10分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「10分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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小酒井さんのことども | 国枝史郎 | 10分以内 | |
小酒井さんが長逝されました。 | |||
小酒井不木氏の思い出 | 国枝史郎 | 10分以内 | |
◇小酒井不木さんが逝去された。 | |||
雑草一束 | 国枝史郎 | 10分以内 | |
「探偵趣味」へも御無沙汰致しました。 | |||
大衆物寸観 | 国枝史郎 | 10分以内 | |
中里介山氏の「大菩薩峠」は、実に素晴らしい作である。 | |||
名古屋の小酒井不木氏 | 国枝史郎 | 10分以内 | |
故小酒井不木氏は名古屋市に於ける寵児であった。 | |||
日本上古の硬外交 | 国枝史郎 | 10分以内 | |
インドネジアン族、インドチャイニース族の集合であるところの熊襲が大和朝廷にしばしば叛(そむ)いたのは新羅が背後から使嗾するのであると観破され、「熊襲をお討ちあそばすより先に新羅を御征伐なさいますように」と神功皇后様が仲哀天皇様に御進言あそばされたのは非常な御見識と申上げなければならない。 | |||
半七雑感 | 国枝史郎 | 10分以内 | |
岡本綺堂氏の「半七捕物帳」その主人公の半七に就いて些(いささか)私見を述べることにする。 | |||
秀吉・家康二英雄の対南洋外交 | 国枝史郎 | 10分以内 | |
上仏印問題、蘭印問題がわが国の関心事となり、近衛内閣はそれについて、満支、南洋をつつむ東亜新秩序を示唆する声明を発した。 | |||
京都学校の記 | 福沢諭吉 | 10分以内 | |
明治五年申五月朔日、社友早矢仕氏とともに京都にいたり、名所旧跡はもとよりこれを訪うに暇あらず、博覧会の見物ももと余輩上京の趣意にあらず、まず府下の学校を一覧せんとて、知る人に案内を乞い、諸処の学校に行きしに、その待遇きわめて厚く、塾舎・講堂、残るところなく見るを得たり。 | |||
浮世絵画家の肉筆 | 上村松園 | 10分以内 | |
浮世絵画家の肉筆というものは、錦絵とはちがった別の味わいがあるものですが、こんど蒐集陳列されたものは、屏風、掛物、巻、画帖など種々な形のものがあって、しかも何しろ二百点ばかりもあったろうと思いますから、こういう展覧会としても、なかなか見ごたえのあるものでした。 | |||
女の話・花の話 | 上村松園 | 10分以内 | |
○責任のある画債を少しずつ果していっておりますが、なかなか埓(らち)があきません。 | |||
画室談義 | 上村松園 | 10分以内 | |
いつだったか、ある東京の婦人雑誌の記者が数人見えて、私のいろいろな生活を写真に撮られたり記事にして行かれたことがあった。 | |||
絹と紙の話と師弟の間柄の話 | 上村松園 | 10分以内 | |
二、三年前竹杖会の研究会で年に二点は大小に拘わらず是非出品しなければいけないという規則が出来ましたので、いつぞや小品を一点持出したことがあります。 | |||
京のその頃 | 上村松園 | 10分以内 | |
私は京の四条通りの、今、万養軒という洋食屋になってるところにあった家で生まれた。 | |||
謡曲と画題 | 上村松園 | 10分以内 | |
下手の横好きと言いますか、私は趣味のうちでは謡曲を第一としています。 | |||
謡曲仕舞など | 上村松園 | 10分以内 | |
○伊勢の白子浜に鼓が浦という漁村があって、去年からそこに一軒の家を借りまして、夏じゅうだけ避暑といってもよし、海気に親しむといってもよし、家族づれで出かけていって、新鮮な空気と、清涼な海水に触れてくることにしています。 | |||
靄の彼方 | 上村松園 | 10分以内 | |
心忙しい気もちから脱れて、ゆっくり制作もし、また研究もしたいと年中そればかりを考えていながら、やはり心忙しく過ごしています。 | |||
孟母断機 | 上村松園 | 10分以内 | |
「その父賢にして、その子の愚なるものは稀(めずら)しからず。 | |||
迷彩 | 上村松園 | 10分以内 | |
○この間私はある方面から質のいい古い唐紙を手に入れましたので、戯れに興味描きを試みまして、知合いの人にも贈ったりしました。 | |||
昔のことなど | 上村松園 | 10分以内 | |
最近年の栖鳳先生はずっと湯河原にお出でになられたものですから滅多にお会いする機会もなくなり、何彼と先生のことを思い出そうとしますとどうしてもずっと古いことがあれこれと思い浮かばせられます。 | |||
花筐と岩倉村 | 上村松園 | 10分以内 | |
「花がたみ」は第九回文展出品作で、大正四年の制作である。 | |||
虹と感興 | 上村松園 | 10分以内 | |
私は今婦女風俗の屏風一双を描いておりますが、これは徳川末期の風俗によったもので、もうそろそろ仕上りに近づいております。 | |||
楠公夫人 | 上村松園 | 10分以内 | |
自分の思う絵を、私は機運がくると、たちまちそれの鬼となって、火の如き熱情を注いで――これまでにずいぶんと数多くの制作をして来た。 | |||
座右第一品 | 上村松園 | 10分以内 | |
縮図の帳面もう大分と前の話ですが、裏ン町で火事があって火の子がパッパッと飛んで来て、どうにも手のつけようがないと思ったことがありました。 | |||
最初の出品画 | 上村松園 | 10分以内 | |
今でこそ洋画にしろ日本画にしろ、モデルというものが大きな問題となっているが、今から四、五十年も前の我が画壇をふり返ってみると、そんなものはまるでなかった。 | |||
