青空文庫の全作品
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| 作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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| 作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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| 夜汽車の中で | 竹内浩三 | 5分以内 | |
ふみきりのシグナルが一月の雨にぬれて ボクは上りの終列車を見て 柄もりの水が手につめたく かなしいような気になって なきたいような気になって わびしいような気になって それでも ためいきも なみだも出ず ちょうど 風船玉が かなしんだみたい 自分が世界で一番不実な男のような気がし 自分が世界で一番いくじなしのような気がし それに それがすこしもはずかしいと思えず とほうにくれて雨足を見たら いく | |||
| 演習二 | 竹内浩三 | 5分以内 | |
丘のすそに池がある 丘の薄は銀のヴェールである 丘の上につくりもののトオチカがある 照準の中へトオチカの銃眼をおさめておいて おれは一服やらかした 丘のうしろに雲がある 丘を兵隊が二人かけのぼって行った 丘も兵隊もシルエットである このタバコのもえつきるまで おれは薄の毛布にねむっていよう | |||
| 冬に死す | 竹内浩三 | 5分以内 | |
蛾が 静かに障子の桟からおちたよ 死んだんだね なにもしなかったぼくは こうして なにもせずに 死んでゆくよ ひとりで 生殖もしなかったの 寒くってね なんにもしたくなかったの 死んでゆくよ ひとりで なんにもしなかったから ひとは すぐぼくのことを 忘れてしまうだろう いいの ぼくは 死んでゆくよ ひとりで こごえた蛾みたいに | |||
| 雲 | 竹内浩三 | 5分以内 | |
空には 雲がなければならぬ 日本晴れとは 誰がつけた名かしらんが 日本一の大馬鹿者であろう 雲は 踊らねばならぬ 踊るとは 虹に鯨が くびをつることであろう 空には 雲がなければならぬ 雲は歌わねばならぬ 歌はきこえてはならぬ 雲は 雲は 自由であった | |||
| 射撃について | 竹内浩三 | 5分以内 | |
松の木山に銃声がいくつもとどろいた 山の上に赤い旗がうごかない雲を待っている 銃声が止むと ごとんごとんと六段返しみたいに的が回転する おれの弾は調子づいたとみえて うつたびに景気のいい旗が上った おれの眼玉は白雲ばかり見ていた | |||
| 故郷を辞す | 室生犀星 | 60分以内 | |
家のものが留守なんで一人で風呂の水汲をして、火を焚きつけいい塩梅にからだに温かさを感じた。 | |||
| 無題(故海野十三氏追悼諸家文集) | 野村胡堂 | 5分以内 | |
「海野さんのものを全部読まして下さい」と言って来た、若い電気学生があった。 | |||
| 牛捨場馬捨場 | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
今もなお諸所に小字を牛捨場または馬捨場と称する所がある。 | |||
| 賤民概説 | 喜田貞吉 | 1時間〜 | |
1 緒言 「賤民」の研究は我が民衆史上、風俗史上、最も重要なる地位を占むるものの一つとして、今日の社会問題を観察する上にとっても、参考となすべきものが少くない。 | |||
| 俗法師考 | 喜田貞吉 | 1時間〜 | |
俗法師考序論 1 緒言 斯道において先輩たる柳田國男君が、かつてその経営に係わる『郷土研究』の誌上において、「毛坊主考」(大正三―四年、第二巻一―一二号)の題下に特殊民と在俗法師との関係につき、長々しく研究を連載せられたことがあった。 | |||
| 特殊部落ということについて | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
余輩がさきに「特殊部落研究号」(本誌二巻一号)を発行して、いわゆる特殊部落なるものの由来沿革を明らかにし、彼らが決してことに疎外排斥せらるべき性質のものにあらざる所以を説明すべく試みた事は、読者諸君の今なお耳目に新たなることと信ずる。 | |||
| 放免考 | 喜田貞吉 | 60分以内 | |
1 賀茂葵祭の放免 本願寺葬儀参列の宝来の事に関連して、前号までに一と通り祇園の犬神人の観察を終った自分は、これに次いでさらに賀茂の葵祭に関連して、「放免」なるものの由来変遷を観察すべき順序となった。 | |||
