10分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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アフリカの文化 | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
フロベニウスの『アフリカ文化史』は、非常に優れた書であるとともにまた実におもしろい書である。 | |||
ベエトォフェンの面 | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
人生が苦患の谷であることを私もまたしみじみと感じる。 | |||
魚と蠅の祝日 | フィオナ・マクラウド | 10分以内 | |
コラムは三日のあいだ断食した。 | |||
かなしき女王 | フィオナ・マクラウド | 10分以内 | |
ミストの島スケエの城の高い壁のかげに二人の男が縛られて倒れていた。 | |||
鮎の食い方 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
いろいろな事情で、ふつうの家庭では、鮎を美味く食うように料理はできない。 | |||
鰻の話 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
私は京都に生まれ、京都で二十年育ったために、京、大阪に詳しい。 | |||
梅にうぐいす | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
ある日……なんでもわたしの話はある日である。 | |||
美味い豆腐の話 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
美味い湯豆腐を食べようとするには、なんといっても豆腐のいいのを選ぶことが一番大切である。 | |||
近作鉢の会に一言 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
料理は食器なしでは存在しないようです。 | |||
個性 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
ある晴れた日の午後であった。 | |||
世界の「料理王逝く」ということから | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
「世界の食通から『料理の王』と賛美されたフランス随一の板前オウグュスト・エスコフィエ老がこのほど亡くなった。 | |||
だしの取り方 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
かつおぶしはどういうふうに選択し、どういうふうにして削るか。 | |||
鍋料理の話 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
冬、家庭で最も歓迎される料理は、なべ料理であろう。 | |||
河豚食わぬ非常識 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
ふぐを恐ろしがって食わぬ者は、「ふぐは食いたし命は惜しし」の古諺に引っかかって味覚上とんだ損失をしている。 | |||
河豚は毒魚か | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
ふぐの美味さというものは実に断然たるものだ――と、私はいい切る。 | |||
筆にも口にもつくす | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
ある日、ある女人と、こんな話をした。 | |||
鮪の茶漬け | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
たい茶漬けは世間に流布され、その看板をかけている料理屋さえ出来てきた。 | |||
夜寒に火を囲んで懐しい雑炊 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
元来、美味な料理ができないという理由は、料理する人が鋭敏な味覚の舌をもたないことと、今一つは風情というものの力が、どんなにうまく料理を工夫させるかを知らないからに基因する。 | |||
料理芝居 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
良寛は「好まぬものが三つある」とて、歌詠みの歌と書家の書と料理屋の料理とを挙げている。 | |||
料理と食器 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
近来、食べ物のことがいろいろの方面から注意され、食べ物に関する論議がさかんになってきた。 | |||
料理メモ | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
鮎(あゆ)*食べ頃はあゆのとれ出した若あゆから七月初旬まで。 | |||
インチキ鮎 | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
前に村井弦斎のわた抜きあゆの愚を述べたが、あゆは名が立派だけにずいぶんいかがわしいものを食わせるところがある。 | |||
カンナとオンナ | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
ひぐらしの鳴き声が涼しい。 | |||
