5分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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明治三十四年東京帝国大学文学部卒業生に | 小泉八雲 | 5分以内 | |
一九〇六年五月二十六日東京親愛なる學生及び友人諸君、私は一九〇一年の卒業生諸君の立派な寫眞、及びそれぞれの肖像に小さい索引をつけて下さつた思慮深き御親切に對して、心から御禮を申します、――その御親切は私自身のやうな近眼の者が本當に有難く思ふ事です。 | |||
書の深淵 | 高村光太郎 | 5分以内 | |
書をみるのはたのしい。 | |||
書をみるたのしさ | 高村光太郎 | 5分以内 | |
書を見てゐるのは無條件にたのしい。 | |||
美 | 高村光太郎 | 5分以内 | |
私は美術のことに從つてゐる者なので、この世の美について常に心を用ゐざるを得ない。 | |||
一顆の栗一顆の小なし | 小穴隆一 | 5分以内 | |
花巻・盛岡を巡つて帰つて、私は一顆の栗一顆の小なしを茶の間の卓上に置いてをいた。 | |||
美 | 高村光太郎 | 5分以内 | |
いつたん此世にあらわれた以上、美は決してほろびない。 | |||
美の影響力 | 高村光太郎 | 5分以内 | |
非目前的なのが美の持つ影響力の特質である。 | |||
蝶が飛ぶ 葉っぱが飛ぶ | 河井寛次郎 | 5分以内 | |
戦争も終りに近づいた頃でありました。 | |||
鬼哭寺の一夜 | 夏目漱石 | 5分以内 | |
百里に迷ふ旅心、古りし伽藍に夜を明かす。 | |||
従軍行 | 夏目漱石 | 5分以内 | |
吾に讎あり、艨艟吼ゆる、讎はゆるすな、男兒の意氣。 | |||
水底の感 | 夏目漱石 | 5分以内 | |
水の底、水の底。 | |||
雛祭りとお彼岸 | 折口信夫 | 5分以内 | |
明治以後、暦法の変化によって年中行事の日取りが変ったものと、変らないものとがある。 | |||
既成宗教の外 | 与謝野晶子 | 5分以内 | |
人間の思慮の及ぶ所には限度がある。 | |||
現代と浄土宗 | 佐藤春夫 | 5分以内 | |
現代と宗教現代は科学の時代であるという。 | |||
伊豆大島の話 | 柳田国男 | 5分以内 | |
○大島の野増村にはシツナ神といふ女體の神があつて、近い頃までも稀には男を呪ふ女が祈願をかけたといふ話を聽いたが、本當のことであらうか。 | |||
瀬戸内海の海人 | 柳田国男 | 5分以内 | |
藝州御手洗(豐田町大崎下島)の邊で聽いた話。 | |||
汗 | 岡本かの子 | 5分以内 | |
――お金が汗をかいたわ」河内屋の娘の浦子はそういって松崎の前に掌を開いて見せた。 | |||
五月の朝の花 | 岡本かの子 | 5分以内 | |
ものものしい桜が散った。 | |||
雪の日 | 岡本かの子 | 5分以内 | |
伯林カイザー街の古い大アパートに棲んで居た冬のことです。 | |||
大唐田または唐干田という地名 | 柳田国男 | 5分以内 | |
トウボシという稲について、本誌紙上質問の第一号に答を求めたのは自分であった。 | |||
今の写生文 | 島村抱月 | 5分以内 | |
▲英國現代の文學者に、ホワイトといふ人がある。 | |||
現代の文脈 | 島村抱月 | 5分以内 | |
日本の文章は今や急速の勢を以て變じつゝある。 | |||
あじさい | 佐藤春夫 | 5分以内 | |
