寺田寅彦の全作品
青空文庫で公開されている寺田寅彦の全作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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青空文庫で公開されている寺田寅彦の全作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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森の絵 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
暖かい縁に背を丸くして横になる。 | |||
明治三十二年頃 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
明治三十二年に東京へ出て来たときに夏目先生の紹介ではじめて正岡子規の家へ遊びに行った。 | |||
祭 | 寺田寅彦 | 5分以内 | |
毎年春と秋と一度ずつ先祖祭をするのがわが家の例である。 | |||
まじょりか皿 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
十二月三十一日、今年を限りと木枯しの強く吹いた晩、本郷四丁目から電車を下りて北に向うた忙がしい人々の中にただ一人忙がしくない竹村運平君が交じっていた。 | |||
星 | 寺田寅彦 | 5分以内 | |
天幕の破れ目から見ゆる砂漠の空の星、駱駝(らくだ)の鈴の音がする。 | |||
ベルリン大学 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
一九〇九年五月十九日にベルリンの王立フリードリヒ・ウィルヘルム大学の哲学部学生として入学した人々の中に黄色い顔をした自分も交じっていた。 | |||
二つの正月 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
九州の武雄温泉で迎えた明治三十年の正月と南欧のナポリで遭った明治四十三年の正月とこの二つの旅中の正月の記憶がどういう訳か私の頭の中で不思議な聯想の糸につながれて仕舞い込まれている。 | |||
病院風景 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
東京××大学医学部附属病院、整形外科病室第N号室。 | |||
半日ある記 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
九月二十四日、日曜日、空よく晴れて暑からず寒からず。 | |||
初旅 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
幼い時に両親に連れられてした長短色々の旅は別として、自分で本当の意味での初旅をしたのは中学時代の後半、しかも日清戦争前であったと思うから、たぶん明治二十六年の冬の休暇で、それも押詰まった年の暮であったと思う。 | |||
根岸庵を訪う記 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
九月五日動物園の大蛇を見に行くとて京橋の寓居を出て通り合わせの鉄道馬車に乗り上野へ着いたのが二時頃。 | |||
東上記 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
八月二十六日床を出でて先ず欄干に倚(よ)る。 | |||
追憶の冬夜 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
子供の時分の冬の夜の記憶の中に浮上がって来る数々の物象の中に「行燈」がある。 | |||
追憶の医師達 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
子供の時分に世話になった医師が幾人かあった。 | |||
鷹を貰い損なった話 | 寺田寅彦 | 5分以内 | |
小学時代の先生方から学校教育を受けた外に同学の友達からは色々の大切な人間教育を受けた。 | |||
高浜さんと私 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
高浜さんとはもうずいぶん久しく会わないような気がする。 | |||
重兵衛さんの一家 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
明治十四年自分が四歳の冬、父が名古屋鎮台から熊本鎮台へ転任したときに、母と祖母と次姉と自分と四人で郷里へ帰って小津の家に落ちつき、父だけが単身で熊本へ赴任して行った。 | |||
書簡(Ⅱ) | 寺田寅彦 | 5分以内 | |
拝復。 | |||
書簡(Ⅰ) | 寺田寅彦 | 5分以内 | |
拝復。 | |||
障子の落書 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
平一は今朝妹と姪(めい)とが国へ帰るのを新橋まで見送って後、なんだか重荷を下ろしたような心持になって上野行の電車に乗っているのである。 | |||
鴫突き | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
「鴫突き」のことは前に何かの機会に少しばかり書いたことがあったような気がするが、今はっきり思い出せないし、それに、事柄は同じでも雑誌『野鳥』の読者にはたぶんまた別な興味があるかもしれないと思うからそういう意味で簡単にこの珍しい狩猟法について書いてみることとする。 | |||
鴫つき | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
別役の姉上が来て西の上り端で話していたら要太郎が台所の方から自分を呼んで裏へ鴫(しぎ)を取りに行かぬかと云う。 | |||
子規の追憶 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
子規の追憶については数年前『ホトトギス』にローマ字文を掲載してもらったことがある。 | |||
子規自筆の根岸地図 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
