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30分以内で読める寺田寅彦の短編作品

青空文庫で公開されている寺田寅彦の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。

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作品名著者読了時間人気
火事教育寺田寅彦
30分以内
旧臘押し詰まっての白木屋の火事は日本の火災史にちょっと類例のない新記録を残した。
空想日録寺田寅彦
30分以内
白熊の死探険船シビリアコフ号の北氷洋航海中に撮影されたエピソード映画の中に、一頭の白熊を射殺し、その子を生け捕る光景が記録されている。
映画雑感(Ⅱ)寺田寅彦
30分以内
制服の処女評判の映画「制服の処女」を一見した。
蒸発皿寺田寅彦
30分以内
亀井戸まで久しぶりで上京した友人と東京会館で晩餐をとりながら愉快な一夕を過ごした。
記録狂時代寺田寅彦
30分以内
何事でも「世界第一」という名前の好きなアメリカに、レコード熱の盛んなのは当然のことであるが、一九二九年はこのレコード熱がもっとも猖獗(しょうけつ)をきわめた年であって、その熱病が欧州にまでも蔓延した。
涼味数題寺田寅彦
30分以内
涼しさは瞬間の感覚である。
錯覚数題寺田寅彦
30分以内
ハイディンガー・ブラッシ目は物を見るためのものである。
試験管寺田寅彦
30分以内
靴のかかと夏になったので去年の白靴を出して見ると、かかとのゴムがだいぶすり減っている。
沓掛より寺田寅彦
30分以内
草をのぞく浅間火山のすそ野にある高原の一隅に、はなはだ謙遜なHという温泉場がある。
ジャーナリズム雑感寺田寅彦
30分以内
いつかある大新聞社の工場を見学に行ってあの高速度輪転機の前面を瀑布のごとく流れ落ちる新聞紙の帯が、截断され折り畳まれ積み上げられて行く光景を見ていたとき、なるほどこれではジャーナリズムが世界に氾濫するのも当然だという気がしないではいられなかった。
函館の大火について寺田寅彦
30分以内
昭和九年三月二十一日の夕から翌朝へかけて函館市に大火があって二万数千戸を焼き払い二千人に近い死者を生じた。
藤棚の陰から寺田寅彦
30分以内
若葉のかおるある日の午後、子供らと明治神宮外苑をドライヴしていた。
災難雑考寺田寅彦
30分以内
大垣の女学校の生徒が修学旅行で箱根へ来て一泊した翌朝、出発の間ぎわに監督の先生が記念の写真をとるというので、おおぜいの生徒が渓流に架したつり橋の上に並んだ。
三斜晶系寺田寅彦
30分以内
夢七月二十七日は朝から実に忙しい日であった。
糸車寺田寅彦
30分以内
祖母は文化十二年(一八一五)生まれで明治二十二年(一八八九)自分が十二歳の歳末に病没した。
小浅間寺田寅彦
30分以内
峰の茶屋から第一の鳥居をくぐってしばらくこんもりした落葉樹林のトンネルを登って行くと、やがて急に樹木がなくなって、天地が明るくなる。
地図をながめて寺田寅彦
30分以内
「当世物は尽くし」で「安いもの」を列挙するとしたら、その筆頭にあげられるべきものの一つは陸地測量部の地図、中でも五万分一地形図などであろう。
天災と国防寺田寅彦
30分以内
「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳していることは事実である。
破片寺田寅彦
30分以内
昭和九年八月三日の朝、駒込三の三四九、甘納豆製造業渡辺忠吾氏(二七)が巣鴨警察署衛生係へ出頭し「十日ほど前から晴天の日は約二千、曇天でも約五百匹くらいの蜜蜂が甘納豆製造工場に来襲して困る」と訴え出たという記事が四日の夕刊に出ていた。
俳句の精神寺田寅彦
30分以内
俳句の成立と必然性五七五の定型と、季題および切れ字の插入という制約によって規定された従来普通の意味での俳句あるいは発句のいわゆる歴史的の起原沿革については、たぶんそういう方面に詳しい専門家が別項で述べ尽くされることと思うから、ここで自分などが素人くさい蛇足を添える必要はないであろう。
物売りの声寺田寅彦
30分以内
毎朝床の中でうとうとしながら聞く豆腐屋のラッパの音がこのごろ少し様子が変わったようである。
B教授の死寺田寅彦
30分以内
さわやかな若葉時も過ぎて、日増しに黒んで行く青葉のこずえにうっとうしい微温の雨が降るような時候になると、十余年ほど前に東京のSホテルで客死したスカンジナビアの物理学者B教授のことを毎年一度ぐらいはきっと思い出す。
随筆難寺田寅彦
30分以内