――あの人があんなふうにして不意に死んだのでなかったら、仮にまあ長い患のあとででもなくなったのであったら、きっと、あなたと私とのことを、たとえばいいとか決していけないとか、何かしらともかくもはっきりと言い置いたろう……わたしはどうもそんな気がするのです。 | |||
指 | 江戸川乱歩 | 5分以内 | |
患者は手術の麻酔から醒めて私の顔を見た。 | |||
文学史の第一着は出たり | 北村透谷 | 5分以内 | |
關根正直氏の手に成りたる「小説史稿」は兔に角日本文學史の第一着手なり。 | |||
『言苑』跋 | 新村出 | 5分以内 | |
『辞苑』出でて茲に三星霜、幸に大方人士の歓迎と支援とを得て、版を重ぬること実に百八十有二、編者の洵に欣幸とする所である。 | |||
『言林』跋 | 新村出 | 5分以内 | |
ここにわが親愛なる『言林』の完成に当って一言を述べて記念としたいと思う。 | |||
『言林』改訂版の序 | 新村出 | 5分以内 | |
旧版の『言林』は、昭和二十四年(一九四九年)の早春に出たのであったが、幸にして一般文化界、殊に教育界や読書界に普及し歓迎されて、編著および発行に従事協力しあったわれわれが均しく喜んでやまなかった所であった。 | |||
『言林』新版序 | 新村出 | 5分以内 | |
われわれの文化生活のうち、日常ないし教育および教養、いろいろの場合において、専門辞書は別として、普通辞書が欠くべからざることは、今更特筆するにも及ばないが、編者の如き、永年国語の学習や研究や教育に従事し来たった者にとっても、座右常に手ばなせない物は、小中辞典である。 | |||
『小言林』あとがき | 新村出 | 5分以内 | |
編者はさきに『言林』を編集したが、全国書房社長田中秀吉氏は、更に適切な学習用国語辞典の乏しいことを遺憾として、これが編集を懇請された。 | |||
『新辞泉』序文 | 新村出 | 5分以内 | |
この辞典の編集方針など、必要な事は一切このあとの凡例(はんれい)にのべますから略しますが、要するに、今度はわたくしがこれ以前に出した中辞典のうち一つ二つとは違って、国語辞典の本体を成るべく固守して、百科辞書風のおもむきを脱却したことが一つの特点です。 | |||
『辞苑』跋 | 新村出 | 5分以内 | |
『辞苑』のここに完成を告ぐるに当つて一言述べたいと思ふ。 | |||
永井荷風 | 佐藤春夫 | 5分以内 | |
先生に関しては約半世紀の追想があり、既に蕪稿も千枚近く書いて来た。 | |||
最初の訪問 | 佐藤春夫 | 5分以内 | |
某年某月某日――この日づけは當時の彼の手紙を見ればはつきりわかる。 | |||
梅雨 | 横光利一 | 5分以内 | |
去年の梅雨には曇天が毎日續いた。 | |||
尊重すべき困つた代物 | 佐藤春夫 | 5分以内 | |
「青い花」に出てゐた一見童話風の、しかしその内部には近代人の自己分裂と精神薄弱の自己反省を伴つた現実感を、風の如く、さりげなくしみじみと漂はせて骨格の卑しくないもののあるのを発見したのは一年も前の事であつたらう。 | |||
ネクタイとステッキ | 佐藤春夫 | 5分以内 | |
ネクタイやステッキ。 | |||
一家 | 中野鈴子 | 5分以内 | |
わたしの祖先は代々が百姓であった八町はなれた五万石の城下町ゆきとどいた殿様のムチの下で這いまわった少しのことに重いチョウバツ百たたきの音が夜気を破った天保に生まれた祖父はいつも言った百姓のようなつらい仕事があろうか味無いもの食って着るものも着ず銭ものこらん金づちの川流れだわたしの父母は五人の子供を育てた父母は子供を百姓にさせる気はなかった二人の男の子は五つ六つから朝晩瀬戸の天神様へおまい... | |||
