30分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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チェーホフの短篇に就いて | 神西清 | 30分以内 | |
先日、カサリン・マンスフィールドの短篇集を読む機会があって大変たのしかった。 | |||
二面の箏 | 鈴木鼓村 | 30分以内 | |
自分の京都時代にあった咄(はなし)をしよう。 | |||
混沌 | 森鴎外 | 30分以内 | |
私は話をすることが非常に下手なので、話をしろと云はれると實に氣になつてならない。 | |||
長谷川辰之助 | 森鴎外 | 30分以内 | |
逢ひたくて逢はずにしまふ人は澤山ある。 | |||
古い手帳から | 森鴎外 | 30分以内 | |
PlatonPlaton は何故に共産主義者とせられてゐるか。 | |||
枯尾花 | 関根黙庵 | 30分以内 | |
◎北千住に今も有る何んとか云う小間物屋の以前の営業は寄席であったが、亭主が或る娼妓(しょうぎ)に精神をぬかし、子まである本妻を虐待して死に至らしめた、その怨念が残ったのか、それからと云うものはこの家に奇しい事が度々あって驚ろかされた芸人も却々多いとの事であるが、或(ある)時素人連の女芝居を興行した際、座頭の某が急に腹痛を起し、雪隠へはいっているとも知らず、席亭の主人が便所へ出掛けて行く、中の役者が戸を明て出る機会、その女の顔を見るが否や、席亭の主人は叫喚と云って後ろへ転倒り汝(てめえ)まだ... | |||
甲州郡内妖怪事件取り調べ報告 | 井上円了 | 30分以内 | |
一昨日、哲学館において井上円了氏の演ぜし妖怪取り調べ報告の大要を聞くに、左のごとし。 | |||
妖怪報告 | 井上円了 | 30分以内 | |
本館にて、心理講究のかたわら妖怪事実を捜索研究し、その結果を館員に報告し、また、その事実を館員より通信せしむるについては、従来の通信中、妖怪、不思議にして解釈を付し難きものを掲載し、一は館員中事実報告の参考となし、一は館員よりこれに対する意見を報知せしめ、妖怪研究の一助となさんとす。 | |||
イプセン百年祭講演 | 久保栄 | 30分以内 | |
来る三月二十日は、近代劇の父と仰がれるヘンリック・イプセンの生誕百年の記念日に相当いたします。 | |||
亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説 | 福沢諭吉 | 30分以内 | |
近日征韓の議論新聞紙上に飛雨をなし、世人の耳目も此論題に集るを以て、我儕の論鋒を之に向けること數囘、未だ心に慊らざりしが、福澤君より此論題に關する一議論を寄るに會へり。 | |||
あまり者 | 徳永直 | 30分以内 | |
郷里の家に少しばかりの金を、送金したその受取りの返事を、今朝(工場の休みを)まだ寝床にいた私の枕許へ、台所にいた妻が持ってきた。 | |||
工場新聞 | 徳永直 | 30分以内 | |
「タッちゃん、なに読んでるの?」これも読書組の、トシが傍へよってきて、のぞきこんだ。 | |||
麦の芽 | 徳永直 | 30分以内 | |
善ニョムさんは、息子達夫婦が、肥料を馬の背につけて野良へ出ていってしまう間、尻骨の痛い寝床の中で、眼を瞑(つぶ)って我慢していた。 | |||
眼 | 徳永直 | 30分以内 | |
「ね、あんた、今のうち、尾久の家(親類)へでも、行っちゃったがいいと思うんだけど……」女房のお初が、利平の枕許でしきりと、口説きたてる。 | |||
役者の顔 | 木村荘八 | 30分以内 | |
羽左衛門を失ったことを転機として――戦争を転機としてと云えば早いが、それではニベも無い――俳優の「顔」も変ったと思います。 | |||
落語家温泉録 | 正岡容 | 30分以内 | |
冒頭から自分のことを云ひだして恐縮であるが、拙作のなかで先づ/\そこばくの評判を克ち得たものは「寄席」と「円朝」とだらうが、近世話術文化の花であり、最高峰だつた三遊亭円朝は、落語家のなかでの温泉好きで、その著作中、温泉に取材したものには「熱海土産温泉利書」と「敵討霞初島」とが熱海であり、「霧陰伊香保湯煙」と「後開榛名梅ヶ香」「安中草三郎」が伊香保、モーパッサンの「父殺し」を翻案した「名人長二」が湯河原であるが、例の「塩原多助」をかくときにはその出産地たる上州沼田へ実地踏査に... | |||