随筆は思ったことを書きさえすればよいのであるから、その思ったことがどれほど他愛のないことであっても、またその考えがどんなに間違った考えであっても、ただ本当にそう思ったことをその通り忠実に書いてありさえすればその随筆の随筆としての真実性には欠陥はないはずである。
厄年と etc.寺田寅彦
30分以内
気分にも頭脳の働きにも何の変りもないと思われるにもかかわらず、運動が出来ず仕事をする事の出来なかった近頃の私には、朝起きてから夜寝るまでの一日の経過はかなりに永く感ぜられた。
伊香保寺田寅彦
30分以内
二三年前の夏、未だ見たことのない伊香保榛名を見物の目的で出掛けたことがある。
津浪と人間寺田寅彦
30分以内
昭和八年三月三日の早朝に、東北日本の太平洋岸に津浪が襲来して、沿岸の小都市村落を片端から薙(な)ぎ倒し洗い流し、そうして多数の人命と多額の財物を奪い去った。
颱風雑俎寺田寅彦
30分以内
昭和九年九月十三日頃南洋パラオの南東海上に颱風の卵子らしいものが現われた。
震災日記より寺田寅彦
30分以内
大正十二年八月二十四日曇、後驟雨子供等と志村の家へ行った。
寺田寅彦
30分以内
始めてこの浜へ来たのは春も山吹の花が垣根に散る夕であった。
異郷寺田寅彦
30分以内
ウェルダアの桜大きな河かと思うような細長い湖水を小蒸気で縦に渡って行った。
やもり物語寺田寅彦
30分以内
ただ取り止めもつかぬ短夜の物語である。
まじょりか皿寺田寅彦
30分以内
十二月三十一日、今年を限りと木枯しの強く吹いた晩、本郷四丁目から電車を下りて北に向うた忙がしい人々の中にただ一人忙がしくない竹村運平君が交じっていた。
ベルリン大学寺田寅彦
30分以内
一九〇九年五月十九日にベルリンの王立フリードリヒ・ウィルヘルム大学の哲学部学生として入学した人々の中に黄色い顔をした自分も交じっていた。
病院風景寺田寅彦
30分以内
東京××大学医学部附属病院、整形外科病室第N号室。
根岸庵を訪う記寺田寅彦
30分以内
九月五日動物園の大蛇を見に行くとて京橋の寓居を出て通り合わせの鉄道馬車に乗り上野へ着いたのが二時頃。
東上記寺田寅彦
30分以内
八月二十六日床を出でて先ず欄干に倚(よ)る。
追憶の冬夜寺田寅彦
30分以内
子供の時分の冬の夜の記憶の中に浮上がって来る数々の物象の中に「行燈」がある。
重兵衛さんの一家寺田寅彦
30分以内
明治十四年自分が四歳の冬、父が名古屋鎮台から熊本鎮台へ転任したときに、母と祖母と次姉と自分と四人で郷里へ帰って小津の家に落ちつき、父だけが単身で熊本へ赴任して行った。
枯菊の影寺田寅彦
30分以内
少し肺炎の徴候が見えるようだからよく御注意なさい、いずれ今夜もう一遍見に来ますからと云い置いて医者は帰ってしまった。
海水浴寺田寅彦
30分以内
明治十四年の夏、当時名古屋鎮台につとめていた父に連れられて知多郡の海岸の大野とかいうところへ「塩湯治」に行った。
イタリア人寺田寅彦
30分以内
今日七軒町まで用達しに出掛けた帰りに久し振りで根津の藍染町を通った。
神田を散歩して寺田寅彦
30分以内
あるきわめて蒸し暑い日の夕方であった。
家庭の人へ寺田寅彦
30分以内
風呂の寒暖計今からもう二十余年も昔の話であるが、ドイツに留学していたとき、あちらの婦人の日常生活に関係した理化学的知識が一般に日本の婦人よりも進んでいるということに気のついた事がしばしばあった。
五月の唯物観寺田寅彦
30分以内
西洋では五月に林檎やリラの花が咲き乱れて一年中でいちばん美しい自然の姿が見られる地方が多いようである。
雑記(Ⅱ)寺田寅彦
30分以内
花火一月二十六日の祝日の午後三時頃に、私はただあてもなく日本橋から京橋の方へあの新開のバラック通りを歩いていた。
病中記寺田寅彦
30分以内
大正八年十二月五日晴金曜二、三日前から風心持であったが、前日は午前に気象と物理の講義があったから出勤した。
鑢屑寺田寅彦
30分以内
ある忙しい男の話である。
異質触媒作用寺田寅彦
30分以内
帝展帝展の洋画部を見ているうちに、これだけの絵に使われている絵具の全体の重量は大変なものであろうと考えた。
さまよえるユダヤ人の手記より寺田寅彦
30分以内
涼しさと暑さこの夏は毎日のように実験室で油の蒸餾の番人をして暮らした。
寺田寅彦
30分以内
デパートの夏の午後街路のアスファルトの表面の温度が華氏の百度を越すような日の午後に大百貨店の中を歩いていると、私はドビュシーの「フォーヌの午後」を思いだす。
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