30分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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痍のあと | 長塚節 | 30分以内 | |
豆粒位な痍のあとがある。 | |||
鉛筆日抄 | 長塚節 | 30分以内 | |
八月二十九日▲黄瓜松島の村から東へ海について行く。 | |||
弥彦山 | 長塚節 | 30分以内 | |
新潟の停車場を出ると列車の箱からまけ出された樣に人々はぞろ/\と一方へ向いて行く。 | |||
松虫草 | 長塚節 | 30分以内 | |
泉州の堺から東へ田圃を越えるとそこに三つの山陵がある。 | |||
旅の日記 | 長塚節 | 30分以内 | |
九月一日金華山から山雉の渡しを鮎川の港までもどつた。 | |||
菜の花 | 長塚節 | 30分以内 | |
奈良や吉野とめぐつてもどつて見ると、僅か五六日の内に京は目切と淋しく成つて居た。 | |||
白瓜と青瓜 | 長塚節 | 30分以内 | |
庄次は小作人の子でありました。 | |||
闇桜 | 樋口一葉 | 30分以内 | |
(上)隔ては中垣の建仁寺にゆづりて汲(くみ)かはす庭井の水の交はりの底きよく深く軒端に咲く梅一木に両家の春を見せて薫りも分ち合ふ中村園田と呼ぶ宿あり園田の主人は一昨年なくなりて相続は良之助廿二の若者何某学校の通学生とかや中村のかたには娘只一人男子もありたれど早世しての一粒ものとて寵愛はいとゞ手のうちの玉かざしの花に吹かぬ風まづいとひて願ふはあし田鶴の齢ながゝれとにや千代となづけし親心にぞ見ゆらんものよ栴檀(せんだん)の二葉三ツ四ツより行末さぞと世の人のほめものにせし姿... | |||
旧聞日本橋 | 長谷川時雨 | 30分以内 | |
角の荒物屋が佐野吾八さんの代にならないずっと前――私たちまだ宇宙にブヨブヨ魂が漂っていた時代――そこは八人芸の○○斎という名人がいたのだそうで、上げ板を叩(たた)いて「番頭さん熱いよ」とうめ湯をたのんだり、小唄をうたったりすると、どうしても洗湯の隣りに住んでる気がしたり、赤児が生れる泣声に驚かされたりしたと祖母がはなしてくれた。 | |||
旧聞日本橋 | 長谷川時雨 | 30分以内 | |
源泉小学校は大伝馬町の裏にあって、格子戸がはまった普通の家造りで、上って玄関、横に二階をもった座敷と台所。 | |||
旧聞日本橋 | 長谷川時雨 | 30分以内 | |
古屋島という名は昔の武者にでもありそうだし、明治維新後の顕官の姓名にもありそうだが、七兵衛さんというと大変心安だてにきこえる。 | |||
旧聞日本橋 | 長谷川時雨 | 30分以内 | |
――老母のところから、次のような覚書をくれたので、「大丸」のことはもっと後にゆっくりと書くつもりだったが、折角の志ゆえそのまま記すことにした。 | |||
旧聞日本橋 | 長谷川時雨 | 30分以内 | |
――老母よりの書信――鼠小僧の家は、神田和泉町ではなく、日本橋区和泉町、人形町通り左側大通りが和泉町で、その手前の小路が三光新道、向側――人形町通りを中にはさんで右側大通りが堺町、及がくや新道、水天宮は明治七、八年から芝三田辺より来られ候。 | |||
旧聞日本橋 | 長谷川時雨 | 30分以内 | |
鼠小僧の住んでいた、三光新道のクダリに、三光稲荷のあったことを書きおとした。 | |||
旧聞日本橋 | 長谷川時雨 | 30分以内 | |
木魚の顔の老爺さんが、あの額の上に丁字髷をのせて、短い体に黒ちりめんの羽織を着て、大小をさしていた姿も滑稽であったろうが、そういうまた老妻さんも美事な出来栄の人物だった。 | |||
旧聞日本橋 | 長谷川時雨 | 30分以内 | |
勝川のおばさんという名がアンポンタンに記憶された。 | |||
売春婦リゼット | 岡本かの子 | 30分以内 | |
売春婦のリゼットは新手を考えた。 | |||
岡本一平論 | 岡本かの子 | 30分以内 | |
「あなたのお宅の御主人は、面白い画をお描きになりますね。 | |||
二た面 | 泉鏡花 | 30分以内 | |
送り猫話は別にある……色仕掛で、あはれな娘の身の皮を剥(は)いだ元二と云(い)ふ奴、其(そ)の袷(あはせ)に一枚づゝ帶(おび)を添へて質入れにして、手に握つた金子一歩としてある。 | |||
十万石 | 泉鏡花 | 30分以内 | |
上こゝに信州の六文錢は世々英勇の家なること人の能く識る處(ところ)なり。 | |||
怪談女の輪 | 泉鏡花 | 30分以内 | |
枕に就いたのは黄昏の頃、之(これ)を逢魔が時、雀色時などといふ一日の内人間の影法師が一番ぼんやりとする時で、五時から六時の間に起つたこと、私が十七の秋のはじめ。 | |||
松の葉 | 泉鏡花 | 30分以内 | |
「團子が貰(もら)ひたいね、」と根岸の相坂の團子屋の屋臺へ立つた。 | |||
麦搗 | 泉鏡花 | 30分以内 | |
傳(つた)へ聞く、唐土長安の都に、蒋生と云(い)ふは、其(そ)の土地官員の好い處(ところ)。 | |||
朝 | 田山花袋 | 30分以内 | |
家の中二階は川に臨んで居た。 | |||
美的生活を論ず | 高山樗牛 | 30分以内 | |
