30分以内で読める岸田国士の短編作品
青空文庫で公開されている岸田国士の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
1-50件 / 全133件
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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秋の対話 | 岸田国士 | 30分以内 | |
桔梗芒女郎花こうろぎ風蛇少女老婆高原――別荘の前庭――秋遠景は、澄み渡つた空に、濃淡色とりどりの山の姿。 | |||
日本映画の水準について | 岸田国士 | 30分以内 | |
映画愛好者の分布がはつきり二つに別れてをり、一つは西洋映画フアン、一つは日本映画フアンであり、その間に、ほとんど共通な分子がなく、強いて求めれば専門の研究家ぐらゐのものだといふ事実を、日本の映画当事者はなんとみてゐるか?勿論、西洋映画フアンが悉く教養ある階級であるとも云へず、日本映画フアンがすべて無知識階級であるとも断言はできかねるが、大体に於て、西洋映画を求める序に、日本映画で満足する人々よりも、映画に対する鑑賞眼が高いばかりでなく、西洋そのものに魅力を感じ、西洋の人物と国情... | |||
舞台の言葉 | 岸田国士 | 30分以内 | |
舞台の言葉、即ち「劇的文体」は、所謂、白(台詞)を形造るもので、これは、劇作家の才能を運命的に決定するものである。 | |||
時 処 人 | 岸田国士 | 30分以内 | |
芝居の脚本を書くのには、まず、標題のつぎに、その劇が行われる時と場所と登場人物とを、はつきり書きあげるのが定石である。 | |||
美談附近 | 岸田国士 | 30分以内 | |
両袖献納川村節子さんは、未だ嘗て、人のせぬことをしたことはなかつた。 | |||
すべてを得るは難し | 岸田国士 | 30分以内 | |
弘子はいま幸福の絶頂にあつた。 | |||
記憶のいたづら | 岸田国士 | 30分以内 | |
妻の順子が急に、「どうも、怪しいわ。 | |||
悪態の心理 | 岸田国士 | 30分以内 | |
葉村ヨシエと佐原あつ子とは、いづれもある官庁の文書課に勤めてゐるタイピストで、二人は採用試験のあつた日にはじめて口をきき、希望がかなつていよいよ役所に顔を出すと、そこでもまたお互に幸運をよろこび合ひ、それ以来まる三年、机を並べて仕事をしてゐる間柄である。 | |||
菜の花は赤い | 岸田国士 | 30分以内 | |
かうと思つたらどうしてもそのことをやり遂げないと承知できない人物がゐる。 | |||
山形屋の青春 | 岸田国士 | 30分以内 | |
山形屋の若主人宇部東吉は東京へ商品の買ひ出しに出たきり、もう二週間も帰つて来ない。 | |||
劇場と作者 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一代の人気女優、ド・リュジイ嬢は、給料の問題で、作者にも金を払はなければならないと云ふことを聞いて、「何だつて。 | |||
築地小劇場の旗挙 | 岸田国士 | 30分以内 | |
日本にはじめて純芸術的劇場が建てられ、その当事者が、何よりもまづ未来に目的を置いて、根本的な演劇革新運動を起したといふことは、実に愉快である。 | |||
仏蘭西役者の裏表 | 岸田国士 | 30分以内 | |
日本でこそ、その昔は河原乞食とまで蔑まれ、大正の代にあつてすら、未だに芸人扱ひを受けてゐるわが俳優も、仏蘭西などでは、今も昔も、さぞ、威張つたものであらうと、かう思ふ人もあらうが、どうしてどうして、ルイ十四世大王の寵遇を一身に集めてゐた一代の果報者、モリエールさへ、一公爵が、その頭を抱いて撫でまわすに任せ、遂に釦の角で顔を擦りむいたほどである。 | |||
文学か戯曲か | 岸田国士 | 30分以内 | |
人道主義者ロマン・ロオランはまた民衆劇運動の唱道者である。 | |||
二つの答 | 岸田国士 | 30分以内 | |
仏蘭西の演劇聯盟乃至劇研究団体について何か書けといふ御註文ですが、御承知の通り、仏蘭西人は、頗る社交的であると同時に、極めて自立的で、社会的交際は盛んであるが、組織的団体を作ることはあまり好まない。 | |||
素面の管 | 岸田国士 | 30分以内 | |
文学を愉しむ文学者の少いことは一体わが国の誇りですか。 | |||
