10分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
2,201-2,250件 / 全2,294件
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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探偵会話 下駄を探せ | 海野十三 | 10分以内 | |
「――観音さまの?」「――ええ、芝公園増上寺の境内に若い女の絞殺体が二つ、放り捨てられていたというんです。 | |||
探偵小説と犯罪事件 | 海野十三 | 10分以内 | |
探偵小説と犯罪事件との関連性についてはいつの世にも論じられるものであるが、最近の世相はまた事新しくこのトピックを取上げる機会を孕(はら)んでいるようだ。 | |||
綜合大学の図書 | 会津八一 | 10分以内 | |
小泉八雲といへば、日本人の名であるし、日本人として東京の宅で死んでその全集は日本語で出版されてゐるが、父は英國のアイルランドの軍醫、母はギリシャのリウカヂアの娘、子供の時はフランスの叔母の手で育てられ、青年時代にアメリカへ渡つて文學者となり、日本へ來て出雲松江の中學教師となり、小泉といふ士族の家へ婿入りして、日本人になり、熊本の高校、東京帝大に轉任して英文學の講義をし、おしまひは早稻田へ來て亡くなつた。 | |||
老人退場説 | 山浦貫一 | 10分以内 | |
老人醫學は考えもの「老人の日」などと號して六十以上の老人を煽てあげることが流行して來たが、六十になつた私は却つて全くやり切れない程、くすぐつたい話だ。 | |||
鴎外全集刊行の記 | 永井荷風 | 10分以内 | |
森先生著述の全集十八卷いよ/\印に付せられんとす。 | |||
佛蘭西人の観たる鴎外先生 | 永井荷風 | 10分以内 | |
佛蘭西人アルベール・メーボン著今日の日本と云ふ書に著者が鴎外先生を上野博物館に訪問したる記事あり。 | |||
芥川賞の人々 | 佐藤春夫 | 10分以内 | |
僕は第一回以来の芥川賞詮考委員である。 | |||
素人図書館人の手記 | 金森徳次郎 | 10分以内 | |
生れるときに自分の將來の仕事を考えるものは無いが、それでも若いときから一生の目的を考えるものだ。 | |||
未亡人と人道問題 | 二葉亭四迷 | 10分以内 | |
自分は此頃新聞社の勤務からして、創作に取掛つたが、此の創作は、或は観察に依りては家庭問題に関連して居るかも知れぬ、最初は女学生を主人公にと娑婆ツ気を出して、種々と材料を集めて見たが思ふやうに行かず、其れで今度は日露戦役後の大現象である軍人遺族――未亡人を主人公にして、一ツ創作を遣つて見ようと思ふと。 | |||
露都雑記 | 二葉亭四迷 | 10分以内 | |
ネミローウ※[#小書き片仮名ヰ、387-上-3]チ、ダンチェンコ氏が日本のさる田舎の停車場で、何心なく汽車の窓から首を出すと、そこの柵外に遊んで居た洟垂らしの頑童共が、思ひがけず異人馬鹿と手を拍つて囃(はや)したので、氏は驚いて首を引込めた事がある。 | |||
短篇小説は何故不振か | 佐藤春夫 | 10分以内 | |
短篇小説はなぜ不振か。 | |||
人さまざまの苦労の話 | 佐藤春夫 | 10分以内 | |
老醜と云ふ言葉があるが、自分のむかしから最もきらいな言葉の一つである。 | |||
われらが四季感 | 佐藤春夫 | 10分以内 | |
「ぼくはもう極楽行きは見合はせることにきめたよ」と或る時、芥川龍之介が、例のいたずらつぽい眼をかがやかしながら、わたくしに話しかけたことがあつた。 | |||
飲料のはなし | 佐藤春夫 | 10分以内 | |
わたくしは老来、毎年少しづつ肥満して今はいつも十八貫以上、下着なども普通のものでは間に合はないが、こんな男一疋の体重になつたのは四十以後で、少年の頃は骨と皮ばかりの痩せつぽち、それでゐて頑健この上なし樫の木のやうなと云はれた体質で、五尺六寸に近い身長で体重は十二貫あるなしであつた。 | |||
天川恵三郎手記 | 天川恵三郎 | 10分以内 | |