新訂雲母阪 | 直木三十五 | 30分以内 | |
「本当にそうか。 | |||
大久保湖州 | 芥川竜之介 | 30分以内 | |
或秋の夜、僕は本郷の大学前の或古本屋を覗いて見た。 | |||
神田界隈 | 楠山正雄 | 30分以内 | |
「芝で生まれて神田で育ち」というふるい文句があるが、私は芝でこそ生まれないが、ついそのお隣り区の銀座で生まれて十三年、早く明治三十年代に、その時分、駿河台の、多分いまの明大校舎の辺にあった、伯父の博士樫村氏の山竜堂病院に寄寓の時代、一たび神田との縁がむすばれ、それから後、多少の断続はあっても、四十年代の末ふたたび冨山房を通して神田とはなれぬ関係ができて、いつの間にか二十五年、かれこれ前後四十年にも近い、いわば人間のほぼ一代を、なんということなしに、神田界隈、というよりも、駿河... | |||
日本出版協会論 | 嶋中雄作 | 30分以内 | |
「あなたの方の出版協会というのはいつもゴタ/\揉めているようですが、どうしたというんですか?」こういって訊ねる人もある。 | |||
斎藤緑雨と内田不知菴 | 坪内逍遥 | 30分以内 | |
緑雨が小説改良会設立案といふのを提げて、初めて私のとこへ来たのは明治十八年の秋頃であつたらうから、彼れとの交際は二葉亭とよりも古く、竹のや(饗庭篁村)とよりも少し早い。 | |||
硯友社と文士劇 | 江見水蔭 | 30分以内 | |
演劇改良の声が漸く高まりかけた明治二十三年の正月、硯友社は、初めて文士劇を実演した。 | |||
薬前薬後 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
草花と果物盂蘭盆の迎い火を焚くという七月十三日のゆう方に、わたしは突然に強い差込みに襲われて仆(たお)れた。 | |||
火に追われて | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
なんだか頭がまだほんとうに落ちつかないので、まとまったことは書けそうもない。 | |||
春の修善寺 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
十年ぶりで三島駅から大仁行の汽車に乗換えたのは、午後四時をすこし過ぎた頃であった。 | |||
十番雑記 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
昭和十二年八月三十一日、火曜日。 | |||
島原の夢 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
『戯場訓蒙図彙』や『東都歳事記』や、さてはもろもろの浮世絵にみる江戸の歌舞伎の世界は、たといそれがいかばかり懐かしいものであっても、所詮は遠い昔の夢の夢であって、それに引かれ寄ろうとするにはあまりに縁が遠い。 | |||
郊外生活の一年 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
震災以来、諸方を流転して、おちつかない日を送ること一年九ヵ月で、月並の文句ではあるが光陰流水の感に堪えない。 | |||
久保田米斎君の思い出 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
久保田米斎君の事に就て何か話せということですが、本職の画の方の事は私にはわかりませんから、主として芝居の方の事だけ御話するようになりましょう。 | |||
温泉雑記 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
ことしの梅雨も明けて、温泉場繁昌の時節が来た。 | |||
思い出草 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
赤蜻蛉私は麹町元園町一丁目に約三十年も住んでいる。 | |||
御堀端三題 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
柳のかげ海に山に、凉風に浴した思い出も色々あるが、最も忘れ得ないのは少年時代の思い出である。 | |||
