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喜田貞吉の全作品

青空文庫で公開されている喜田貞吉の全作品を、おすすめ人気順で表示しています。

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作品名著者読了時間人気
武士を夷ということの考喜田貞吉
60分以内
緒言国史地理学上、本邦の種族調査の一部として、さきに「夷俘・俘囚の考」と「東人考」とを発表したる余輩の研究は、ここに中世において武士を夷(えびす)と称したることの理由を説明すべき順序となれり。
奥州における御館藤原氏喜田貞吉
60分以内
緒言余輩は前号において征夷大将軍の名義について管見を披瀝し、平安朝において久しく補任の中絶しておったこの軍職が、源頼朝によって始めて再興せられたものである事情を明かにし、その以前に木曾義仲がすでに征夷大将軍に任ぜられたとの古書の記事があり、それが古来一般に歴史家によって認められているとはいえ、その実義仲の任ぜられたのは頼朝討伐のための征東大将軍であって、征夷ではなく、また内容からも征夷大将軍というべきものではなかった次第を明かにしたのであった。
石上神宮の神宝七枝刀喜田貞吉
10分以内
昨秋〔(大正七年)〕十月大和に遊び、石上神宮に参拝して、有名なる神宝六叉鉾と称する異形の古武器を拝観することを得た。
八坂瓊之曲玉考喜田貞吉
60分以内
緒言昭和三年七月発行関西考古会の機関雑誌『考古』第三号において、余輩は未熟なる「曲玉考」一篇を発表して管見を学界に問うたことがあった。
「日本民族」とは何ぞや喜田貞吉
30分以内
本誌の創刊に際して、余輩の常に使用するに慣れたる「日本民族」なる語が、本来何を意味するか、「日本民族」とは本来いかなるものなるかを説明して、あらかじめ読者諸賢の理会を請うは、余輩が本誌を利用してその研究を進める上に、最も必要なる事と信ずる。
「ケット」と「マット」喜田貞吉
30分以内
緒言僻陬(へきすう)の地に先住民族がながく取り遺されるという事は、今さら事新しく言うまでもないところで、現に台湾東部の山地には、近くその実際を見るのである。
奥羽地方のシシ踊りと鹿供養喜田貞吉
30分以内
緒言奥羽地方には各地にシシ踊りと呼ばるる一種の民間舞踊がある。
火葬と大蔵喜田貞吉
30分以内
火葬の初めという事続日本紀に、文武天皇四年飛鳥元興寺の僧道照和尚遷化してその屍(かばね)を焼いたのが、我が国火葬の初めだとある。
くぐつ名義考喜田貞吉
60分以内
緒言自分は昨年一月の本誌神祇祭祀号において少彦名命の研究を発表した中に、説たまたま谷蟆の事から、引いてクグツ(傀儡)の名義にまで一寸及んだ事であった。
国栖の名義喜田貞吉
10分以内
大和吉野の山中に国栖という一種の異俗の人民が居た。
国号の由来喜田貞吉
60分以内
緒言昭和九年初頭の第六十五回帝国議会において、頭山満氏ほか数氏の名を以て、国号制定に関する請願なるものが提出せられた。
時勢と道徳観念喜田貞吉
5分以内
虎関の作と云い、玄慧の作とも言われる異制庭訓往来に、賊に大小あり、小罪既に大罪よりも軽し。
周防石城山神籠石探検記喜田貞吉
30分以内
明治四十二年十二月三十日、世間では年末だ師走だと餅搗きやら懸取りやらに忙しく騒いでいる中を東京帝国大学の嘱によって石城山神籠石探検の為に登山した。
炭焼長者譚喜田貞吉
30分以内
緒言東京朝日新聞の初刷に客員柳田國男君の炭焼長者譚という面白い読物の第一回が出ていた。
長吏名称考喜田貞吉
10分以内
エタをチョウリという地方が多い。
憑き物系統に関する民族的研究喜田貞吉
60分以内
序論――術道の世襲と憑き物系統ここに憑き物系統とは、俗に狐持・犬神筋などと言われる所謂「物持筋」の事である。
手長と足長喜田貞吉
30分以内
三才図会に長脚国・長臂国がある。
道鏡皇胤論について喜田貞吉
30分以内
序言野人かつて「道鏡皇胤論」一編を京大史学会の雑誌史林の誌上で発表した事があった。
間人考喜田貞吉
60分以内
はしがき我が古代の社会組織の上に「間人」という一階級があった。
人身御供と人柱喜田貞吉
30分以内
宮城二重櫓の下から白骨や古銭が出たので、やれ人柱だの、墓地であったのだろうだの、工事の際の傷死人を埋めたのであろうだのと、いろいろの説がある様だ。
法隆寺再建非再建論の回顧喜田貞吉
1時間〜
はしがき余輩が明治三十八年五月を以て、所謂法隆寺再建論を学界に発表してから、早くも三十年の星霜が流れた。
本州における蝦夷の末路喜田貞吉
60分以内
本編は去る七月十一、十二の両日にわたって、仙台放送局の需めに応じて放送したところであります。
オシラ神に関する二三の臆説喜田貞吉
60分以内
はしがき東北文化の研究については、土俗上、信仰上、見のがすことのできないものの一つにオシラ神がある。
サンカ者名義考喜田貞吉
30分以内
京都あたりでは一種の浮浪民を、サンカまたはサンカモノと呼んでいる。
震災後記喜田貞吉
60分以内
九月一日来の関東の大震については、自分の親しく見聞関知したところをいささか書きとめて、その混乱の最も烈しかった六日までの分を「震災日誌」と題して『社会史研究』拾壱月号〔(第一〇巻第三号)〕に掲載したのであったが、七日以後にもかなりひどい余震が繰り返され、世間はそわそわとして震災気分は相変らず濃厚だ。
