10分以内で読める岸田国士の短編作品
青空文庫で公開されている岸田国士の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
1-50件 / 全104件
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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“現代風俗”に就いて | 岸田国士 | 10分以内 | |
僕は近頃かういふことを考へる。 | |||
ふらんすの女 | 岸田国士 | 10分以内 | |
マダム用応接間にて――あなた、旦那さんのどういふところに、一番感心してゐらつしやる?――上手に嘘をつくところ。 | |||
巴里素描 | 岸田国士 | 10分以内 | |
ヴォルテエル河岸霧雨。 | |||
ラヂオ・ドラマ選者の言葉 | 岸田国士 | 10分以内 | |
ラヂオ文学といふ新しい様式について、私は常に興味をもち、なにか原理的なものを発見しようと心掛けてゐるのだが、放送局との関係も、別にそのために特殊な便宜を与へられてゐるわけではないから、なかなか思ふやうに研究もできないでゐる。 | |||
時計とステッキ | 岸田国士 | 10分以内 | |
私は、今、時計といふものを持つて歩かない。 | |||
物言う術 | 岸田国士 | 10分以内 | |
「物言ふ術」とは、仏蘭西語の ART DE DIRE を訳したつもりである。 | |||
懐かし味気なし | 岸田国士 | 10分以内 | |
本郷座の夜の部を見て何か言へといふ注文なのですが、私はまだ厳密な意味で、他人の作品を批評し得る自信はありません。 | |||
春秋座の「父帰る」 | 岸田国士 | 10分以内 | |
菊池氏の作品を実際舞台の上で見るのは、「忠直卿行状記」の脚色されたものを除いて、今度、本郷座にかゝつてゐる「浦の苫屋」と、それから、明治座の「父帰る」がはじめてである。 | |||
訳者より著者へ | 岸田国士 | 10分以内 | |
何しろ、僕は今まで、劇作家としてのあなたにより多くの親しみをもち、小説家乃至随筆家としてのあなたを殆んど識らなかつた。 | |||
芸術座の『軍人礼讃』 | 岸田国士 | 10分以内 | |
脚本について――同じショウのものでも、『ウォレン夫人の職業』と『アンドロクレスと獅子』との間には、殆ど一人の作家だけの距りがある。 | |||
『桜の園』の思ひ出と印象 | 岸田国士 | 10分以内 | |
○一九二二年の暮れ、モスコオ芸術座の一行が初めて巴里を訪れ、シャン・ゼリゼエ劇場の大舞台で、その華々しい上演目録の中から、特に純露西亜の作品数篇を選んで、旅興行の蓋をあけた。 | |||
チロルの旅 | 岸田国士 | 10分以内 | |
ヴェロナなるほど、………………………………。 | |||
武者小路氏のルナアル観 | 岸田国士 | 10分以内 | |
本誌七月号に「読んだ戯曲六篇について」批評の筆を取られた武者小路氏は、たまたま、拙訳になるルナアルの「日々の麺麭」に言及されてゐる。 | |||
小山内君の戯曲論 | 岸田国士 | 10分以内 | |
「……私は、此の牢屋のやうな暗い処で蠢いてゐる人間のために一つの窓を明けて、人間の貴さを見せてやる、それが芸術家の仕事ではないかと思つてゐる。 | |||
戯曲時代 | 岸田国士 | 10分以内 | |
雑誌の創作欄が、昨日までは小説のみで埋められてゐたのに反し、読み物としての戯曲が可なりの頁数を占めるやうになつた今日の時勢を、誰かゞ、名づけて戯曲時代と呼んでも、それは少しも不思議ではない。 | |||
アンリ・ルネ・ルノルマンについて | 岸田国士 | 10分以内 | |