京の夏景色 | 上村松園 | 10分以内 | |
京都の街も古都というのはもう名ばかりで私の幼な頃と今とではまるで他処の国のように変ってしまってます。 | |||
一寸怪 | 泉鏡花 | 10分以内 | |
怪談の種類も色々あって、理由のある怪談と、理由のない怪談とに別けてみよう、理由のあるというのは、例えば、因縁談、怨霊などという方で。 | |||
肉食之説 | 福沢諭吉 | 10分以内 | |
天地の間に生るゝ動物は肉食のものと肉を喰はざるものとあり。 | |||
辞書の客観性 | 三木清 | 10分以内 | |
私がヴォルテールの『哲学辞書』を買つたのは、たしか大黒屋といふ本屋であつたと思ふ。 | |||
畳まれた町 | 国枝史郎 | 10分以内 | |
ボーン!音だ!ピストルの音だ!……と、そんなように思われた。 | |||
目撃者 | 国枝史郎 | 10分以内 | |
ミラは何うしても眠れなかった。 | |||
熊 | 久米正雄 | 10分以内 | |
北海道で生れた私の友達が、或日私の近所の子供たちの前でこういう熊の話をして行きました。 | |||
橘曙覧 | 折口信夫 | 10分以内 | |
曙覧は文化九年、福井市内屈指の紙商、井手正玄の長男として生れたが、父祖の余沢に浴することをせず、豊かな家産と名跡、家業を悉く異母弟に譲つて、郷里を離れた山里や町はづれに、さゝやかな藁家を構へ、学究歌道に専念した。 | |||
あるとき | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
むさしのの草に生れし身なればやくさの花にぞこころひかるると口ずさんだりしたが、「わたしの前生はルンペンだつたのかしらん。 | |||
家 | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
ある日、婦人ばかりといつてよい招待の席で、小林一三氏が、吉屋信子さんの新築の家を絶讃された。 | |||
鏡二題 | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
暗い鏡鏡といふものをちやんと見るやうになつたのは、十八――九の年頃だつたと思ひます。 | |||
滝野川貧寒 | 正岡容 | 10分以内 | |
私は半生をつうじての貧困の生活を、昭和初世の滝野川と杉並馬橋とでおくつた。 | |||
夢の如く出現した彼 | 青柳喜兵衛 | 10分以内 | |
燃え上った十年、作家生活の火華は火華を産ンで、花火線香の最後に落ちる玉となって消えた夢野久作、その火華は、今十巻の全集となって、世に出ようとしている。 | |||
小曲 | 橋本五郎 | 10分以内 | |
ひどい暴風雨だった。 | |||
殺人迷路 | 橋本五郎 | 10分以内 | |
見えざる敵新橋駅で雑誌記者の津村と別れた探偵作家の星田は、そこから自動車を拾って一先ず自分の宅へ引上げてきた。 | |||
桑摘み | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
庭木の植込みの間に、桑の細い枝が見える。 | |||
下町娘 | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
江戸の女を語るには、その階級から語らなければならない。 | |||
佃のわたし | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
暗の夜更にひとりかへる渡し船、殘月のあしたに渡る夏の朝、雪の日、暴風雨の日、風趣はあつてもはなしはない。 | |||
東京に生れて | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
大東京の魅力に引かれ、すつかり心醉しながら、郷里の風光に思ひのおよぼすときになると、東京をみそくそにけなしつける人がある。 | |||
夏の女 | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
一夏、そのころ在阪の秋江氏から、なるみの浴衣の江戸もよいが、上布を着た上方の女の夏姿をよりよしと思ふといふ葉書が來たことがある。 | |||
「なよたけ」の解釈 | 折口信夫 | 10分以内 | |
その頃、目に故障を持つてゐた戸板君が、戦争に出ることになつた。 | |||
初かつお | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
鰹といふと鎌倉で漁れて、江戸で食べるといふふうになつて、賣るも買ふも、勇み肌の代表のやうになつてゐるが、鰹は東南の海邊では、どこでも隨分古くから食用になつてゐる上に、鰹節の製造されたのも古いと見えて、社の屋根の鰹木は、鰹節をかたどつたものだと、「舍屋の上に堅魚を」と古事記にあれば、水の江の浦島の子をよめる萬葉の長歌には春の日の霞める時に住吉の、岸に出でゐて釣船の、とをらふ見れば古の事ぞ思ほゆ、水の江の浦島の兒が堅魚釣り、鯛釣りほこり七日まで――と、魚の王鯛と同格... | |||
春 | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
今朝昨夜、空を通つた、足の早い風は、いま何處を吹いてゐるか!あの風は、殘つてゐたふゆを浚つて去つて、春の來た今朝は、誰もが陽氣だ。 | |||
四人の兵隊 | 長谷川時雨 | 10分以内 | |
出征文人の一員、林芙美子のリユツクサツクのなかへはいつて[#「はいつて」は底本では「はついて」]、わたしの心持も行くといふと奇矯にきこえるが、わたくしの兵隊さん慰問文が、おぶつていつてもらふことになつた。 | |||
桜と狆と愛国心 | 堺利彦 | 10分以内 | |
一體(たい)コスモポリタンといふ言葉の正確な意義はどういふのだらう。 |