| 融和促進 | 喜田貞吉 | 1時間〜 | |
この小冊子はいかにして融和を促進すべきかということを主として説述したもので、いわゆる特殊部落民なるものは、決して普通部落民と筋の違ったものではなく、ただ昔の落伍者のある者が、その択んだ職業によって、当時の社会の迷信と、階級的意識の犠牲となったにほかならぬということを述べたに止どまり、私の特に宣伝したいと思うところの、歴史的の説明にはあまり多く及ぶことができませんでした。 | |||
| 濫僧考 | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
「民族と歴史」八巻五号所載「旃陀羅考」中にちょっと述べておいた濫僧の事を、今少し精しく考証してみる。 | |||
| 濫僧考補遺 | 喜田貞吉 | 10分以内 | |
本誌三月号(九巻三号)に「濫僧考」と題して、社会の落伍者が沙門の姿に隠れて、賤職に従事しつつ世を渡ったことを述べ、それを鎌倉時代にはエタと同視していた次第を明らかにしておいた事であったが、その後さらに二三の資料の存在に気がついたから、いささか前文の不備を補っておく。 | |||
| 古い暦 | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
坪内先生は、御老齢ではあったけれど、先生の死などということを、考えもしなかったのは我ながら不覚だった。 | |||
| 金解禁前後の経済事情 | 井上準之助 | 60分以内 | |
金解禁前後の經濟事情に就て 我國に於て大正六年九月十二日に金の輸出禁止を實行して以來十三年の間金の輸出禁止が日本の經濟界に與へた惡影響は可なり大なるものであつて、此の間金解禁の計畫をしたのは一再に止まらなかつたが、種々の事情の爲めに其の實現が出來なかつた。 | |||
| ベートーヴェンの生涯 | ロマン・ロラン | 10分以内 | |
音楽について Il n'y a pas de r※gle q※one ne peut blesser ※ cause de Sch※ner 「さらに美しい」ためならば、破り得ぬ(芸術的)規則は一つもない。 | |||
| ベートーヴェンの生涯 | ロマン・ロラン | 60分以内 | |
[#ページの左右中央] 付録 ベートーヴェンへの感謝* ロマン・ロラン ヴィーンにおけるベートーヴェン記念祭の講演 [#改丁] われわれの生活の偉大な伴侶であってくれたその人に、私は、この一時代の感謝の言葉を――Dankgesang(感謝の歌)をささげる。 | |||
| ベートーヴェンの生涯 | ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン | 10分以内 | |
『田園交響曲』は絵画的な描写ではない。 | |||
| 洛北深泥池の蓴菜 | 北大路魯山人 | 5分以内 | |
じゅんさいというものは、古池に生ずる一種の藻草の新芽である。 | |||
| 若狭春鯖のなれずし | 北大路魯山人 | 5分以内 | |
さばずしはなんと言っても古来京都が本場である。 | |||
| 道は次第に狭し | 北大路魯山人 | 30分以内 | |
先日、ある雑誌記者来訪、「ものを美味く食うにはどうすればいいか」とたずねた。 | |||
| 料理一夕話 | 北大路魯山人 | 30分以内 | |
料理の話? 君、料理の話をしたってムダだよ。 | |||
| 芳賀君を悼みて | 上田万年 | 5分以内 | |
みそとせをふみのはやしにしをりしてともにすゝみつあはれきみはも きみゆかはわれいしふみをえらはむとちきりしきみはわれにそむきぬ かくとしらはすへてをおきてやすらかにくらしたまへととかさりしものを にしへにまれにいみるひとちかきよにたえてなきひとくにはうしなひぬ みはふりのうたよみをへておくれしとみあとおひけむひとそかなしき よもすからわれいねかてにあかしつるこのよにきみはかんさりましぬ | |||
| 晴天 | 仲村渠 | 5分以内 | |
僕はまどに凭つてひとを待つ 空は 青い空は晴れるばかり どこか 格納庫のよこで一等飛行士は眺めてゐる 空を空を 彼のうへに晴れる空を | |||
| 蹠 | 仲村渠 | 5分以内 | |
円錐形のさきで僕ひとり。 | |||
| 某 | 仲村渠 | 5分以内 | |
初夏ともなれば百円ぐらゐのパナマ帽がいたについて見ばえのある風格をみよ ちと遊びに来給へと名刺をくれるのだ 名刺といへばかれもまた一流の名士にして普く 八方に疎通してあますところは無いのである さつそく鄭重な御供物をおくり盛大な葬儀に列してゐるを見る 門札をうつて居を構へてゐる その収入の道その収入のほどは 否 税務署の吏員氏さへ難渋するのだから 今 これを窺ふべくもないのである 午後かれを訪問す | |||
