30分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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私の飼った犬 | 斉藤弘吉 | 30分以内 | |
最初はカラフト犬私が最初に飼った犬は、カラフト犬でした。 | |||
青い絨毯 | 坂口安吾 | 30分以内 | |
僕らが「言葉」という飜訳雑誌、それから「青い馬」という同人雑誌をだすことになって、その編輯に用いた部屋は芥川龍之介の書斎であった。 | |||
篠笹の陰の顔 | 坂口安吾 | 30分以内 | |
神田のアテネ・フランセという所で仏蘭西語を習っているとき、十年以上昔であるが、高木という語学の達者な男を知った。 | |||
私は海をだきしめていたい | 坂口安吾 | 30分以内 | |
私はいつも神様の国へ行こうとしながら地獄の門を潜ってしまう人間だ。 | |||
流浪の追憶 | 坂口安吾 | 30分以内 | |
私は友達から放浪児と言われる。 | |||
意慾的創作文章の形式と方法 | 坂口安吾 | 30分以内 | |
小説の文章を他の文章から区別する特徴は、小説のもつ独特の文章ではない。 | |||
咢堂小論 | 坂口安吾 | 30分以内 | |
毎日新聞所載、尾崎咢堂の世界浪人論は終戦後現れた異色ある読物の一つであったに相違ない。 | |||
堕落論〔続堕落論〕 | 坂口安吾 | 30分以内 | |
敗戦後国民の道義頽廃せりというのだが、然らば戦前の「健全」なる道義に復することが望ましきことなりや、賀すべきことなりや、私は最も然らずと思う。 | |||
デカダン文学論 | 坂口安吾 | 30分以内 | |
極意だの免許皆伝などというのは茶とか活花とか忍術とか剣術の話かと思っていたら、関孝和の算術などでも斎戒沐浴して血判を捺(お)し自分の子供と二人の弟子以外には伝えないなどとやっている。 | |||
武者ぶるい論 | 坂口安吾 | 30分以内 | |
妖雲天地にたちこめ、円盤空をとび、巷(ちまた)の天文家は戦争近しと睨(にら)んだ形跡であるが、こと私自身に関しては、戦争になっても余り困らない人間だ。 | |||
余はベンメイす | 坂口安吾 | 30分以内 | |
先日朝日評論のO氏現れ、開口一番、舟橋聖一のところには日に三人の暴力団が参上する由だが、こちらはどうですか、と言う。 | |||
噺家の着物 | 三遊亭金馬 | 30分以内 | |
咄家の着物とあらたまっていうほどのこともないが、落語のなかにでてくる人物の着物をお客に説明するにも、咄家自身のなりがわるいといいにくいことがある。 | |||
書狼書豚 | 辰野隆 | 30分以内 | |
古は渇して盗泉の水を飲まず、今は盗泉の名を改めて飲む。 | |||
感傷主義 | 辰野隆 | 30分以内 | |
感傷主義――サンチマンタリスム――にも、ぴんからきりまである。 | |||
浜尾新先生 | 辰野隆 | 30分以内 | |
毎週二回か三回、僕は帝大構内の、浜尾新先生の銅像の下を通つて、丘の上の教員食堂に午飯を食べにゆくのだが、その銅像を眺める度毎に、在りし日の先生とは似てもつかぬ姿だと思はぬためしはない。 | |||
二人のセルヴィヤ人 | 辰野隆 | 30分以内 | |
リヨンからパリに移ったのは冬の最中であった。 | |||
我が一九二二年 | 佐藤春夫 | 30分以内 | |
私達の友人は既に、彼の本性にかなはない総ての物を脱ぎ棄て、すべての物を斥けた。 | |||
うつせみ | 樋口一葉 | 30分以内 | |
家の間数は三畳敷の玄関までを入れて五間、手狭なれども北南吹とほしの風入りよく、庭は広々として植込の木立も茂ければ、夏の住居にうつてつけと見えて、場処も小石川の植物園にちかく物静なれば、少しの不便を疵(きず)にして他には申旨のなき貸家ありけり、門の柱に札をはりしより大凡三月ごしにも成けれど、いまだに住人のさだまらで、主なき門の柳のいと、空しくなびくも淋(さび)しかりき、家は何処までも奇麗にて見こみの好ければ、日のうちには二人三人の拝見をとて来るものも無きにはあらねど、敷金三月... | |||
