30分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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原子爆弾雑話 | 中谷宇吉郎 | 30分以内 | |
昭和十二年の七月、北支の蘆溝橋に起った一事件は、その後政府の不拡大方針にもかかわらず、目に見えない大きい歴史の力にひきずられて、漸次中支に波及して行った。 | |||
九谷焼 | 中谷宇吉郎 | 30分以内 | |
震災で失ったものの中で、この頃になって、惜しいと思い出したものは九谷焼である。 | |||
硝子を破る者 | 中谷宇吉郎 | 30分以内 | |
汽車はあいかわらず満員である。 | |||
簪を挿した蛇 | 中谷宇吉郎 | 30分以内 | |
石川県の西のはずれ、福井県との境近くに大聖寺という町がある。 | |||
科学と文化 | 中谷宇吉郎 | 30分以内 | |
この頃自然科学上の色々の問題が、文科系統の学問をしている人々の口に度々上っているようである。 | |||
『西遊記』の夢 | 中谷宇吉郎 | 30分以内 | |
子供の頃読んだ本の中で、一番印象に残っているのは、『西遊記』である。 | |||
「茶碗の湯」のことなど | 中谷宇吉郎 | 30分以内 | |
もう三年ばかり前のことであるが、小宮先生の紹介で鈴木三重吉氏の未亡人の方から、『赤い鳥』に昔出ていた通俗科学の話を纏(まと)めて、一冊の本にしたいから、その校訂をしてくれというお話があった。 | |||
「霜柱の研究」について | 中谷宇吉郎 | 30分以内 | |
同窓の友人M君から自由学園学術叢書第一を贈られたので早速読んで見た。 | |||
日本的童話の提唱 | 小川未明 | 30分以内 | |
いま日本は、一面に戦い、一面に東亜建設の大業に着手しつつある。 | |||
篁 | 北原白秋 | 30分以内 | |
我が長歌の総てを収めて、此の『篁』を成す。 | |||
婚期はずれ | 織田作之助 | 30分以内 | |
友恵堂の最中が十個もはいっていた。 | |||
線香花火 | 中谷宇吉郎 | 30分以内 | |
もう十年以上も前のことであるが、まだ私が大学の学生として寺田先生の指導の下に物理の卒業実験をしていた頃の話である。 | |||
ツーン湖のほとり | 中谷宇吉郎 | 30分以内 | |
もう十年も前のことであるが、倫敦に留学中私はユニバシティカレッヂのポーター老先生の所へ繁げ/\出入りしてゐるうちに、一緒に瑞西へ行かうとさそはれたことがあつた。 | |||
南京虫日記 | 斎藤茂吉 | 30分以内 | |
西暦一九二三年八月十三日、Rothmund(ロートムント) 街八番地に貸間があるといふので日本媼の息子が案内してくれた。 | |||
日本大地震 | 斎藤茂吉 | 30分以内 | |
西暦一九二三年九月三日。 | |||
イーサル川 | 斎藤茂吉 | 30分以内 | |
イーサル川は南の方のアルプス山中から出て、北へ向つて流れてゐる。 | |||
ヴエスヴイオ山 | 斎藤茂吉 | 30分以内 | |
ポンペイの街をやうやく見物してしまつて、午過ぎて入口のところの食店で赤葡萄(ぶだう)酒を飲み、南伊太利むきの料理を食べて疲れた身心を休めてゐる。 | |||
鉄の死 | 室生犀星 | 30分以内 | |
虎の子に似てゐたブルドツクの子どもは、鉄といひ、鉄ちやんと呼ばれてゐた。 | |||
庭をつくる人 | 室生犀星 | 30分以内 | |
つくばいつれづれ草に水は浅いほどよいと書いてある。 | |||
俳句は老人文学ではない | 室生犀星 | 30分以内 | |
萩原朔太郎君がいつか「詩に別れた室生君へ」と題した僕に宛てた感想文のなかに、特に俳句が老年者の文学であつて恰も若い溌溂とした文学作品でないことを述べてあつたが、僕はこれを萩原君に答へずに置いたのは、この問題を釈くことが可成りに面倒であり簡単に言ひ尽せないからであつた。 | |||
