれ以上に本能的な母性愛をもつてゐた。
のらもの徳田秋声
60分以内
「月魄」といふ関西の酒造家の出してゐるカフヱの入口へ来た時、晴代は今更らさうした慣れない職業戦線に立つことに、ちよつと気怯れがした。
晩夏堀辰雄
60分以内
けさ急に思い立って、軽井沢の山小屋を閉めて、野尻湖に来た。
三つの挿話堀辰雄
60分以内
墓畔の家これは私が小学三四年のころの話である。
花を持てる女堀辰雄
60分以内
私はその日はじめて妻をつれて亡き母の墓まいりに往った。
朴の咲く頃堀辰雄
60分以内
あたりはしいんとしていて、ときおり谷のもっと奥から山椒喰のかすかな啼(な)き声が絶え絶えに聞えて来るばかりだった。
恢復期堀辰雄
60分以内
第一部彼はすやすやと眠っているように見えた。
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