| 現代能書批評 | 北大路魯山人 | 60分以内 | |
まえがき 人の価値は、厳密にいえば、棺を覆うて始めて決まる。 | |||
| 南浦紹明墨蹟 | 北大路魯山人 | 5分以内 | |
南浦紹明(大応国師)は、宋の虚堂の法嗣で大燈国師のお師匠さん、建長寺の蘭渓道隆の門に参じたことがあり、宋から帰って後に筑前の崇福寺におること三十年、関西を風靡した。 | |||
| 魂を刳る美 | 北大路魯山人 | 5分以内 | |
陶器だけで美はわからぬ。 | |||
| なぜ作陶を志したか | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
なぜあなたは陶器を作るようになったか、とよく人から訊ねられるが、自分は言下に、それは自分の有する食道楽からそもそもが起こっていると答える。 | |||
| 私の作陶体験は先人をかく観る | 北大路魯山人 | 60分以内 | |
長次郎(安土、桃山時代)……日本陶芸史上唯一の芸術家。 | |||
| 私の陶器製作について | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
あるやんごとなき御方の御下問に奉答した私の言葉の要約を摘記する。 | |||
| 三浦環のプロフィール | 吉本明光 | 30分以内 | |
三月十日の空襲で東京の一半は焼野原になってしまった。 | |||
| 牛込館 | 渡辺温 | 5分以内 | |
夕方の神楽坂通りは散歩の学生や帰りがけの勤め人なぞでいつもいっぱいである。 | |||
| 小島の春 | 光田健輔 | 5分以内 | |
女医が癩救療に一地歩を築きたるは日本医学史に特筆すべき事実である。 | |||
| 孫だち | 正宗白鳥 | 30分以内 | |
大至急話したいことがあるから、都合のつき次第早く來て下さいといふ母方の祖母さんの手紙を見ると、お梅はどんな大事件かと、夕餐の仕度を下女に任せて、大急ぎで俥に乘つて、牛込から芝の西久保まで驅け付けた。 | |||
| 玉の輿 | 正宗白鳥 | 10分以内 | |
時節外れの寒い風が吹いた。 | |||
| 沖縄帰郷始末記 | 山之口貘 | 5分以内 | |
三十五年ぶりで郷里に帰り、ついこのごろになって帰京した。 | |||
| おきなわやまとぐち | 山之口貘 | 5分以内 | |
おんなじ沖縄出身である旧知の男に出会したところ、かれはぼくに「あなたの放送を聞きましたよ」と言ったが、「しかしあなたの日本語はひどいもんですな、まるでおきなわやまとぐちのまる出しじゃありませんか」と来たのである。 | |||
| 声をあげて泣く | 山之口貘 | 5分以内 | |
かつて、「むらさき」という雑誌があった。 | |||
| 自伝 | 山之口貘 | 5分以内 | |
本名山口重三郎。 | |||
| 装幀の悩み | 山之口貘 | 5分以内 | |
ぼくの最初の詩集『思弁の苑』を出版したのは、昭和十三年の八月である。 | |||
| 暴風への郷愁 | 山之口貘 | 5分以内 | |
郷里の沖縄から、上京したのは大正十一年の秋のことであったがその年の冬に、はじめて、ぼくは雪を見た。 | |||
| チャンプルー | 山之口貘 | 10分以内 | |
このごろの泡盛屋では、琉球料理を食べさせるようになったので琉球出身のぼくなどにとっては何よりである。 | |||
| 素材 | 正宗白鳥 | 10分以内 | |
私は發表する當てのないのに物を書いたことはない。 | |||
| 昔の西片町の人 | 正宗白鳥 | 30分以内 | |
「日本の文壇は今全く不良少年の手に落ちました。何等の教養も何等の傳統もない不良少年の手に落ちました。」と、博士はその華やかであつた青年時代の、唯一の名殘りであるやうな、美しい眸を輝かしながら、嘆聲を洩らすのを聞く時には、雄吉は不良少年の手に落ちた文壇を悲しむよりも、博士自身に對して、妙な寂しさを感ぜずにはゐられなかつた。 | |||
| 見学 | 正宗白鳥 | 10分以内 | |
「でも、あたくし幸福だと思つてゐますのよ。母が患つてからは、あたくしの家に引き取つて、出來るだけの看病をして、心殘りのないやうに息を引き取らせたんで御座いますわ。……はあ、胃潰瘍が再發したんですの。母は年齡を取つても長い間落着いてゐられる家がなくつて、苦勞してゐましたのですけど、あたしが村田の家へ嫁付いてからは、此處が一番氣兼ねがなくつていゝと云つて、不斷でも、たび/\遊びに來て、手足を伸してゐま | |||
| 月を見ながら | 正宗白鳥 | 10分以内 | |
縁側に蹲んで、庭の樹の葉の隙間から空を仰ぐと、満月に近い月が、涼しさうに青空に浮んでゐる。 | |||