序言古の人曰へらく、人は神と財とに兼ね事ふること能はず。 | |||
十日間 | 長塚節 | 30分以内 | |
三月二日、月曜、晴、暖、起床平日よりはやし、冷水浴、宵に春雨が降つたらしく屋根が濕つて居る、しかし雫する程ではない、書院の庭にしきつめてある松葉は松もんもが交つてるので目障りであるがけさは濡れて居るからいかにも心持がよい、庭下駄を穿いてぶら/\とあるく、平氏門に片寄つてさうして戸袋にくつゝいた老梅が一株は蕾がちで二株は十分に開いて居る、蕾には一つづゝ露が溜つてその露が折々松葉の上に落ちる、五片六ひら散つて松葉にひつゝいてるのが面白い、まだ散る頃ではないから大方春雨の板... | |||
撃剣興行 | 長塚節 | 30分以内 | |
「一刀流神傳無刀流開祖從三位山岡鐵太郎門人」「鹿島神傳直心影流榊原建吉社中東京弘武會員」といふ長々しい肩書のついた田舍廻りの撃劍遣ひの興行があるといふので理髮床や辻々の茶店に至るまでビラが下つた、撃劍の興行といふのが非常に珍らしいのにその中には女の薙刀つかひが居るといふのと、誰でも飛入の立合ができるといふのと、女の薙刀つかひを打負したものには銀側時計を呉れるといふことゝで界隈の評判になつた、興行の日は舊の三月三日で桃の節句をあて込みであつたが、生憎その日の空が怪しかつたので次の日へ日おく... | |||
商機 | 長塚節 | 30分以内 | |
汽車から降りると寒さが一段身に染みる。 | |||
東西伊呂波短歌評釈 | 幸田露伴 | 30分以内 | |
東京と西京とは、飲食住居より言語風俗に至るまで、今猶頗(すこぶ)る相異なるものあり。 | |||
かけはしの記 | 正岡子規 | 30分以内 | |
浮世の病ひ頭に上りては哲学の研究も惑病同源の理を示さず。 | |||
槍ヶ岳紀行 | 芥川竜之介 | 30分以内 | |
島々と云ふ町の宿屋へ着いたのは、午過ぎ――もう夕方に近い頃であつた。 | |||
白帝城 | 北原白秋 | 30分以内 | |
「ほら、あれがお城だよ。 | |||
霧の旅 | 吉江喬松 | 30分以内 | |
北國街道の上には夏草がのびてゐた。 | |||
中条精一郎の「家信抄」まえがきおよび註 | 宮本百合子 | 30分以内 | |
父は、ものを書くのが特に好きというのではなかったようですが、一般にまめであった性質から、結局はなかなかの筆まめであるという結果になって居たと思います。 | |||
日本ライン | 北原白秋 | 30分以内 | |
舟は遡る。 | |||
大島行 | 林芙美子 | 30分以内 | |
一信思ひたつた旅ながら船出した咋夜から今朝にかけて、風雨激しく、まぢかく大島の火の山が見えてゐながら上陸が仲々困難でした。 | |||
日光 | 田山花袋 | 30分以内 | |
野州はすぐれた山水の美を鍾(あつ)めてゐるので聞えてゐる。 | |||
伊香保 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。 | |||
榛名 | 横光利一 | 30分以内 | |
眞夏の日中だのに褞袍(どてら)を着て、その上からまだ毛絲の肩掛を首に卷いた男が、ふらふら汽車の中に這入つて來た。 | |||
塩原日記 | 岩野泡鳴 | 30分以内 | |
十月廿七日、晴。 | |||
山を想ふ | 水上滝太郎 | 30分以内 | |
富士の嶺はをみなも登り水無月の氷のなかに尿垂るとふ與謝野寛氏の歌だ。 | |||
湖水めぐり | 野上豊一郎 | 30分以内 | |
大正八年八月四日。 | |||
幻想 | 有島武郎 | 30分以内 | |
彼れはある大望を持つてゐた。 | |||
津浪と人間 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙(な)ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。 | |||
颱風雑俎 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
昭和九年九月十三日頃南洋パラオの南東海上に颱風の卵子らしいものが現われた。 | |||
震災日記より | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
大正十二年八月二十四日曇、後驟雨子供等と志村の家へ行った。 | |||
潮霧 | 有島武郎 | 30分以内 | |
南洋に醗酵して本州の東海岸を洗ひながら北に走る黒潮が、津輕の鼻から方向を變へて東に流れて行く。 | |||
東洋史上より観たる明治時代の発展 | 桑原隲蔵 | 30分以内 | |
歳月流るるが如く、明治天皇の後登遐後、早一年を經た。 | |||
『尚書』の高等批評 | 白鳥庫吉 | 30分以内 | |
東洋協會講演會に於いて、堯舜禹の實在的人物に非ざるべき卑見を述べてより已に三年、しかもこの大膽なる臆説は多くの儒家よりは一笑に附せられしが、林〔泰輔〕氏の篤學眞摯なる、前に『東洋哲學』に(余は近時林氏の注意によりて之を知れるなり)、近く『東亞研究』に、高説を披瀝して教示せらるゝ所ありき。 | |||
夜の浪 | 水野仙子 | 30分以内 | |
どちらから誘ひ合ふともなく、二人は夕方の散歩にと二階を下りた。 |