対話させる術 | 岸田国士 | 30分以内 | |
その国の一時代の文学が、外国文学の影響を受けたことに於て、明治以後の日本文学ぐらゐ著しい例はあるまい。 | |||
戯曲以前のもの | 岸田国士 | 30分以内 | |
現今戯曲として通用してゐる作品のうちには、若しもその主題を取つて小説としたならば、定めし読むに堪へないであらうやうな安価な作品が多い。 | |||
幕は開かない | 岸田国士 | 30分以内 | |
僕は嘗て『戯曲時代』といふ一文を『演劇新潮』に書いた。 | |||
劇作家としてのルナアル | 岸田国士 | 30分以内 | |
劇作家ルナアルは、ミュッセと共に、僕に戯曲を書く希望と興味と霊感とを与へてくれた。 | |||
新劇運動の一考察 | 岸田国士 | 30分以内 | |
僕は嘗て、今日われわれが「新劇運動」と称へるべきものは、明かに所謂近代劇運動なるものと区別して考へなければならないことを述べた。 | |||
俳優教育について | 岸田国士 | 30分以内 | |
あらゆる芸術の分野に於て、誰かが、自分こそは独自の道を歩いてゐる――何人からも、教へられるところはない――模倣は生来自分の性に合はない――と広言したならば、その人間はたしかに、自分の世界をせばめてゐる。 | |||
戯曲二十五篇を読まされた話 | 岸田国士 | 30分以内 | |
四月号の寄贈雑誌大小十六種のうちから、創作戯曲二十五種を選び出し、昨日(四日)まで暇を盗んで読んだ。 | |||
俳優の素質 | 岸田国士 | 30分以内 | |
昔から俳優の素質を論じる場合に、誰でも「感性」を第一に挙げてゐるが、これはつまり、他の芸術家の如く、一方に於て同じ程度の「想像力」を必要としない結果、「感性」の必要が著しく目立つからであらう。 | |||
劇的伝統と劇的因襲 | 岸田国士 | 30分以内 | |
批評家がいろいろの立場から作品の価値を論じることは自由であるが、文芸の種目(ジャンル)に関して、聊かも定見のないことを暴露するに至つては、甚だ心細い。 | |||
女優と劇作家 | 岸田国士 | 30分以内 | |
劇作家が自分の恋人を其の作品の女主人公にすることは、極めて有り得べきことである。 | |||
演劇漫話 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一、新劇と旧劇現今、芝居好きと称する人のうちで、旧劇はつまらないと云つて見に行かない人もあるでせう。 | |||
新劇界の分野 | 岸田国士 | 30分以内 | |
昨今の戯曲界を見渡すと、月々発表される戯曲の数こそ多いが、そして、その数の多いことが何となく華々しい外観を呈してゐるが、質の上からいへば、注目に値するものが寔に少い。 | |||
『ハイカラ』といふこと | 岸田国士 | 30分以内 | |
近頃の若い人達は、もうこんな言葉は使はないかもしれないが、それでも、言葉そのものは、まだなくなつてはゐない。 | |||
幕が下りて | 岸田国士 | 30分以内 | |
自分が芝居の実際方面に関係してから、まだ半年もたゝないのだが、その間に、色々の経験もなめた。 | |||
六号記 | 岸田国士 | 30分以内 | |
どうにもならぬことを、ひとりぶつぶつ云つてもしようがない、と思ふやうになつてゐることは事実である。 | |||
続言葉言葉言葉(その一) | 岸田国士 | 30分以内 | |
私は嘗て、「何かを云ふために戯曲を書くのではない。 | |||
日本に生れた以上は | 岸田国士 | 30分以内 | |
さあ、僕はどういふ風に云はうか?林君は熱情を見事に整理しつつ雄弁を振つてゐる。 | |||
現代日本の演劇 | 岸田国士 | 30分以内 | |
封建的、鎖国的な旧日本の文化は、所謂「能」と「歌舞伎」とを今日に残した。 | |||
批評家・作家・劇場人 | 岸田国士 | 30分以内 | |
最後の締めくくりをする順番だが、以上、小林、真船、千田三氏の文章を読み了つて、先づ第一に感じたことは、僕自身のなかにある三つの傾向が、はつきり分裂して、次ぎ次ぎに「走り」出した姿に似てゐるといふことであつた。 | |||
芝居と生活 | 岸田国士 | 30分以内 | |
「芝居と生活」といふ題をつけましたが、これは非常に突嗟に付けたのでありまして、かういふ表題なら何ういふことでも喋れるだらうと思つたからです。 | |||
官立演劇映画学校の提唱 | 岸田国士 | 30分以内 | |