磯部の若葉 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
今日もまた無数の小猫の毛を吹いたような細かい雨が、磯部の若葉を音もなしに湿らしている。 | |||
秋の修善寺 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
九月の末におくれ馳(ば)せの暑中休暇を得て、伊豆の修善寺温泉に浴し、養気館の新井方にとどまる。 | |||
鴎外博士の追憶 | 内田魯庵 | 30分以内 | |
若い蘇峰の『国民之友』が思想壇の檜舞台として今の『中央公論』や『改造』よりも重視された頃、春秋二李の特別附録は当時の大家の顔見世狂言として盛んに評判されたもんだ。 | |||
斎藤緑雨 | 内田魯庵 | 30分以内 | |
「僕は、本月本日を以て目出たく死去仕候」という死亡の自家広告を出したのは斎藤緑雨が一生のお別れの皮肉というよりも江戸ッ子作者の最後のシャレの吐きじまいをしたので、化政度戯作文学のラスト・スパークである。 | |||
二葉亭追録 | 内田魯庵 | 30分以内 | |
二葉亭が存命だったら二葉亭が存命だったら今頃ドウしているだろう?という問題が或る時二葉亭を知る同士が寄合った席上の話題となった。 | |||
明治の文学の開拓者 | 内田魯庵 | 30分以内 | |
坪内君の功労は誰でも知ってる。 | |||
四十年前 | 内田魯庵 | 30分以内 | |
亜米利加の排日案通過が反動団体のヤッキ運動となって、その傍杖が帝国ホテルのダンス場の剣舞隊闖入となった。 | |||
穂高岳槍ヶ岳縦走記 | 鵜殿正雄 | 30分以内 | |
神秘の霊峰信飛の国界に方りて、御嶽・乗鞍・穂高・槍の四喬岳のある事は、何人も首肯する処、だが槍・穂高間には、なお一万尺以上の高峰が沢山群立している、という事を知っている者は稀(まれ)である。 | |||
旅の旅の旅 | 正岡子規 | 30分以内 | |
汽笛一声京城を後にして五十三亭一日に見尽すとも水村山郭の絶風光は雲煙過眼よりも脆(もろ)く写真屋の看板に名所古跡を見るよりもなおはかなく一瞥の後また跡かたを留めず。 | |||
火と氷のシャスタ山 | 小島烏水 | 30分以内 | |
山仲間から、アメリカで好きな山は何か、と聞かれると、一番先きに頭に浮ぶのは、シャスタ山である。 | |||
利尻山とその植物 | 牧野富太郎 | 30分以内 | |
余が北見の国利尻島の利尻山に登ったのは、三十六年の八月である、農学士川上滝弥君が、数年前に数十日の間この山に立籠って、採集せられた結果を『植物学雑誌』に発表せられたのを、読んでから、折があったら自分も一度はこの山に採集に出かけたいと思っていたが、何分にも好機会がないので、思いながら久しく目的を達することが出来なかった、然るに山岳会の会員中で高山植物の採集と培養に熱心な加藤泰秋子爵が、この山の採集を思い立たるるとの話を聞いたので、もし同行が出来れば自分は大変に利益を得られるであろうと信じた... | |||
寒中滞岳記 | 野中至 | 30分以内 | |
玄冬の候、富士山巓の光景は、果して如何なるものなるべきや。 | |||
弟を葬る | 徳富蘇峰 | 30分以内 | |
皆様、兄が弟を葬ると云ふ事は極めて不自然な事であります。 | |||
斑鳩物語 | 高浜虚子 | 30分以内 | |
上法隆寺の夢殿の南門の前に宿屋が三軒ほど固まつてある。 | |||
進むべき俳句の道 | 高浜虚子 | 30分以内 | |
=雑詠詠=緒言こゝに雑詠といふのは明治四十一年十月発行の第十二巻第一号より四十二年七月一日発行の第十二巻第十号に至るホトトギス掲載の「雑詠」並に、明治四十五年七月一日発行の第十五巻第十号より大正四年三月発行の第十八巻第六号に至るホトトギス掲載の「雑詠」を指すのである。 | |||
椿子物語 | 高浜虚子 | 30分以内 | |
上私は鎌倉の俳小屋の椅子に腰をかけて庭を眺めてゐた。 | |||
上野 | 永井荷風 | 30分以内 | |
震災の後上野の公園も日に日に旧観を改めつつある。 | |||
葛飾土産 | 永井荷風 | 30分以内 | |
○菅野に移り住んでわたくしは早くも二度目の春に逢おうとしている。 |