フランス料理について | 北大路魯山人 | 10分以内 | |
フランス料理の声価は、世界第一のごとく誇大に評判され、半世紀以上に渉って、われわれ日本人を信じさせてきた。 | |||
碓氷峠 | 大町桂月 | 10分以内 | |
碓氷の古道碓氷峠へとて、臨時の汽車にて、上野驛を發したるは、午後の十一時、西村渚山、鷹野止水に、子の芳文を加へて、同行四人、腰かけたるまゝにて、眠るともなく、覺むるともなく、一夜をすごして、二十六の隧道も、闇にそれとは知らずに通りぬ。 | |||
沖の小島 | 大町桂月 | 10分以内 | |
箱根路を我が越えくれば伊豆の海や沖の小島に浪の寄る見ゆとは、鎌倉右大臣の作として有名なるが、二所參詣の時、箱根權現を經て伊豆山權現に詣づる途中にて詠みたるものなるべし。 | |||
鹿島詣 | 大町桂月 | 10分以内 | |
曲浦長汀、烟霞縹渺として、いつ見ても厭かぬは霞ヶ浦の風光なるかな。 | |||
越ヶ谷の半日 | 大町桂月 | 10分以内 | |
裸男が十口坊と共に、梅を久地に探りし時も、山神附纏ひたれば、壬生忠岑の子となりたりき。 | |||
近藤重蔵の富士山 | 大町桂月 | 10分以内 | |
這へば立て、立てば歩めと育つる子の、歩きても、『おんぶ』せざるやうになるまでの年月は、短しとせず。 | |||
白河の関 | 大町桂月 | 10分以内 | |
思へば夢に似たる哉。 | |||
多摩川冒険記 | 大町桂月 | 10分以内 | |
上夏の末の大雨に、多摩川氾濫し、家流れ、田流れ、林流れ、人畜死し、汽車不通となりけるが、雨霽れて、三四日經たり。 | |||
夜の高尾山 | 大町桂月 | 10分以内 | |
小石川の小日向臺に、檜葉菩薩と稱する賢人あり。 | |||
三人の訪問者 | 島崎藤村 | 10分以内 | |
「冬」が訪ねて来た。 | |||
赤とピンクの世界 | 片山広子 | 10分以内 | |
農村が町となり、ながめが好く空気もきれいなので、だんだん新しい家が出来て、住む人も多くなつて来た。 | |||
乾あんず | 片山広子 | 10分以内 | |
十坪に足りない芝庭である。 | |||
菊池さんのおもひで | 片山広子 | 10分以内 | |
菊池寛さんが「忠直卿行状記」を書かれるより少し前だつたと思ふ、時事新報の文芸記者として、或る日私の大森の家にインタビューに来られた、ある日ではなく、或る夜だつた。 | |||
掏摸と泥棒たち | 片山広子 | 10分以内 | |
Y氏が山手線電車の中で集団掏摸のためにポケツトの中をみんな奪られて帰つて来た。 | |||
たんざくの客 | 片山広子 | 10分以内 | |
大正のいつごろであつたか、大森新井宿で私はサラリーマンの家の平和な生活をしてゐた時分、或る日奇妙なおじいさんが訪ねて来た。 | |||
入浴 | 片山広子 | 10分以内 | |
入浴は、コーヒーを飲み甘い物をたべるのと同じやうに私たちにはたのしいリクリエーシヨンで、同時にどうしてもはぶくことの出来ない清潔法である。 | |||
北極星 | 片山広子 | 10分以内 | |
よる眠る前に、北の窓をあけて北の空を見ることが私のくせになつてしまつた。 | |||
燃える電車 | 片山広子 | 10分以内 | |
昭和二十六年四月二十四日、午後一時四十分ごろ、京浜線桜木町ゆき電車が桜木町駅ホームに正に入らうとする直前、最前車の屋根から火花を発して忽ちの間に一番目の車は火の海となり、あわてて急停車したが、二番目の車にも火が移つて、最前車は全焼、二番目は半焼し、この二台の車にいつぱい乗つてゐた乗客たちは火の中から脱け出さうとしても、ドアが開かず、百何十人かの男女、子供も赤んぼもみんな車内で焼死してしまつた。 | |||
イエスとペテロ | 片山広子 | 10分以内 | |
聖書の中にあるイエス・キリストやお弟子たちの話が、人の口から耳へ、思ひもかけない遠くの国に伝へられて、その国のキリストやペテロの話になつてゐることもある。 | |||
橋の上で | 小泉八雲 | 10分以内 | |
お抱え車夫の平七が、熊本の町の近郊にある有名なお寺院へ連れて行ってくれた。 | |||
「はつ恋」解説 | 神西清 | 10分以内 | |
静かな深い憂愁が、ロシア十九世紀文学の特質を成していることは、今さら言うまでもなく周知の事実です。 | |||
おせい | 葛西善蔵 | 10分以内 | |
「近所では、お腹の始末でもしに行つたんだ位に思つてゐるんでせう。 | |||
狩太農場の解放 | 有島武郎 | 10分以内 | |
それは自己の良心の満足を得る已む可らざる行為私が胆振国狩太農場四百数十町歩を小作人の為に解放して数ヶ月になりますが、其儘小作人諸君の前に前記の土地を自由裁量に委ねる事は私が彼の土地を解放した精神である狩太農場民の自治共存を永久ならしめ延いて漸次附近村落を同化して行き得る如き有力なる団体たらしめる上に於て尚多少徹底しない所があるので狩太農場民の規約なるものを作り私の精神を徹底したい考へから森本博士に其規約の作製を依頼してあります。 | |||
良子 | 中原中也 | 10分以内 | |
「お嬢ちやん大きくなつたらお嫁に行くんでせう?……」良子の家に毎日やつてくる真つ赤な顔や手の魚屋の小僧は、いまお祖母ちやんが鉢を出しに奥へ行つたと思ふとそんなことを云つた。 | |||
医者と赤ン坊 | 中原中也 | 10分以内 | |
午前からの来診患者が一先づ絶えたので、先刻から庭木に鋏を入れてゐた医者が、今居間に帰つて来た所だ。 | |||
金沢の思ひ出 | 中原中也 | 10分以内 | |
私が金沢にゐたのは大正元年の末から大正三年の春迄である。 | |||
小詩論 | 中原中也 | 10分以内 | |
此処に家がある。 |