「樋口一葉全集第二巻」後記 | 久保田万太郎 | 30分以内 | |
この卷には、前卷(第一卷)を承けて、『琴の音』以下十四篇の小説を收めた。 | |||
わかれ道 | 樋口一葉 | 30分以内 | |
上お京さん居ますかと窓の戸の外に来て、ことことと羽目を敲(たた)く音のするに、誰れだえ、もう寐(ね)てしまつたから明日来ておくれと嘘(うそ)を言へば、寐たつて宜いやね、起きて明けておくんなさい、傘屋の吉だよ、己れだよと少し高く言へば、嫌な子だねこんな遅くに何を言ひに来たか、又御餅のおねだりか、と笑つて、今あけるよ少時辛棒おしと言ひながら、仕立かけの縫物に針どめして立つは年頃二十余りの意気な女、多い髪の毛を忙がしい折からとて結び髪にして、少し長めな八丈の前だれ、お召の台なしな半... | |||
槍ガ岳 | 松濤明 | 30分以内 | |
荷上げ昭和二十三年十二月十二日五時松本着、ただちに島々へ行き、西糸屋にて干飯、餅各三升依頼。 | |||
「土」に就て | 夏目漱石 | 30分以内 | |
「土」が「東京朝日」に連載されたのは一昨年の事である。 | |||
紙幣 | 小熊秀雄 | 30分以内 | |
紙幣よ、貴様のためにこの私の詩人が歌ふのを光栄と思へ、だが貴様はいふだらう、――何を生意気な貧乏詩人め、イノシシとは一体十円札か百円札か知つてゐるかさういはれてみると一寸胴忘れした然しそんなことが何の恥辱だらう、紙幣の図柄をゆつくり見て居る暇もない程に貴様はいつも私の右から入つて左へ抜けるまるで駈足だ。 | |||
シャリアピン | 小熊秀雄 | 30分以内 | |
わたしはシャリアピンさまに永年仕へてゐる蚤ともに韃靼の古都カザンに生れともに暮して当年六十四歳、夏はシャリアピンのカラーの下の涼しいところに冬は暖い頭髪の中に平素は主として鳩尾のあたりに住んでゐる、早耳、早足は小生の特長御主人シャリアピンが御承知なくともわたしはすべてを知つてゐる、ソビヱットのこと、旦那の若い頃からの友達ゴリキイ旦那の最近の便りもせつせと走り廻つたり、聴き廻つたりし... | |||
長長秋夜 | 小熊秀雄 | 30分以内 | |
――ぢやん、ぢやん、ちゆう、やは朝鮮語で長い長い秋の夜といふ意味。 | |||
魔女 | 小熊秀雄 | 30分以内 | |
叙事詩「魔女」の人物海羅義丘()千敬太郎(青年)天羅多吉(独立画家)富士光雄(渕(ママ))マリア()悪魔()魔女()姉()序詩すべての女の読者諸君よいまは時代の過渡期です、若しあなたに恋愛に就いての真ねんがなかつたら、恋することはお控へなさいでなければ貴女の教養と財産にとつて... | |||
きのふは嵐けふは晴天 | 小熊秀雄 | 30分以内 | |
舞台周囲が岩石ばかりの大谿谷の底を想像させる所、極度に晴れ渡つた早春の朝、遠くから太鼓のにぶい音と、タンバリンの低い音が断続的に聞えてくる、舞台ボンヤリとして何か間のぬけた感。 | |||
諷刺大学生 | 小熊秀雄 | 30分以内 | |
ある夜一人の見も知らぬ学生が訪ねて来た、洋服の袖口のところが破れてゐて小さな穴から下着の縞模様をのぞかせてゐた、学生は――諷刺文学万歳!と叫んでそして私に握手を求めた――曙ですよ、あなたのお仕事の性質は、日本に諷刺文学がとにかく真実に起つたといふことは決定的に我々の勝です、彼はかう言つて沈黙した、ところで我々はそれから、ぺちやくちやしやべつた揚句は――諷刺作家は... | |||
静安寺の碑文 | 横光利一 | 30分以内 | |
静安寺の境内は名高い外人墓地である。 | |||
北京と巴里(覚書) | 横光利一 | 30分以内 | |
芥川龍之介氏は上海へ行くと政治のことばかりに頭が廻って困ると私にこぼしたことがある。 | |||
我等と日本 | 横光利一 | 30分以内 | |
本日は、われわれ日本人の多くのものが、長く敬愛して来ましたこの、フランスに於ける、最も高い精神生活を代表せられる皆さん方に接し得られました事は、深く私の光栄とする所であります。 | |||