明治三十二年十二月和人三浦市太郎ナル者酋長川村モノクテ、副酋長村山与茂作両名ヲ三浦宅ニ呼ビ寄セ、三浦ノ云フニハ、東京カラトノ(役人)ガ来テ云フニハ旭川モ七師団ガ出来旭川町モ出来テアイヌノ土地ガナクナリ、是カラアイヌノ子孫ガ多クナレバ土地ガ不足ニナル故オカミデ其レヲ案ジ、此近文ノ土地ノ外ニオ前等ノコノム土地ヲ呉レ又金モ呉レルト云フガ如何デアルヤト問ハレ、モノクテエカシモ与茂作エカシモ近文ノ土地ノ外ニ呉レルト云フカラ天塩ノテーネメムヲ貰ヒタイト両名云フニ、然ラバ明日トノ(役人)ガ東京ニ帰ル故... | |||
遺愛集 | 窪田空穂 | 10分以内 | |
数日前、巣鴨拘置所内に、死刑囚として拘置されている島秋人君から来状があり、今度はからずも、篤志の方々の厚情によって、「遺愛集」と題している自分の歌集が出版されることになった。 | |||
もののまちがひ | 佐藤春夫 | 10分以内 | |
井伏鱒二君の文は虚実相半して自ら趣を成すものである。 | |||
あとの祭り | 山之口貘 | 10分以内 | |
この間の朝、裏の井戸端へ顔を洗いに行くと、近所の人に出会したので、「おはようごさいます。 | |||
家族といふもの | 亀井勝一郎 | 10分以内 | |
青年時代に、自我にめざむるにつれて、人は次第に家族から孤立せざるをえないやうになる。 | |||
忘れえぬ風景 | 島木健作 | 10分以内 | |
日本の自然のうち、とくに自分の好きな風景などといふものはない。 | |||
貸借 | 柴田宵曲 | 10分以内 | |
如何なる富豪が、どれだけの金を費したにしても、自分の欲しい書物を悉く所有することは出来ない。 | |||
本因坊秀哉 | 野上彰 | 10分以内 | |
本因坊名人秀哉がまだ元気でいられたころだから昭和十年前後のこと。 | |||
秋艸道人の書について | 吉野秀雄 | 10分以内 | |
秋艸道人会津八一博士の処女歌集『南京新唱』をはじめてわたしの読んだのは、大正十四年春のことだつたが、集中に見えた二首の難解歌がどうにも気にかかるので、発行元の春陽堂へ問ひ合せて道人の住所を知り、その件をおそるおそる質問に及んだのが、翌十五年の四月、そして道人からすぐに懇切な返事を与へられ、間もなく百万塔の図に「あをによしならやまこえてさかるともゆめにしみえこわかくさのやま」の一首を題した茶掛けを贈られたが、これらが道人の肉筆を見た最初であつたやうだ。 | |||
丘の上の家 | 田山花袋 | 10分以内 | |
それは十一月の末であつた。 | |||
カフェー | 勝本清一郎 | 10分以内 | |
文学や美術とカフェーとの交渉の日本におけるいちばん古いところは、明治二十一年四月、東京下谷区上野西黒門町二番地、元御成道警察署南隣に可否茶館が初めてできたとき、硯友社のまだ若かった作家たちが出入りした話からである。 | |||
年の瀬の音 | 山本周五郎 | 10分以内 | |
十二月になると一日一日に時を刻む音が聞えるようである。 | |||
秋の第一日 | 窪田空穂 | 10分以内 | |
土用は過ぎたが、盛夏の力は少しも衰へずに居る。 | |||
冬至の南瓜 | 窪田空穂 | 10分以内 | |
十二月二十二日、冬日ざしが眩(まぶ)しく照つてはゐるが、めつきりと寒くなつた日の午後、A君といふ、青年と中年の中間年輩の人が、用足しに来た。 | |||
遺愛集 | 島秋人 | 10分以内 | |
春分の日が近い。 | |||
思ひ出づるまゝに | 淀野隆三 | 10分以内 | |
三高時代の思ひ出といつたものは実に際限のないものであつて、どれをとつてみようにもとる標準が見当らぬ始末である。 | |||
横光さんと梶井君 | 淀野隆三 | 10分以内 | |
かれこれ二十年前のことである。 | |||
広島という名の由来 | 薄田太郎 | 10分以内 | |
輝元の築城広島城のことを鯉城というが、この鯉城というのはこの土地が己斐の浦に臨んでいたので、己斐が鯉の音に通じるところから、こう名付けられたものといわれる。 | |||
字幕閑話 | 秘田余四郎 | 10分以内 | |
映畫はさすがに大衆のものだけあつて、わたしのような外國映畫の臺詞を飜譯している、いわゆるスーパー屋さんにまで、ファン・レターならぬいろいろの手紙が、思わぬところから舞いこんでくる。 | |||
小品四つ | 中勘助 | 10分以内 | |
秋草これはもうひと昔もまえの秋のひと夜の思い出である。 | |||
