30分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
---|
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
---|
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
---|---|---|---|
演劇・法律・文化 | 岸田国士 | 30分以内 | |
芸術家擁護の現行法「芸術」と「法律」とはそんなに縁の遠いものではないといふことを、私は近頃いろいろな機会に感じるのであるが、この両者の接近が、どうかすると、一国の精神文化の水準を示してゐるのではないかとさへ思はれることがある。 | |||
演劇当面の問題 | 岸田国士 | 30分以内 | |
戯曲不振の理由「戯曲家は生れながら戯曲家である」といふやうなことも云はれるが、しかしまた、戯曲家が戯曲家たる動機は、小説家が小説家たり、詩人が詩人たる動機と決して異つたものであるとは云へないのであつて、少くとも今日までの歴史を通じてみれば、多くの例が、その点について興味のある事実を語つてゐるのである。 | |||
言葉の魅力[第一稿] | 岸田国士 | 30分以内 | |
「言葉」といふものは、単に思想や感情を伝へる記号として、日常生活に欠くべからざるものであるばかりでなく、ある一人の使ふ「言葉」は、万人共通の意味をもつと同時に、その人に「固有にあるもの」を現はしてゐるのであつて、この点から見れば、それは人間の「表情」に近いものである。 | |||
演劇本質論の整理 | 岸田国士 | 30分以内 | |
一、弁明本誌(新潮)八月号に発表された岩田豊雄氏の文章「演劇本質論の検討」を読んで、僕はいろいろのことを感じた。 | |||
日本の新劇 | 岸田国士 | 30分以内 | |
現在いろいろな場合に新劇といふ言葉が使はれてをりますが、先日もある機会に、「新劇」とはなんぞやといふ質問が出ましたのに、この答へを当然用意してゐなければならない人々が、実はお互に顔を見合せて苦笑をした次第であります。 | |||
新劇倶楽部創立に際して | 岸田国士 | 30分以内 | |
非常に漠然とした提議の内容でありましたが、それにも拘はらず大体の趣旨に御賛成の上でありませう、今日、わざわざここへお集り下さいましたことは、私として感謝にたへません。 | |||
演劇論の一方向 | 岸田国士 | 30分以内 | |
凡そ、如何なる芸術と雖も、若干の「法則」に従はないものはない。 | |||
新劇の始末 | 岸田国士 | 30分以内 | |
新劇とは?「新劇」といふ言葉は最初誰がどういふ意味で使ひ出したか知らぬが、「新しい芝居」といふことを漢語で云つたまでで、専門的な術語と見做すわけに行かぬと思ふ。 | |||
愛妻家の一例 | 岸田国士 | 30分以内 | |
ルナアルの日記を読んで、いろいろ面白い発見をするのだが、彼は自分の少年時代を、「にんじん」で過したゞけあつて、大人になつてからも、常に周囲を「にんじん」の眼で眺め暮した世にも不幸な人間なのである。 | |||
世界覗眼鏡 | 岸田国士 | 30分以内 | |
この覗眼鏡はそんなに珍らしいものではない。 | |||
戯曲集『鴉』の印象 | 岸田国士 | 30分以内 | |
関口次郎君の第二戯曲集が出た。 | |||
劇作を志す若い人々に | 岸田国士 | 30分以内 | |
自ら劇作家と名乗る資格があるかどうかわからないものが、劇作家たるべき道を説くことは甚だ可笑しいと思ひますが、私を一個の劇作家と見立てゝ、かういふ課題を与へた本誌編輯者の、表面的な責任の蔭にかくれ、私は、自分の信ずるところを述べて見ませう。 | |||
ジュウル・ルナアル | 岸田国士 | 30分以内 | |
劇作家としてのジュウル・ルナアルを識る前に、詩人としての――芸術家としてのルナアルを識らなければならない。 | |||
歌舞伎劇の将来 | 岸田国士 | 30分以内 | |
歌舞伎劇が、今日、我が国劇の主流を形造つてゐることは、如何なる点から見ても不合理であり、不自然である。 | |||
田巻安里のコーヒー | 岸田国士 | 30分以内 | |
田巻安里は、甚だコーヒーをたしなんでゐた。 | |||
劇壇暗黒の弁 | 岸田国士 | 30分以内 | |
