30分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
---|
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
---|
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
---|---|---|---|
銀座 | 永井荷風 | 30分以内 | |
この一、二年何のかのと銀座界隈を通る事が多くなった。 | |||
草紅葉 | 永井荷風 | 30分以内 | |
○東葛飾の草深いあたりに仮住いしてから、風のたよりに時折東京の事を耳にすることもあるようになった。 | |||
里の今昔 | 永井荷風 | 30分以内 | |
昭和二年の冬、酉(とり)の市へ行った時、山谷堀は既に埋められ、日本堤は丁度取崩しの工事中であった。 | |||
小説作法 | 永井荷風 | 30分以内 | |
小説はいかにして作るものなるやどういふ風にして書ものなりやと問はるる人しばしばあり。 | |||
十九の秋 | 永井荷風 | 30分以内 | |
近年新聞紙の報道するところについて見るに、東亜の風雲はますます急となり、日支同文の邦家も善鄰の誼(よ)しみを訂めている遑(いとま)がなくなったようである。 | |||
十六、七のころ | 永井荷風 | 30分以内 | |
十六、七のころ、わたくしは病のために一時学業を廃したことがあった。 | |||
西瓜 | 永井荷風 | 30分以内 | |
持てあます西瓜ひとつやひとり者これはわたくしの駄句である。 | |||
梅雨晴 | 永井荷風 | 30分以内 | |
森先生の渋江抽斎の伝を読んで、抽斎の一子優善なるものがその友と相謀って父の蔵書を持ち出し、酒色の資となす記事に及んだ時、わたしは自らわが過去を顧みて慚悔の念に堪えなかった。 | |||
寺じまの記 | 永井荷風 | 30分以内 | |
雷門といっても門はない。 | |||
伝通院 | 永井荷風 | 30分以内 | |
われわれはいかにするともおのれの生れ落ちた浮世の片隅を忘れる事は出来まい。 | |||
十日の菊 | 永井荷風 | 30分以内 | |
庭の山茶花も散りかけた頃である。 | |||
夏の町 | 永井荷風 | 30分以内 | |
枇杷(びわ)の実は熟して百合の花は既に散り、昼も蚊の鳴く植込の蔭には、七度も色を変えるという盛りの長い紫陽花の花さえ早や萎れてしまった。 | |||
深川の散歩 | 永井荷風 | 30分以内 | |
中洲の河岸にわたくしの旧友が病院を開いていたことは、既にその頃の『中央公論』に連載した雑筆中にこれを記述した。 | |||
放水路 | 永井荷風 | 30分以内 | |
隅田川の両岸は、千住から永代の橋畔に至るまで、今はいずこも散策の興を催すには適しなくなった。 | |||
正宗谷崎両氏の批評に答う | 永井荷風 | 30分以内 | |
去年の秋、谷崎君がわたくしの小説について長文の批評を雑誌『改造』に載せられた時、わたくしはこれに答える文をかきかけたのであるが、勢自作の苦心談をれいれいしく書立てるようになるので、何となく気恥かしい心持がして止してしまった。 | |||
向嶋 | 永井荷風 | 30分以内 | |
向島は久しい以前から既に雅遊の地ではない。 | |||
元八まん | 永井荷風 | 30分以内 | |
偶然のよろこびは期待した喜びにまさることは、わたくしばかりではなく誰も皆そうであろう。 | |||
雪の日 | 永井荷風 | 30分以内 | |
○曇って風もないのに、寒さは富士おろしの烈しく吹きあれる日よりもなお更身にしみ、火燵にあたっていながらも、下腹がしくしく痛むというような日が、一日も二日もつづくと、きまってその日の夕方近くから、待設けていた小雪が、目にもつかず音もせずに降ってくる。 | |||
洋服論 | 永井荷風 | 30分以内 | |
○日本人そもそも洋服の着始めは旧幕府仏蘭西式歩兵の制服にやあらん。 | |||
裸体談義 | 永井荷風 | 30分以内 | |
戦争後に流行しだしたものの中には、わたくしのかつて予想していなかったものが少くはない。 | |||
霊廟 | 永井荷風 | 30分以内 | |
仏蘭西現代の詩壇に最も幽暗典雅の風格を示す彼の「夢と影との詩人」アンリイ・ド・レニエエは、近世的都市の喧騒から逃れて路易大王が覇業の跡なるヴェルサイユの旧苑にさまよい、『噴水の都』La Cit※ des Eaux と題する一巻の詩集を著した。 | |||
礫川徜徉記 | 永井荷風 | 30分以内 | |
何事にも倦果てたりしわが身の、なほ折節にいささかの興を催すことあるは、町中の寺を過る折からふと思出でて、その庭に入り、古墳の苔を掃つて、見ざりし世の人を憶ふ時なり。 | |||
渋民村より | 石川啄木 | 30分以内 | |
杜陵を北へ僅かに五里のこの里、人は一日の間に往復致し候へど、春の歩みは年々一週が程を要し候。 | |||
画工と幽霊 | 岡本綺堂 | 30分以内 | |
千八百八十四年、英国倫敦発刊の某雑誌に「最も奇なる、実に驚くべき怪談」と題して、頗(すこぶ)る小説的の一種の妖怪談を掲載し、この世界の上には人間の想像すべからざる秘密又は不思議が存在しているに相違ない、これが即ち其(そ)の最も信ずべき有力の証拠であると称して、その妖怪を実地に見届けた本人(画工エリック)の談話を其(そ)のまま筆記してある。 | |||
地球儀 | 牧野信一 | 30分以内 | |
祖父の十七年の法要があるから帰れ――という母からの手紙で、私は二タ月ぶりぐらいで小田原の家に帰った。 | |||
わが母を語る | 上村松園 | 30分以内 | |
