30分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
3,301-3,350件 / 全4,258件
| 作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
|---|---|---|---|
| 仏国議会に於ける脚本検閲問題 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一八九〇年十二月二十二日、仏国上院に於ける予算質問中、議員アルガン君は、政府が民間の一小劇場に対して、年額五百法の補助を与へ、同劇場を推奨する意図を表示したことを攻撃した。 | |||
| 戯曲二十五篇を読まされた話 | 岸田国士 | 30分以内 | |
四月号の寄贈雑誌大小十六種のうちから、創作戯曲二十五種を選び出し、昨日(四日)まで暇を盗んで読んだ。 | |||
| 俳優の素質 | 岸田国士 | 30分以内 | |
昔から俳優の素質を論じる場合に、誰でも「感性」を第一に挙げてゐるが、これはつまり、他の芸術家の如く、一方に於て同じ程度の「想像力」を必要としない結果、「感性」の必要が著しく目立つからであらう。 | |||
| 劇的伝統と劇的因襲 | 岸田国士 | 30分以内 | |
批評家がいろいろの立場から作品の価値を論じることは自由であるが、文芸の種目(ジャンル)に関して、聊かも定見のないことを暴露するに至つては、甚だ心細い。 | |||
| 女優と劇作家 | 岸田国士 | 30分以内 | |
劇作家が自分の恋人を其の作品の女主人公にすることは、極めて有り得べきことである。 | |||
| 演劇漫話 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一、新劇と旧劇 現今、芝居好きと称する人のうちで、旧劇はつまらないと云つて見に行かない人もあるでせう。 | |||
| 新劇界の分野 | 岸田国士 | 30分以内 | |
昨今の戯曲界を見渡すと、月々発表される戯曲の数こそ多いが、そして、その数の多いことが何となく華々しい外観を呈してゐるが、質の上からいへば、注目に値するものが寔に少い。 | |||
| 『ハイカラ』といふこと | 岸田国士 | 30分以内 | |
近頃の若い人達は、もうこんな言葉は使はないかもしれないが、それでも、言葉そのものは、まだなくなつてはゐない。 | |||
| 幕が下りて | 岸田国士 | 30分以内 | |
自分が芝居の実際方面に関係してから、まだ半年もたゝないのだが、その間に、色々の経験もなめた。 | |||
| 六号記 | 岸田国士 | 30分以内 | |
どうにもならぬことを、ひとりぶつぶつ云つてもしようがない、と思ふやうになつてゐることは事実である。 | |||
| 続言葉言葉言葉(その一) | 岸田国士 | 30分以内 | |
私は嘗て、「何かを云ふために戯曲を書くのではない。戯曲を書くために何かしらを云ふのだ」と揚言し、自分の戯曲文学に対する熱情と抱負とを、明かにしたつもりである。 | |||
| 日本に生れた以上は | 岸田国士 | 30分以内 | |
さあ、僕はどういふ風に云はうか? 林君は熱情を見事に整理しつつ雄弁を振つてゐる。 | |||
| 現代日本の演劇 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一 封建的、鎖国的な旧日本の文化は、所謂「能」と「歌舞伎」とを今日に残した。 | |||
| 批評家・作家・劇場人 | 岸田国士 | 30分以内 | |
最後の締めくくりをする順番だが、以上、小林、真船、千田三氏の文章を読み了つて、先づ第一に感じたことは、僕自身のなかにある三つの傾向が、はつきり分裂して、次ぎ次ぎに「走り」出した姿に似てゐるといふことであつた。 | |||
| 芝居と生活 | 岸田国士 | 30分以内 | |
「芝居と生活」といふ題をつけましたが、これは非常に突嗟に付けたのでありまして、かういふ表題なら何ういふことでも喋れるだらうと思つたからです。 | |||
| 官立演劇映画学校の提唱 | 岸田国士 | 30分以内 | |
演劇と映画とは元来なら別々に論ぜられなければならぬ要素をそれぞれにもつてゐるのであるが、現在の日本では、この二つの部門が、その芸術的水準と文化的役割とに於いて、寧ろより多く共通な問題を含んでゐることを見逃してはならぬと思ふ。 | |||
| 最近の戯曲について | 岸田国士 | 30分以内 | |
今年のことだけを取りたてゝいふ興味はもはやない。 | |||