演劇の不振といふことを、近頃よく世間では問題にするが、それが悦ぶべきことか悲しむべきことかといふ議論になると、私には、殆んど見当がつかないと云つていい。 | |||
フランスに於けるシェイクスピア | 岸田国士 | 30分以内 | |
嘗てイタリーへ旅行しました時、※ロナで、或るシェイクスピアの作中のそれのやうな月のいゝ晩に、市中を歩いてをりますと、「ロミオとジュリエットの墓」といふ標札が目に附きました。 | |||
新劇復興の兆 | 岸田国士 | 30分以内 | |
文学の上では、絶えず思想的な波の起伏が、直接にその時代の作家を――、殊に若いヂェネレエションを刺激して、あらゆる面での先駆的な運動となつて現れるのであるが、演劇の方面では、今日までのところ、所謂革新派と見做すべき一群の擡頭は、常に若干年数の周期を経て繰り返されてゐるやうである。 | |||
戯曲及び戯曲作家について | 岸田国士 | 30分以内 | |
レオン・ドオデが、ジュウル・ルナアルの芸術を指して、「小ささの偉大さ」と呼んでゐるが、そのジュウル・ルナアルは、芸術家としてのエドモン・ロスタンをまた、「月並で、しかして、偉大」と評した。 | |||
劇壇左右展望 | 岸田国士 | 30分以内 | |
○左、劇文学の領域近頃、純文学と大衆文学の問題が各所で論議されてゐるやうだが、これは、所謂「文芸上の問題」とはなり得ない一個の文壇四方山話にすぎないので、「純文学では飯が食へん」とか、「大衆文学を書くのにもやはり才能がいる」とか、何れも、動かすべからざる真理に違ひないが、今まで、どの時代の文学者も、そんなことは嘗て言はなかつたほど、当り前のことなのだ。 | |||
私の従軍報告 | 岸田国士 | 30分以内 | |
戦線は無限に広いこと武漢が落ち、広東が陥ち、わが軍の作戦区域が著るしく拡大されたことは云ふまでもないが、私の今度の中支従軍を通じて、現実にこれは大変だと感じたことは、普通第一線と呼ばれてゐる作戦軍の正面以外に、鉄道の沿線と揚子江流域の重要な都市を囲む殆ど中支一帯の地域に残敵の有力な部隊が蟠居して、わが占領地区を脅かしてゐることである。 | |||
「女らしさ」について | 岸田国士 | 30分以内 | |
私はかういふ問題について特に興味をもつてゐるわけではないが、今時かういふ問題が婦人公論のやうな雑誌でとりあげられるといふ事実に多少時代的な意義を見出すのである。 | |||
一対の美果 | 岸田国士 | 30分以内 | |
近頃読んだいろいろな文章のなかで、私が特にこゝでその読後感を述べたいと思ふのは、それが今の私にとつて可なり重要な問題を含んでをり、それのいづれからも非常に珍しい感動をうけ、しかも、それらが揃ひも揃つて、所謂「非職業作家」の手になつたところの、甚だ示唆に富んでゐる二つの「記録」である。 | |||
続言葉言葉言葉(その二) | 岸田国士 | 30分以内 | |
近頃ある疑ひが私を囚へて放さない。 | |||
演劇統制の重点 | 岸田国士 | 30分以内 | |
国家の権威と責任で当れ世界を通じて、演劇は今や膠着状態にあるやうである。 | |||
文芸と国語 | 岸田国士 | 30分以内 | |
文芸と国語といふ標題を掲げたのですが、さういふ問題は考へれば考へるほど範囲が広くてどこかに重点をおかなければ短い時間にはお話が出来ません。 | |||
風俗の非道徳性 | 岸田国士 | 30分以内 | |
時局が特に要求する国民の覚悟といふことについて私は考へた。 | |||
文芸雑談 | 岸田国士 | 30分以内 | |
実際、毎日会ふ人が沢山あるのですよ。 | |||
文芸の側衛的任務 | 岸田国士 | 30分以内 | |
私の考へでは、政治には、広い意味の政治と狭い意味の政治とがあると思ひます。 | |||
既往文化と新文化 | 岸田国士 | 30分以内 | |
通念の更新一体、国防国家といふものゝなかで、文化はどういふ取扱ひを受けるべきかといふ問題ですが……この点に関しては、実にいろいろの意見があるやうです。 | |||
文化の新体制 | 岸田国士 | 30分以内 | |
「文化」といふ言葉は今までごく手軽に使はれて来ました。 | |||
宗教と科学についての所感 | 岸田国士 | 30分以内 | |
宗教について宗派をどうするとか、宗教団体を再編成するとかいふことについては、実際の事情をまだ知らないから現在なんにも考へてはをりませんが、宗教心――所謂宗教的感情といふものがこの頃の日本人には非常に少ないやうです。 | |||