穂高岳屏風岩にて | 早川鮎子 | 10分以内 | |
月が岩かげを作った。 | |||
三度会った巡査 | 森律子 | 10分以内 | |
お話もずつと古くなりますと、かえつて新しく聞かれるものとよく申しますが、これはわたしのうら若い大正二年の春、欧州劇壇視察の目的で渡欧致しました時のことでございます。 | |||
十三年 | 山川方夫 | 10分以内 | |
明るい昼すぎの喫茶店で、彼は友人と待ち合わせた。 | |||
連翹の花 | 新村出 | 10分以内 | |
私のすきな春の花に連翹の花がある。 | |||
北越雪譜 | 山東京山 | 10分以内 | |
此書全部六巻、牧之老人が眠を駆の漫筆、梓(あづさ)を俟(また)ざるの稿本[#「稿本」の左に「シタガキ」の注記]なり。 | |||
北越雪譜 | 岡田武松 | 10分以内 | |
鈴木牧之翁略伝本書の著作者鈴木牧之翁は、明和七年正月七日に、越後の国の塩沢に生れた、塩沢は今日の新潟県南魚沼郡塩沢町である、幼時は弥太郎と云つたが、大きくなつてから、儀三治と改めた、翁の父は、質屋と縮布の仲買を営んでゐた、さうして渡世の傍に、俳諧に遊び、周月庵牧水と号してゐた、翁の牧之と云ふ号は、父の牧水の一字を採つたのである、牧之翁は幼時から英敏であつた、大運寺の快運法師に師事して経書を学び、詩は徳昌寺の虎斑禅師に就て学んだ、翁はまた幼時より画を狩野梅笑に学んで、凡んど画師に近いまで... | |||
根岸庵訪問の記 | 伊藤左千夫 | 10分以内 | |
近来不良勝なる先生の病情片時も心にかからぬ事はない。 | |||
鉛筆のしん | 中谷宇吉郎 | 10分以内 | |
私たちは小さい時から、「おぎょうぎよくなさい」ということばを、いつも聞かされたものです。 | |||
画業二十年 | 中谷宇吉郎 | 10分以内 | |
私は悪友のK画伯、但し画伯は自称、から一度だけ褒められたことがある。 | |||
氷島の漁夫 | 吉江喬松 | 10分以内 | |
Pierre(ピエル) Loti(ロチ) の本名は、Louis(ルウイ) Marie(マリイ) Julien(ジュリエン) Viaud(ヴィオウド) といつて、生れたのは、佛蘭西の西南サントンヂュ地方の有名な海港、ロシュフォールであつた。 | |||
黄金綺譚 | 佐藤春夫 | 10分以内 | |
これはただごちそうのお話にすぎないが、おめでたい記念号の読み物にふさはしくちよつと景気のいい題をつけて置かう。 | |||
わが心のなかの白鳥碑 | 佐藤春夫 | 10分以内 | |
白鳥先生はわたくしにとつても最も思ひ出の深い人である。 | |||
芥川君との交際について | 萩原朔太郎 | 10分以内 | |
芥川君と僕との交際は、死前わづか二三年位であつたが、質的には可なり深いところまで突つ込んだ交際だつた。 | |||
悲しき決闘 | 萩原朔太郎 | 10分以内 | |
雜誌「文藝」に發表した僕の評論(詩に告別した室生犀星君へ)は、意外にも文壇の人々に反響した。 | |||
上海の絵本 | 三岸好太郎 | 10分以内 | |
霧に包まれた上海の街、十米も先はわからない様なモヤ、灰色の雲の中をフハリフハリと行く人、その時、街の心臓にパツト灯がつく、白いロココ風の馬車が二馬路の角を通る、白い馬車白い二頭の俊足を持つた馬、白いビロードの服をつけた馭者、乗つて居る人は老人と華かな飾りをつけた若い弱々しい、紫色の娘、彼氏はその時刻に二馬路から三馬路にかけて歩道を散歩して居れば必ずその白い馬車を必ず定つて見かけた。 | |||
荷風先生と情人の写真 | 佐藤春夫 | 10分以内 | |
孤高の生涯に有終の美荷風先生の晩年の生活を、一種偏執狂的なものと見るか、それとも哲人の姿と見るかは人それぞれの眼によるが、そのさびしいような華やかな生涯が、逝く春の一夜人知れぬうちに忽然と終って、警察の眼には一個の変死体扱いされたのは世間並の眼には悲惨なものと見えるだろうと思うが、我々、偏奇館主人荷風先生の文学精神を知る者にとっては、裏長屋の庶民を愛した先生の信念を徹底させてその孤高の生涯に有終の美をなさせたものとして十字架に上ったキリスト並みに有難いものに思える。 |
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