| 今月の感想 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一 雑誌を一度に隅から隅まで読むのは辛いから、私は、さういふ義務を負はない約束で、この文章を書くことにした。 | |||
| 新劇の行くべき途 | 岸田国士 | 30分以内 | |
事変下の所謂「思想統制」が演劇興行の上にまで及んで来たことは、これは止むを得ないものとして、われわれは寧ろ積極的に、その結果を本来の目的に副はしめるやう努力しなければならぬと思ふ。 | |||
| 演出について | 岸田国士 | 30分以内 | |
以前は単に「舞台監督」と呼ばれてゐた者が、今日では「演出者」といふ名称を与へられ、その下に、更に「舞台監督」なるものや、「演出助手」なるものが従属するやうなシステムを、少くとも新劇団体の間で採用してゐるのは、多分、築地小劇場あたりの「独逸流演出法」から範を取つたものだと思はれるが、近代に於ける演劇革命の一特色が、舞台労役の組織化に在つたとすれば、この大がかりな命令系統の樹立は、あながち無益なことで | |||
| 純粋演劇の問題 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一 あらゆる芸術の部門を通じて演劇の理論といふものは、特にこれを実際に「試み」る機会が少く、従つて、その理論に確乎たる根柢を築くのに容易でない事情にある。 | |||
| 周囲に聴く | 岸田国士 | 30分以内 | |
新劇を繞る論議 近頃芝居に関する諸家の意見といふやうなものを瞥見すると、いろいろ興味のある問題が含まれてゐるやうである。 | |||
| なんとかせねばならぬ | 岸田国士 | 30分以内 | |
僕はこの十年以来、芝居についての意見又は感想を書きつづけて来た。 | |||
| 演劇・法律・文化 | 岸田国士 | 30分以内 | |
芸術家擁護の現行法 「芸術」と「法律」とはそんなに縁の遠いものではないといふことを、私は近頃いろいろな機会に感じるのであるが、この両者の接近が、どうかすると、一国の精神文化の水準を示してゐるのではないかとさへ思はれることがある。 | |||
| 演劇当面の問題 | 岸田国士 | 30分以内 | |
戯曲不振の理由 「戯曲家は生れながら戯曲家である」といふやうなことも云はれるが、しかしまた、戯曲家が戯曲家たる動機は、小説家が小説家たり、詩人が詩人たる動機と決して異つたものであるとは云へないのであつて、少くとも今日までの歴史を通じてみれば、多くの例が、その点について興味のある事実を語つてゐるのである。 | |||
| 言葉の魅力[第一稿] | 岸田国士 | 30分以内 | |
一 「言葉」といふものは、単に思想や感情を伝へる記号として、日常生活に欠くべからざるものであるばかりでなく、ある一人の使ふ「言葉」は、万人共通の意味をもつと同時に、その人に「固有にあるもの」を現はしてゐるのであつて、この点から見れば、それは人間の「表情」に近いものである。 | |||
| 演劇本質論の整理 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一、弁明 本誌(新潮)八月号に発表された岩田豊雄氏の文章「演劇本質論の検討」を読んで、僕はいろいろのことを感じた。 | |||
| 新劇倶楽部創立に際して | 岸田国士 | 30分以内 | |
非常に漠然とした提議の内容でありましたが、それにも拘はらず大体の趣旨に御賛成の上でありませう、今日、わざわざここへお集り下さいましたことは、私として感謝にたへません。 | |||
| 演劇論の一方向 | 岸田国士 | 30分以内 | |
凡そ、如何なる芸術と雖も、若干の「法則」に従はないものはない。 | |||
| 新劇の始末 | 岸田国士 | 30分以内 | |
新劇とは? 「新劇」といふ言葉は最初誰がどういふ意味で使ひ出したか知らぬが、「新しい芝居」といふことを漢語で云つたまでで、専門的な術語と見做すわけに行かぬと思ふ。 | |||
| 世界覗眼鏡 | 岸田国士 | 30分以内 | |
この覗眼鏡はそんなに珍らしいものではない。 | |||
| 戯曲集『鴉』の印象 | 岸田国士 | 30分以内 | |
関口次郎君の第二戯曲集が出た。 | |||
| ジュウル・ルナアル | 岸田国士 | 30分以内 | |
劇作家としてのジュウル・ルナアルを識る前に、詩人としての――芸術家としてのルナアルを識らなければならない。 | |||
| 歌舞伎劇の将来 | 岸田国士 | 30分以内 | |
歌舞伎劇が、今日、我が国劇の主流を形造つてゐることは、如何なる点から見ても不合理であり、不自然である。 | |||