仏蘭西の現代劇を通じて、「昨日の演劇」の余影と、「明日の演劇」の曙光とを、はつきり見分けることができるとすれば、前者は、観察と解剖の上に立つ写実的心理劇、並に、論議と思索とを基調とする問題劇であり、後者は、直感と感情昂揚、綜合と暗示に根ざす象徴的心理劇乃至諷刺劇である。 | |||
未完成な現代劇 | 岸田国士 | 10分以内 | |
私はこれから、日本の所謂「新劇運動」に対する考察、批判、研究の一端を、断片的にではあるが、そこから、努めてある一つの結論をひき出し得るやうに、述べて見るつもりである。 | |||
横槍一本 | 岸田国士 | 10分以内 | |
この頃、二三の人が新聞や雑誌でかういふ議論をしてゐる。 | |||
独断三幅対 | 岸田国士 | 10分以内 | |
二めい/\の表現傑れた戯曲が出ない。 | |||
島国的僻見 | 岸田国士 | 10分以内 | |
日本がだんだん欧米化しつゝあるといふ見方は、或る意味で肯首できるけれども、それを悦ぶものも、それを嘆くものも、もう一段高い処から見て、総ての民族が世界化しつゝあるのだと思へば、人類の超国境的進化を認めないものゝ外は、さまで、日本のみが特殊な境遇に置かれてあると信じる必要はあるまい。 | |||
海の誘惑 | 岸田国士 | 10分以内 | |
人影のない夕暮の砂浜を、たゞ一人、歩いてゐることが好きでした。 | |||
カルナツクの夏の夕 | 岸田国士 | 10分以内 | |
画家のO君から手紙が来て、静かな処だ、やつて来て見ろといふことでした。 | |||
傍観者の言 | 岸田国士 | 10分以内 | |
昔から、文芸上の論戦ほど、読んで面白く、考へると馬鹿々々しいものはない。 | |||
幕間 | 岸田国士 | 10分以内 | |
妙なことを云ふやうですが、僕は、芝居を観に行くたんびに、「劇場の空気」といひますか、あの幕間の数分間が醸しだす見物席乃至廊下の雰囲気を、そんなに有難いものだとは思はないのです。 | |||
あの日あの人 | 岸田国士 | 10分以内 | |
一九二二年の暮れ、スタニスラウスキイの率ゐるモスコオ芸術座の一行が巴里を訪れた。 | |||
兵営と文学 | 岸田国士 | 10分以内 | |
こゝで所謂「戦争文学」の話をしようとするのではない。 | |||
ブルタアニュの伝説より | 岸田国士 | 10分以内 | |
ブルタアニュは、同じ仏蘭西のうちでも、著しい特色をもつた地方である。 | |||
玉突の賦 | 岸田国士 | 10分以内 | |
「いくつお突きなります」「さあ、しばらく突かないんですが……」玉突く男は曲者。 | |||
ふらんす役者気質 | 岸田国士 | 10分以内 | |
役者の妻或劇場の初日である。 | |||
「追憶」による追憶 | 岸田国士 | 10分以内 | |
八月号で芥川竜之介氏の「追憶」といふ文章を読み、誰でも同じやうな追憶をもつてゐるものだといふことを知り、転た感慨を催した次第であるが、昨日、K社の山本氏に会ひ、たまたま芥川氏の近況を知ることを得た。 | |||
新劇のために | 岸田国士 | 10分以内 | |
美術館のないことと、いまだに共同風呂が行はれてゐることと、政治が酒色の巷で議せられることと、現代劇を演ずる劇場がないことと、わが国が特殊国たる所以を数へ上げれば、実際、きりがあるまい。 | |||
新劇運動の二つの道 | 岸田国士 | 10分以内 | |
「新劇運動」といふ言葉の意味は様々に用ひられてゐる。 | |||
梅雨期の饒舌 | 岸田国士 | 10分以内 | |
自分一人の力ではどうにもならないやうなことを、やれどうしなければならぬ、かうしなければならぬと、むきになつていふのは、落付いて考へて見ると、甚だ滑稽であり、ある種の人から見れば、さぞ片腹痛く思はれるであらうが、何時の時代にもまた何れの社会にも、かういふ「おせつかい」がゐて、頼まれもせぬことを、頭痛に病んでゐるらしい。 | |||