青春 | 槙村浩 | 30分以内 | |
(若き日の孤独を灼きつくす情熱をわれらに与えよわれらをして戦いに凍えたる手と疲れたる唇に友を亨けしめよ銀の鉛屋根の上に朽葉色の標燈の照らす夜をわれらの老いたる母のひとり眠る時明るき原と自由なる槌を、こゝに赤きプラカードのごとくわれらと共に擁する友を亨けしめよ牢獄!崩れた喜びと愛と思い出の蘇る日友と生活の悦びを金盞花えの雑りけなき接吻と共に鉄色の電気の溶流の瞬間の衝撃のごとく... | |||
長詩 | 槙村浩 | 30分以内 | |
その時僕は牢獄の中に坐ってゐた格子が僕と看守の腰のピストルとの間をへだてゝゐた看守はわざ/\低くつくりつけた窓からのぞきこむために朝々うやうやしく僕にお辞儀し僕はまだ脱獄してゐない証拠としてちびつけのブハーリンのような不精髯の間から朝々はったと看守をにらみつけたこれが僕らの挨拶だった朝になると、窓が右からかげって来た夜になると、窓が左からかげって来たそのたびにアスファルトのどす黒い影が... | |||
同志古味峯次郎 | 槙村浩 | 30分以内 | |
誰がこの困難無比の時代に労働者の利益のために最も正しい道を選んだか―――壁に頭を打ちあてるようなこの時代にその一つの例をおれは示そう―――確かに正しく!古味峯次郎君彼は鋼の中から打ち出され、飢餓の闘いが彼をボルセヴィキにまで鍛え上げた(1)彼は越知の狭い町はづれの小作兼自作農の家に生れたそしてこんな南国の山麓の息子たちがそうであるように十八の彼は嶺を越え花崗岩のはすに削られた灰青色の... | |||
探検実記 地中の秘密 | 江見水蔭 | 30分以内 | |
――初めての發掘――權現臺の歴史――貝層より石棒――把手にあらで土偶――元日の初掘り――朱の模樣ある土器――奇談――珍品――地主と駄菓子――鷄屋の跡――太古遺跡の發掘に、初めて余が手を下したのは、武藏の權現臺である。 | |||
最近欧米に於ける財政経済事情 | 井上準之助 | 30分以内 | |
[#ページの左右中央]例言本編は大正十三年九月一日芝公園協調会館に開催の教化団体聯合会主催震災記念国力振興大講演会に於ける前大蔵大臣井上準之助氏の講演速記を謄写したものである。 | |||
ロビンソン・クルソオ | 森鴎外 | 30分以内 | |
人物主人客譯者場所主人の書齋。 | |||
〔『支那思想と日本』初版〕まえがき | 津田左右吉 | 30分以内 | |
この書の第一部は「日本に於ける支那思想移植史」と題して、岩波講座の『哲学』の昭和八年一月発行の部分に載せたもの、第二部は「文化史上に於ける東洋の特殊性」という題名の下に、同じ講座の『東洋思潮』のために、昭和十一年のはじめに書いたものである。 | |||
偶言 | 津田左右吉 | 30分以内 | |
日本人の趣味は淡泊である、清楚である、または軽快である、濃艶な、重くるしい、はでやかな、または宏大なものは好まない、だから、――というような話が今でもまだ或る程度まで真実らしく、いわれもし聞かれもしている。 | |||
史論の流行 | 津田左右吉 | 30分以内 | |
奇なるかな世潮の変遷、試に最近数年間の文学界を回顧せば年ごとに流行の一新するあるを見る。 | |||
神代史の研究法 | 津田左右吉 | 30分以内 | |
今日に伝わっている我が国の最古の史籍たる『古事記』と『日本書紀』との巻頭にはいわゆる神代の巻という部分がある。 | |||
陳言套語 | 津田左右吉 | 30分以内 | |
僕のような融通のきかない学究がこういう雑誌に書くということは、甚だ不似合な仕わざであろうと思う。 | |||
東洋文化、東洋思想、東洋史 | 津田左右吉 | 30分以内 | |