| 劇壇暗黒の弁 | 岸田国士 | 30分以内 | |
演劇の不振といふことを、近頃よく世間では問題にするが、それが悦ぶべきことか悲しむべきことかといふ議論になると、私には、殆んど見当がつかないと云つていい。 | |||
| フランスに於けるシェイクスピア | 岸田国士 | 30分以内 | |
嘗てイタリーへ旅行しました時、※ロナで、或るシェイクスピアの作中のそれのやうな月のいゝ晩に、市中を歩いてをりますと、「ロミオとジュリエットの墓」といふ標札が目に附きました。 | |||
| 新劇復興の兆 | 岸田国士 | 30分以内 | |
文学の上では、絶えず思想的な波の起伏が、直接にその時代の作家を――、殊に若いヂェネレエションを刺激して、あらゆる面での先駆的な運動となつて現れるのであるが、演劇の方面では、今日までのところ、所謂革新派と見做すべき一群の擡頭は、常に若干年数の周期を経て繰り返されてゐるやうである。 | |||
| 戯曲及び戯曲作家について | 岸田国士 | 30分以内 | |
レオン・ドオデが、ジュウル・ルナアルの芸術を指して、「小ささの偉大さ」と呼んでゐるが、そのジュウル・ルナアルは、芸術家としてのエドモン・ロスタンをまた、「月並で、しかして、偉大」と評した。 | |||
| 劇壇左右展望 | 岸田国士 | 30分以内 | |
○左、劇文学の領域 近頃、純文学と大衆文学の問題が各所で論議されてゐるやうだが、これは、所謂「文芸上の問題」とはなり得ない一個の文壇四方山話にすぎないので、「純文学では飯が食へん」とか、「大衆文学を書くのにもやはり才能がいる」とか、何れも、動かすべからざる真理に違ひないが、今まで、どの時代の文学者も、そんなことは嘗て言はなかつたほど、当り前のことなのだ。 | |||
| 私の従軍報告 | 岸田国士 | 30分以内 | |
戦線は無限に広いこと 武漢が落ち、広東が陥ち、わが軍の作戦区域が著るしく拡大されたことは云ふまでもないが、私の今度の中支従軍を通じて、現実にこれは大変だと感じたことは、普通第一線と呼ばれてゐる作戦軍の正面以外に、鉄道の沿線と揚子江流域の重要な都市を囲む殆ど中支一帯の地域に残敵の有力な部隊が蟠居して、わが占領地区を脅かしてゐることである。 | |||
| 一対の美果 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一 近頃読んだいろいろな文章のなかで、私が特にこゝでその読後感を述べたいと思ふのは、それが今の私にとつて可なり重要な問題を含んでをり、それのいづれからも非常に珍しい感動をうけ、しかも、それらが揃ひも揃つて、所謂「非職業作家」の手になつたところの、甚だ示唆に富んでゐる二つの「記録」である。 | |||
| 続言葉言葉言葉(その二) | 岸田国士 | 30分以内 | |
近頃ある疑ひが私を囚へて放さない。 | |||
| 演劇統制の重点 | 岸田国士 | 30分以内 | |
国家の権威と責任で当れ 世界を通じて、演劇は今や膠着状態にあるやうである。 | |||
| 文芸と国語 | 岸田国士 | 30分以内 | |
文芸と国語といふ標題を掲げたのですが、さういふ問題は考へれば考へるほど範囲が広くてどこかに重点をおかなければ短い時間にはお話が出来ません。 | |||
| 風俗の非道徳性 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一 時局が特に要求する国民の覚悟といふことについて私は考へた。 | |||
| 文芸雑談 | 岸田国士 | 30分以内 | |
実際、毎日会ふ人が沢山あるのですよ。 | |||
| 文芸の側衛的任務 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一 私の考へでは、政治には、広い意味の政治と狭い意味の政治とがあると思ひます。 | |||
| 既往文化と新文化 | 岸田国士 | 30分以内 | |
通念の更新 一体、国防国家といふものゝなかで、文化はどういふ取扱ひを受けるべきかといふ問題ですが……この点に関しては、実にいろいろの意見があるやうです。 | |||
| 文化の新体制 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一 「文化」といふ言葉は今までごく手軽に使はれて来ました。 | |||
| 国防と文化 | 岸田国士 | 30分以内 | |
いよいよ事態が切迫して来たやうであります。 | |||
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