「明るい文学」について | 岸田国士 | 10分以内 | |
甲は云ふ――黒ずんだ文学にも少し飽きた。 | |||
「チロルの秋」上演当時の思ひ出 | 岸田国士 | 10分以内 | |
「チロルの秋」は私の第二作であつた。 | |||
映画の観客と俳優 | 岸田国士 | 10分以内 | |
映画はその歴史が若いやうに、映画の観客といふものは、概して非常に若い。 | |||
文化勲章に就て | 岸田国士 | 10分以内 | |
標題のやうな意味の感想をもとめられた。 | |||
ロツパの「楽天公子」 | 岸田国士 | 10分以内 | |
私の分担は「ロツパ劇」である。 | |||
旅の苦労 | 岸田国士 | 10分以内 | |
旅行は好きか、と、よく人に訊かれる。 | |||
北支の旅 | 岸田国士 | 10分以内 | |
去年の十月、私は或る雑誌社の委嘱によつて、戦乱の地北支那の一部を訪れた。 | |||
劇場と観客層 | 岸田国士 | 10分以内 | |
本誌(「改造」)に時評を書くのは初めてだから、多少今まで云つたことと重複する点もあるが、私が現在、最も痛切に感じてゐることを、ここでも云はして貰ふことにする。 | |||
東京朝日新聞の劇評 | 岸田国士 | 10分以内 | |
近頃変つた試みだと思ふのは、東京朝日がこの春あたりから始めた劇評の形式である。 | |||
テアトル・コメディイの二喜劇 | 岸田国士 | 10分以内 | |
金杉惇郎君は、なかなかの理論家で、演劇の実際家としても、一つの勇敢な主張を振り翳し、着々、劇界の地歩を占めつつあることは、私はじめ期待と興味をもつて眺めつつあるのであるが、同君は、先頃、「劇作」誌上に、日本の新劇が面白くないわけは、「歌ふな話せ、踊るな動け」といふ古臭い信条を今だに墨守してゐるからで、これからの新劇は、「話すな歌へ、動くな踊れ」でなければならぬ。 | |||
新劇の観客諸君へ | 岸田国士 | 10分以内 | |
私は、たしか去年の正月、某新聞の需めによつて、「劇壇へ」といふ一文を発表しました。 | |||
標題のつけ方 | 岸田国士 | 10分以内 | |
小説や戯曲の標題について、いろいろ知つてゐることを書けといふ註文で、これは恐らく試験ならば応用問題に属するのであらうが、私は、創作科の一学生として、今から与へられた枚数の答案を作つてみるつもりである。 | |||
新劇界の昨今 | 岸田国士 | 10分以内 | |
十年前(つまり震災直後)の新劇界は、戯曲の方面から見ても舞台の実際運動の方面から見ても、確かに華やかな時代であつたといへるが、その時代は新劇といふものは、まだ西洋劇あつての新劇であつた。 | |||
稽古のしかた | 岸田国士 | 10分以内 | |
僕が先日都新聞に書いた感想のなかで、「新劇を面白くする」方法として、大ざつぱな個条をいくつか挙げた中に、「稽古は少くとも二ヶ月間ぶつ通しでやること」といふ一ヶ条がある。 | |||
戯曲の生命と演劇美 | 岸田国士 | 10分以内 | |
日本の新劇が、従来西洋の芝居をお手本として「新しい演劇美」を取り入れようとした事実は、今日誰でも知つてゐることであるが、西洋の芝居のどこが面白いかといふことになると、それは誰もはつきりしたことが云へず、結局、脚本の文学的価値と、「演出」なる特殊な技術にその重心をおいて、万事が解決されたものの如く考へてゐたのである。 | |||
言葉の魅力 | 岸田国士 | 10分以内 | |
言葉といふものは、書かれる場合と話される場合とで、余程性質が違つて来るものである。 | |||
翻訳劇と翻案劇 | 岸田国士 | 10分以内 | |
翻訳劇といふ名称を私は好まぬ。 |
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