東洋文化とか東洋思想とかいう語が西洋文化または西洋思想と対立する意味において一部の人士に用いられるのは、かなり久しい前からのことであって、日本人の文化、日本人の思想がやはりその東洋のであり、従ってそれが西洋のに対立するものの如く説かれるのである。 | |||
流れ行く歴史の動力 | 津田左右吉 | 30分以内 | |
諸君、私は二ツの道と題して置きましたが、二ツの道とは何であるか、それはこの社会、世の中の進歩に就て確かに二ツの道があるというのであります。 | |||
歴史の矛盾性 | 津田左右吉 | 30分以内 | |
歴史の領域は過去にある。 | |||
メメント モリ | 田辺元 | 30分以内 | |
西洋には古くからメメントモリ Memento mori(死を忘れるな)というラテン語の句がある。 | |||
書物を愛する道 | 柳田国男 | 30分以内 | |
岩波文庫をはじめ、今日弘く行われて居る数々の「文庫もの」に対して、我々古い人間の包みきれない不満は、あまりにも外国の著作が多過ぎるという一点である。 | |||
日本その日その日 | 石川千代松 | 30分以内 | |
一八八七年の春英国で科学の学会があった。 | |||
愛か | 李光洙 | 30分以内 | |
文吉は操を渋谷に訪うた。 | |||
雑木林の中 | 田中貢太郎 | 30分以内 | |
明治十七八年比のことであった。 | |||
社会事情と科学的精神 | 石原純 | 30分以内 | |
近時において世界はあらゆる混乱に陥り、すべての国家は険悪な難路を歩みつつあること周知のごとくである。 | |||
いわゆる自然の美と自然の愛 | 丘浅次郎 | 30分以内 | |
教育学の書物を開いて見ると、博物学の教育的価値を論ずるところにかならず次の一か条が掲げてある。 | |||
改善は頭から | 丘浅次郎 | 30分以内 | |
昨年は二十歳の娘で自殺をしたのが幾人もあった。 | |||
境界なき差別 | 丘浅次郎 | 30分以内 | |
この題目を見て、奇態な題と考える人があるかも知れぬ。 | |||
理科教育の根底 | 丘浅次郎 | 30分以内 | |
近頃は理科奨励の声がすこぶる高い。 | |||
生きているコタンの銅像 | 知里真志保 | 30分以内 | |
銅像が皆の手で作られた白老のシュバイツァーとして、すでに貴重な存在になっている高橋房次氏が、今度白老町の住民一同から銅像をおくられることになったという。 | |||
言語と文化史 | 知里真志保 | 30分以内 | |
私は昨年の秋、当地に開かれた文化講座において、アイヌ民族は北方から渡来した民族であり、その渡来の経路は恐らくカムチャツカ方面から千島列島を南下して北海道へ渡り、その一分派は太平洋沿岸を南下して釧路、十勝の浜伝いにエリモの崎を越えて日高のシズナイの辺まで進み、また他の一派はオホーツク海に沿うて北上し、宗谷から一つの分派を樺太に送り、他の一分派は日本海沿岸を南下して、ユーラップ、オシャマンベの辺で二つに分かれ、一つの分派は函館の方へ行って津軽海峡を渡り、東北地方を占拠し、また他の分派はオシャ... | |||
性に関するアイヌの習俗 | 知里真志保 | 30分以内 | |
前言従来、史家の多くは性の問題に関するかぎりことさらに触れようとしなかった。 | |||
仏法僧鳥 | 斎藤茂吉 | 30分以内 | |
大正十四年八月四日の朝奈良の宿を立って紀伊の国高野山に向った。 | |||
森の生活――ウォールデン―― | 神吉三郎 | 30分以内 | |
ソーロー Thoreau の『ウォールデン―森の生活』(Walden, or Life in the Woods)はアメリカの代表的古典の一つである。 | |||
私の子供時分 | 伊波普猷 | 30分以内 | |
私の子供の時分のことを書いてくれとのことであるが、当時の事はおおかた忘れてしまって、記憶にのこっている部分はいたって少い。 |