竹を割ったような性格私の母は、一口にいうと男勝りな、しっかり者でしたな。 | |||
記憶のまゝ | 長塚節 | 30分以内 | |
故人には逸話が多かつた。 | |||
「プラーゲ旋風」の話 | 山下博章 | 30分以内 | |
神風の日本にも、今は「プラーゲ旋風」とやらが吹きまくる――と云っても、楽壇人を除いては「プラーゲ旋風」とは何か御存じのない向も多かろう。 | |||
教育の事 | 福沢諭吉 | 30分以内 | |
一人の教育と一国の教育とは自ずから区別なかるべからず。 | |||
其中日記 | 種田山頭火 | 30分以内 | |
五月一日晴――曇――雨。 | |||
八月の霧島 | 吉田絃二郎 | 30分以内 | |
夜の汽車から浪に映る宮島の燭を見ようと思つてゐたが、旅の疲れですつかり眠つてしまつて、眼がさめたころは夜はすでに明けてゐた。 | |||
「日本民族」とは何ぞや | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
本誌の創刊に際して、余輩の常に使用するに慣れたる「日本民族」なる語が、本来何を意味するか、「日本民族」とは本来いかなるものなるかを説明して、あらかじめ読者諸賢の理会を請うは、余輩が本誌を利用してその研究を進める上に、最も必要なる事と信ずる。 | |||
「ケット」と「マット」 | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
緒言僻陬(へきすう)の地に先住民族がながく取り遺されるという事は、今さら事新しく言うまでもないところで、現に台湾東部の山地には、近くその実際を見るのである。 | |||
奥羽地方のシシ踊りと鹿供養 | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
緒言奥羽地方には各地にシシ踊りと呼ばるる一種の民間舞踊がある。 | |||
火葬と大蔵 | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
火葬の初めという事続日本紀に、文武天皇四年飛鳥元興寺の僧道照和尚遷化してその屍(かばね)を焼いたのが、我が国火葬の初めだとある。 | |||
周防石城山神籠石探検記 | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
明治四十二年十二月三十日、世間では年末だ師走だと餅搗きやら懸取りやらに忙しく騒いでいる中を東京帝国大学の嘱によって石城山神籠石探検の為に登山した。 | |||
炭焼長者譚 | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
緒言東京朝日新聞の初刷に客員柳田國男君の炭焼長者譚という面白い読物の第一回が出ていた。 | |||
手長と足長 | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
三才図会に長脚国・長臂国がある。 | |||
道鏡皇胤論について | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
序言野人かつて「道鏡皇胤論」一編を京大史学会の雑誌史林の誌上で発表した事があった。 | |||
人身御供と人柱 | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
宮城二重櫓の下から白骨や古銭が出たので、やれ人柱だの、墓地であったのだろうだの、工事の際の傷死人を埋めたのであろうだのと、いろいろの説がある様だ。 | |||
サンカ者名義考 | 喜田貞吉 | 30分以内 | |
京都あたりでは一種の浮浪民を、サンカまたはサンカモノと呼んでいる。 | |||
垂水 | 神西清 | 30分以内 | |
二十年ほども昔のこと、垂水の山寄りの、一めんの松林に蔽はれた谷あひを占める五泉家の別荘が、幾年このかた絶えて見せなかつた静かなさざめきを立ててゐた。 | |||
私有農場から共産農団へ | 有島武郎 | 30分以内 | |
A北海道農場開放に就ての御意見を伺ひたいのですが。 | |||
断食芸人 | フランツ・カフカ | 30分以内 | |
この何十年かのあいだに、断食芸人たちに対する関心はひどく下落してしまった。 | |||
生不動 | 橘外男 | 30分以内 | |
北海道の留萌港……正確に言えば、天塩国留萌郡留萌町であろうが、もちろんこんな辺陬の一小港などが諸君の関心を惹(ひ)いていようとも思われぬ。 | |||
「自然」を深めよ | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
我々の生活や作物が「不自然」であってはならないことは、今さらここに繰り返すまでもない。 | |||
『偶像再興』序言 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
偶像破壊が生活の進展に欠くべからざるものであることは今さら繰り返すまでもない。 | |||
『劉生画集及芸術観』について | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
自分は現代の画家中に岸田君ほど明らかな「成長」を示している人を知らない。 | |||
ある思想家の手紙 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
秋の雨がしとしとと松林の上に降り注いでいます。 | |||
生きること作ること | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
私は近ごろ、「やっとわかった」という心持ちにしばしば襲われる。 |