子規の自筆を二つ持っている。 | |||
凩 | 寺田寅彦 | 5分以内 | |
またひとしきり強いのが西の方から鳴って来て、黒く枯れた紅葉を机の前のガラス障子になぐり付けて裏の藪を押し倒すようにして過ぎ去った。 | |||
高知がえり | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
明後日は自分の誕生日。 | |||
車 | 寺田寅彦 | 5分以内 | |
私が九つの秋であった、父上が役を御やめになって家族一同郷里の田舎へ引移る事になった。 | |||
郷土的味覚 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
日常の環境の中であまりにわれわれに近く親しいために、かえってその存在の価値を意識しなかったようなものが、ひとたびその環境を離れ見失った時になって、最も強くわれわれの追憶を刺戟することがしばしばある。 | |||
窮理日記 | 寺田寅彦 | 5分以内 | |
十日動物教室の窓の下を通ると今洗ったらしい色々の骸骨がばらばらに笊(ざる)へ入れて干してある。 | |||
枯菊の影 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
少し肺炎の徴候が見えるようだからよく御注意なさい、いずれ今夜もう一遍見に来ますからと云い置いて医者は帰ってしまった。 | |||
蛙の鳴声 | 寺田寅彦 | 5分以内 | |
何年頃であったか忘れてしまったが、先生の千駄木時代に、晩春のある日、一緒に音楽学校の演奏会に行った帰りに、上野の森をブラブラあるいて帰った。 | |||
海水浴 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
明治十四年の夏、当時名古屋鎮台につとめていた父に連れられて知多郡の海岸の大野とかいうところへ「塩湯治」に行った。 | |||
埋もれた漱石伝記資料 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
熊本高等学校で夏目先生の同僚にSという○物学の先生がいた。 | |||
イタリア人 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
今日七軒町まで用達しに出掛けた帰りに久し振りで根津の藍染町を通った。 | |||
ステッキ | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
初めは四本足、次に二本足、最後に三本足で歩くものは何かというなぞの発明された時代には、今のように若い者がステッキなどついて歩く習慣はなかったものと思われる。 | |||
海陸風と夕なぎ | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
昼間陸地の表面に近い気層が日照のためにあたためられて膨張すると、地上一定の高さにおいては、従来のその高さ以下にあった空気がその水準の上側にはみ出して来るから、従ってそこの気圧が高くなる。 | |||
神田を散歩して | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
あるきわめて蒸し暑い日の夕方であった。 | |||
ある探偵事件 | 寺田寅彦 | 5分以内 | |
数年前に「ボーヤ」と名づけた白毛の雄猫が病死してから以来しばらくわが家の縁側に猫というものの姿を見ない月日が流れた。 | |||
家庭の人へ | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
風呂の寒暖計今からもう二十余年も昔の話であるが、ドイツに留学していたとき、あちらの婦人の日常生活に関係した理化学的知識が一般に日本の婦人よりも進んでいるということに気のついた事がしばしばあった。 | |||
五月の唯物観 | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
西洋では五月に林檎やリラの花が咲き乱れて一年中でいちばん美しい自然の姿が見られる地方が多いようである。 | |||
猿の顔 | 寺田寅彦 | 5分以内 | |
映画「マルガ」で猿の親子連れの現われる場面がある。 | |||
小さな出来事 | 寺田寅彦 | 60分以内 | |
蜂私の宅の庭は、わりに背の高い四つ目垣で、東西の二つの部分に仕切られている。 | |||
鉛をかじる虫 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
近頃鉄道大臣官房研究所を見学する機会を得て、始めてこの大きなインスチチュートの内部の様子をかなり詳しく知ることが出来た。 | |||
蜂が団子をこしらえる話 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
私の宅の庭の植物は毎年色々な害虫のためにむごたらしく虐待される。 | |||
昭和二年の二科会と美術院 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
二科会(カタログ順)有島生馬氏。 | |||
人の言葉――自分の言葉 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
「おおかた古を考うる事、さらに一人二人の力もてことごとく明らめ尽くすべくもあらず。 | |||
浅草紙 | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
十二月始めのある日、珍しくよく晴れて、そして風のちっともない午前に、私は病床から這(は)い出して縁側で日向ぼっこをしていた。 | |||
雑記(Ⅱ) | 寺田寅彦 | 30分以内 | |
花火一月二十六日の祝日の午後三時頃に、私はただあてもなく日本橋から京橋の方へあの新開のバラック通りを歩いていた。 | |||
雑記(Ⅰ) | 寺田寅彦 | 60分以内 | |
日比谷から鶴見へ夏のある朝築地まで用があって電車で出掛けた。 | |||
断片(Ⅱ) | 寺田寅彦 | 10分以内 | |
連句で附句をする妙趣は自己を捨てて自己を活かし他を活かす事にあると思う。 |