演劇と映画とは元来なら別々に論ぜられなければならぬ要素をそれぞれにもつてゐるのであるが、現在の日本では、この二つの部門が、その芸術的水準と文化的役割とに於いて、寧ろより多く共通な問題を含んでゐることを見逃してはならぬと思ふ。 | |||
最近の戯曲について | 岸田国士 | 30分以内 | |
今年のことだけを取りたてゝいふ興味はもはやない。 | |||
今月の感想 | 岸田国士 | 30分以内 | |
雑誌を一度に隅から隅まで読むのは辛いから、私は、さういふ義務を負はない約束で、この文章を書くことにした。 | |||
新劇の行くべき途 | 岸田国士 | 30分以内 | |
事変下の所謂「思想統制」が演劇興行の上にまで及んで来たことは、これは止むを得ないものとして、われわれは寧ろ積極的に、その結果を本来の目的に副はしめるやう努力しなければならぬと思ふ。 | |||
演出について | 岸田国士 | 30分以内 | |
以前は単に「舞台監督」と呼ばれてゐた者が、今日では「演出者」といふ名称を与へられ、その下に、更に「舞台監督」なるものや、「演出助手」なるものが従属するやうなシステムを、少くとも新劇団体の間で採用してゐるのは、多分、築地小劇場あたりの「独逸流演出法」から範を取つたものだと思はれるが、近代に於ける演劇革命の一特色が、舞台労役の組織化に在つたとすれば、この大がかりな命令系統の樹立は、あながち無益なことではあるまい。 | |||
演劇の大衆性 | 岸田国士 | 30分以内 | |
文学に於ける大衆性といふ問題が云々される今日、私は私で、一つの意見をもつてゐないでもないが、直接その問題に対する興味からでなく、いはば現代に於けるわが演劇壇の危機に直面して、その道の人達が誰でも考へてゐる空漠とした打開策の上に、私一個の理論を打ち樹ててみようと思ふのである。 | |||
周囲に聴く | 岸田国士 | 30分以内 | |
新劇を繞る論議近頃芝居に関する諸家の意見といふやうなものを瞥見すると、いろいろ興味のある問題が含まれてゐるやうである。 | |||
なんとかせねばならぬ | 岸田国士 | 30分以内 | |
僕はこの十年以来、芝居についての意見又は感想を書きつづけて来た。 | |||
演劇・法律・文化 | 岸田国士 | 30分以内 | |
芸術家擁護の現行法「芸術」と「法律」とはそんなに縁の遠いものではないといふことを、私は近頃いろいろな機会に感じるのであるが、この両者の接近が、どうかすると、一国の精神文化の水準を示してゐるのではないかとさへ思はれることがある。 | |||
演劇当面の問題 | 岸田国士 | 30分以内 | |
戯曲不振の理由「戯曲家は生れながら戯曲家である」といふやうなことも云はれるが、しかしまた、戯曲家が戯曲家たる動機は、小説家が小説家たり、詩人が詩人たる動機と決して異つたものであるとは云へないのであつて、少くとも今日までの歴史を通じてみれば、多くの例が、その点について興味のある事実を語つてゐるのである。 | |||
言葉の魅力[第一稿] | 岸田国士 | 30分以内 | |
「言葉」といふものは、単に思想や感情を伝へる記号として、日常生活に欠くべからざるものであるばかりでなく、ある一人の使ふ「言葉」は、万人共通の意味をもつと同時に、その人に「固有にあるもの」を現はしてゐるのであつて、この点から見れば、それは人間の「表情」に近いものである。 | |||
演劇本質論の整理 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一、弁明本誌(新潮)八月号に発表された岩田豊雄氏の文章「演劇本質論の検討」を読んで、僕はいろいろのことを感じた。 | |||
日本の新劇 | 岸田国士 | 30分以内 | |
現在いろいろな場合に新劇といふ言葉が使はれてをりますが、先日もある機会に、「新劇」とはなんぞやといふ質問が出ましたのに、この答へを当然用意してゐなければならない人々が、実はお互に顔を見合せて苦笑をした次第であります。 | |||
新劇倶楽部創立に際して | 岸田国士 | 30分以内 | |
非常に漠然とした提議の内容でありましたが、それにも拘はらず大体の趣旨に御賛成の上でありませう、今日、わざわざここへお集り下さいましたことは、私として感謝にたへません。 |
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