小林多喜二のお母さん | 中野鈴子 | 5分以内 | |
小林多喜二のお母さんあなたの長男である多喜二さんが死なれてから十九年の日が流れていますそしてあなたは八十才になられましたこの十九年の年月はお母さんにとってどのようなものでありましたでしょう戦争が敗けて日本共産党の人たちが赤い旗をかかげて刑務所から出てきた時あなたの喜びとかなしみはどんなでありましたでしょうその人たちが子供も育っている家庭を形作っているのをながめられたときのあなたの気持... | |||
母の手紙 | 中野鈴子 | 5分以内 | |
幸助けさ手紙をうけとったやっぱり達者でいてくれたかわたしは思わず手紙をおしいただいただもしやこの暑さでやられてでもいるのではないかと心配していたに牢やの中はどんなに暑いじゃろうねいそここそ地獄じゃもの夏は出来るだけ暑いように冬はなるべく寒いように仕掛けてあるんじゃろうさかいねコンクリで囲うた窓一つない箱みたいな建て物じゃと言うでないかようく障りなくいてくれた苦労ばかりかけてきたお母さんに... | |||
鴎外先生 | 永井荷風 | 5分以内 | |
凡てのいまはしい物の形をあからさまに照す日の光が、次第に薄らいで、色と響と匂のみ浮立つ黄昏の來るのを待つて、先生は「社會」と云ふ窮屈な室を出で、「科學」と云ふ鐵の門を後にして、決して躓いた事のない極めて規則正しい、寛濶な歩調で、獨り靜に藝術の庭を散歩する。 | |||
森先生の事 | 永井荷風 | 5分以内 | |
森先生の事に關してわたしは一時にいろ/\の雜誌や新聞から執筆を請はれてゐるが、今の場合何を書いてよいものか殆ど考をまとめる事ができない。 | |||
立秋 | 三好達治 | 5分以内 | |
この一隅に秋立つ日楓の幹を蟻が上る急げ急げ夕立がくる鳴神は隈取りをして灰色の兩手を擴げて――軒端を蜂が飛んでゐる。 | |||
三色旗 | 三好達治 | 5分以内 | |
微風晴れ雪の窓に葡萄酒を飮む。 | |||
作文三篇 | 南方熊楠 | 5分以内 | |
祝文當今開化文明ノ域ニ進入シ、積年ノ舊慣陋習ヲ一洗シ、文學ノ大ニ行ハルヽヤ、僻陬ノ村落ト雖モ聖教ニ沐シ、徳化ニ浴セサルハ無ク、各其業トスル所ヲ得ル。 | |||
綜合大学を迎へて | 会津八一 | 5分以内 | |
綜合大學が新潟に出來ることに本ぎまりにきまつたといふことはまことにうれしい。 | |||
大学とその総長 | 会津八一 | 5分以内 | |
綜合大學を作るのに、まづもつて、何よりも大切なのは、よき總長を得ることだといふやうな意見を、最近何處かで見たが、これはとんでもない大まちがひの意見で、私は、びつくりしてしまつた。 | |||
夏 | 中原中也 | 5分以内 | |
私が貧乏で、旅行としいへば殆んど夏にしかしないからかも知れない、………夏と聞くと旅愁が湧いて来て、却々「夏は四季のうち、自然の最も旺んなる時なり」どころではない、なんだか哀れにも懐しいといつた風で、扨この夏はどうしようかなと思ふと、忽ちに嘗て旅した何処かの、暑い暑い風景が浮んで来て、おもへば遠く来つるかなと、そいつた気持に胸はふくらむで来るのである。 | |||
天成の詩人 | 佐藤春夫 | 5分以内 | |
僕に「詩人馬鹿」といふ言葉がある。 | |||
分身の感あり | 佐藤春夫 | 5分以内 | |
堀口大学は越後長岡の藩士の家に、父九万一の東京帝国大学に遊学中、その本郷の寓に生れたといふ。 |
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