創始期の詩壇 | 蒲原有明 | 30分以内 | |
明治十五年にかの有名な「新體詩抄」が刊行された。 | |||
紀伊国狐憑漆掻語 | 谷崎潤一郎 | 30分以内 | |
漆掻きと云ったって都会の人は御存知ないかも知れませんが、山の中へ這入って行って漆の樹からうるしの汁をしぼるんです。 | |||
自然の復讐 | 丘浅次郎 | 30分以内 | |
自然を征服し得たことは人類の最も誇りとする所である。 | |||
落第と退校 | 丘浅次郎 | 30分以内 | |
先達て京阪地方へ旅行した際に、或る人から「貴君は、何故、理科大学の正科を修めずに撰科を出たか」と尋ねられた。 | |||
青山菊栄様へ | 伊藤野枝 | 30分以内 | |
青山菊栄様あなたの公開状は本当に、私には有りがたいものでした。 | |||
従妹に | 伊藤野枝 | 30分以内 | |
今、私の頭の中で二つのものが縺(もつ)れ合つて私をいろいろに迷はして居ります。 | |||
S先生に | 伊藤野枝 | 30分以内 | |
余程以前から先生に何か書いて見たい気はありましたけれども私の書いたものなんか御覧になるときつとまた、あの、「フン」と鼻の先で笑はれることだらうと思ひますと嫌気がさして書く気にはなれませんでした。 | |||
九州より | 伊藤野枝 | 30分以内 | |
生田さん、私たちは今回三百里ばかり都会からはなれて生活して居ります。 | |||
私信 | 伊藤野枝 | 30分以内 | |
八重子様本当に暫く手紙を書きませんでした。 | |||
悪夢 | 中村地平 | 30分以内 | |
辺りをはばかる低い声で、山岸花子に呼ばれたやうな気がしたので、文科大学生の根上三吉は机の前から起ちあがり、電燈のコードをひつ張つて窓の外を覗いた。 | |||
大井川奥山の話 | 木暮理太郎 | 30分以内 | |
赤石山系の二大山脈即ち白峰山脈と赤石山脈とは、其(その)北端に位する鳳凰山塊と共に、日本南アルプスと呼ばれている。 | |||
奥秩父 | 木暮理太郎 | 30分以内 | |
秩父という名が大宮を中心とした所謂秩父盆地に限られていた時代には、武甲山や三峰山などが秩父の高山であるように思われていたのも無理ではない。 | |||
北岳と朝日岳 | 木暮理太郎 | 30分以内 | |
白峰北岳日は忘れたが明治二十六年の八月であった、初めて木曾の御岳に登った時、兼てこの山は高さ一万七百尺、日本第二の高山であると地理書で教えられ、又近所の御岳講の講中で登山したことのある人の話にも、頂上からは富士山が高く見えるだけで、外に目に立つ山は無いと聞かされていたので、そうと許り信じていた私は、意外な展望にすっかり驚いてしまった。 | |||
渓三題 | 木暮理太郎 | 30分以内 | |
いつぞや秩父の長瀞見物に行って来た人が「どうもいい景色ですな、あんな所は山の中にもそう沢山はありますまい」というて、其(その)話をして呉れたことがある。 | |||
秩父宮殿下に侍して槍ヶ岳へ | 木暮理太郎 | 30分以内 | |
中房温泉荒模様であった空は、夜が明けると少し穏になって、風は強いが雨脚は疎になった。 | |||
那須、尾瀬、赤城、志賀高原 | 木暮理太郎 | 30分以内 | |
那須岳那須火山群は、広漠たる那須ヶ原の北端に在って、南北に長い連嶺をなし、所謂那須の五岳を含む山塊を総称したものである。 | |||
四十年前の袋田の瀑 | 木暮理太郎 | 30分以内 | |
勿来関趾をたずね、鵜子岬に遊び、日和山に登って、漁船に賑う平潟の港内や、暮れ行く太平洋の怒濤を飽かず眺めた後、湾に臨んだ宿屋の楼上に一夜を明かして、翌日仙台からはるばると辿って来た海岸を離れ、小雨そぼふる中を棚倉道に沿うて歩き出した。 | |||
書簡 木村荘太宛 | 伊藤野枝 | 30分以内 | |
宛先東京市麹町区平河町発信地東京市外上駒込染井三二九辻方御手紙拝見いたしました。 | |||
浴槽 | 大坪砂男 | 30分以内 | |
ここから関東平野を一気に千メートル登ろうという碓氷峠の、アプト式鉄道の小刻みな振動を背筋に感じながら、私は読みさしの本をわきに伏せた。 |