震災日誌喜田貞吉
60分以内
大正十二年九月一日関東地方に起った大地震は、未曾有の大災害を東京・横浜その他の都邑に及ぼした。
蝦夷とコロボツクルとの異同を論ず喜田貞吉
60分以内
我が群島國の先住種族中、石器を使用して、其遺蹟を後世に遺せるものは何なりやとの疑問に對して解决を與ふる諸説の中、最も多數なるは、之を蝦夷なりとするものと、之を蝦夷とは別種なるコロボツクルなりとするものとの兩説なり。
春雪の出羽路の三日喜田貞吉
60分以内
思いのほかの雪中旅行昨年十一月に始めて出羽の踏査に着手したその続きを、この春の休暇中にやってみたいと思っている折から、山形県史蹟名勝天然記念物調査委員会の開会式が行われるので、やって来ぬかと理事官の有吉君から言って来られた。
エタに対する圧迫の沿革喜田貞吉
60分以内
エタに対する甚だしい圧迫の事実名称廃止以前のエタに対する幕府その他諸藩当路者の発した布告法令の文を見ると、その圧迫の甚だしかった状態は、実に悪寒戦慄を覚えしむるものがある。
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ喜田貞吉
1時間〜
緒言私はただ今添田地方局長から御紹介になりました喜田貞吉でございます。
特殊部落の人口増殖喜田貞吉
30分以内
特殊部落人口増殖の事実我が国には古え天益人の語があって、人口が日々増加しつつあることは、太古以来既に認められておった。
特殊部落の言語喜田貞吉
10分以内
特殊部落の人達の口にする言語は、その付近の普通部落の言語と幾らか違ったところがある。
特殊部落と通婚問題喜田貞吉
5分以内
旧幕時代には、エタ非人と普通民との通婚は、国法の禁ずるところであった。
特殊部落と寺院喜田貞吉
30分以内
部落民は一般に仏法に対して最も熱烈なる信仰を有している。
特殊部落と細民部落・密集部落喜田貞吉
10分以内
従来普通に特殊部落と云っておった我が同胞中の或る部族のことを、近ごろ内務省あたりでは、細民部落といっている。
沙門と屠児喜田貞吉
5分以内
三善清行の「意見封事」に、延喜頃の人民が課役を避けんが為に出家して、天下の民三分の二は皆禿首というの状態となり、しかも彼らは貌も沙門の如く、心は屠児に似たりとある。
来り人の地位と職業喜田貞吉
10分以内
山の幸、海の幸にのみ活きておった太古の状態から、次第に進んで世の中の秩序も整頓し、住人にも一定の株が出来ては、他国者や風来人がやって来て、住み着こうとしても容易な事ではない。
遠州地方の足洗喜田貞吉
5分以内
徳川時代の法制では、エタは非人の上に立って、これを支配監督する地位にいたのではあるが、非人には通例足を洗うて素人に成ることが出来るという道が開いていたのに反して、エタには殆どこれが認められてないのが普通であった。
エタと非人と普通人喜田貞吉
10分以内
踏み出しの方向如何によって、一歩の差は遂に千里の差となる。
エタ源流考喜田貞吉
1時間〜
緒言往時「エタ」と呼ばれておった不幸なる人々は、本来いかなる性質のものか、またいかなる事情からかくの如き気の毒なる境遇に落ちたか。
「特殊部落研究号」発行の辞喜田貞吉
30分以内
「特殊部落研究号」は何が為に発刊せらるるか。
「特殊部落」と云う名称について喜田貞吉
30分以内
本編は上掲諸編の記事と重複するところことに多きを校正の際心付きしも、今さら改むる能わず。
『切支丹と旧エタ』について喜田貞吉
5分以内
本誌第一巻六号に「切支丹と旧穢多」と題して、榊原君の長崎からの通信を掲げたところが、東京中野局消印で「浦部きよし」という方から、「浦上村民は穢多ではない」との投書があった。
「エタ」名義考喜田貞吉
30分以内
「穢多」という文字の使用同じ日本の国土に生を営む一部の人民に対して、「穢多」という極めて同情のない文字を用い始めたのは、いつの頃、何人の仕業であるか、思えば罪の深い事をしたものである。
編輯雑感喜田貞吉
10分以内
自分がこの特別号の発行を思い付いたのは、本年二月下旬、東京築地本願寺で催された同情融和会の折であった。
牛捨場馬捨場喜田貞吉
30分以内
今もなお諸所に小字を牛捨場または馬捨場と称する所がある。
旃陀羅考喜田貞吉
60分以内
緒言日蓮宗の宗祖日蓮聖人はエタの子なりという説がある。
賤民概説喜田貞吉
1時間〜
緒言「賤民」の研究は我が民衆史上、風俗史上、最も重要なる地位を占むるものの一つとして、今日の社会問題を観察する上にとっても、参考となすべきものが少くない。
俗法師考喜田貞吉
1時間〜
俗法師考序論緒言斯道において先輩たる柳田國男君が、かつてその経営に係わる『郷土研究』の誌上において、「毛坊主考」(大正三―四年、第二巻一―一二号)の題下に特殊民と在俗法師との関係につき、長々しく研究を連載せられたことがあった。
特殊部落ということについて喜田貞吉
30分以内
余輩がさきに「特殊部落研究号」(本誌二巻一号)を発行して、いわゆる特殊部落なるものの由来沿革を明らかにし、彼らが決してことに疎外排斥せらるべき性質のものにあらざる所以を説明すべく試みた事は、読者諸君の今なお耳目に新たなることと信ずる。
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