国防と文化 | 岸田国士 | 30分以内 | |
いよいよ事態が切迫して来たやうであります。 | |||
芸術家の協力 | 岸田国士 | 30分以内 | |
翼賛会の文化部と致しましては、実は、現在の楽壇の実状を考へまして、直ちにこれをどうしようといふ風には考へてゐないのであります。 | |||
大政翼賛会と文化問題 | 岸田国士 | 30分以内 | |
翼賛会の文化部としては、現在まで政府が実行して来た文化政策といふものゝ全体に亘つて、一応どういふことが今日までなされて来てをり、またそれがどういふ結果を生んでゐるか、更にまた政府がどういふ方向に導いてくれゝば、一層国民全体の間に文化が向上するか、さういふやうな問題に就て研究をしてをります。 | |||
日本人のたしなみ | 岸田国士 | 30分以内 | |
「たしなみ」「たしなみ」といふといかにもありふれた言葉ですが、これが今の日本人に忘れられてゐるやうです。 | |||
勤労と文化 | 岸田国士 | 30分以内 | |
翼賛会としては、生活といふもの全体を一つの文化的見地から検討して、現在の国民生活のなかにある弱点を是正して行くと同時に、生活全体を大体三つの観点から建直して行きたいといふ方針でをります。 | |||
観光事業と文化問題 | 岸田国士 | 30分以内 | |
私は観光事業に関しては全くの素人で、殊にこの問題は非常に広汎な領域を含んで居りますので、私の申上げることが或は肯綮に当らないかも知れませんが、併し只今この時局下において日本全文化領域のことが考へられて居る際でありますから、観光事業も文化問題として取上げて我々の仕事の一部としたいと思つて居るのであります。 | |||
地方文化の新建設 | 岸田国士 | 30分以内 | |
今日、国民文化の向上といふ問題を考へる時、真に新しい意味と性格をもつた文化運動といふものが考へられる。 | |||
生活の黎明 | 岸田国士 | 30分以内 | |
私は国民の一人として考へます。 | |||
文化運動への反省 | 岸田国士 | 30分以内 | |
翼賛運動の発足と同時に文化新体制といふ声が起つてきました。 | |||
外国語教育 | 岸田国士 | 30分以内 | |
今日、わが国における外国語の問題を考へるとすれば、およそ次の三点、即ち、この歴史的転換期に直面して外国語教育はいつたいどう取扱はるべきかといふこと、次には国際的な関係が一層複雑微妙になつて来たかういふ時代に、外国語の活用ないし利用がどんな状態にあるか、つまり日本人としていまどの程度に外国語を実際に生かして使つてゐるかといふこと、もう一つは、日本語の海外進出に絡んで、やはり日本語を一応ほかの国から観た外国語として考へてみるといふこと、これらの点が主として問題になると思ふ。 | |||
戦時下の文化運動 | 岸田国士 | 30分以内 | |
「決戦下における翼賛文化運動実践の具体的方針」について、私から御相談申上げるのでありますが、先程「論議の時代は過ぎた」とは一応は申しましたけれども、しかし吾々文化運動に携るものの間に、確乎たる共通の理念をつくつておくことが、是非共必要であると存じます。 | |||
優にやさしき心 | 岸田国士 | 30分以内 | |
今こそ日本人といふ日本人は一人残らず、共通の感激、共通の幸福感、そして、共通の矜りをもつてゐるといふことがはつきり云へます。 | |||
生活力の強化 | 岸田国士 | 30分以内 | |
大政翼賛運動の発足以来、全国に自発的に起つてきた運動の一つに文化運動がありますが、この運動の中には、翼賛運動の本来の性格に未だ副はぬものも可なりあるやうであります。 | |||
生活のうるほひ | 岸田国士 | 30分以内 | |
趣味といふ言葉は非常に広く使はれてゐますが、一般には好きなことゝいふ程度に解釈され、読書、映画、スポーツ、釣、将棋などと雑多なものが一様に趣味といふ範囲に入れられてしまふわけでありますが、ほんたうをいふと、高い精神的な訓練を経て、初めてそれを趣味として身につけるやうな種類のものもあり、またほんのやり方を覚えさへすれば、一通り遊びとしての暇つぶしの出来るやうなものなど、色々あります。 | |||
空地利用 | 岸田国士 | 30分以内 | |
思想と性格「思想」といふ言葉がたびたび口にされる。 | |||
文化職域について | 岸田国士 | 30分以内 | |
大政翼賛運動の発足に先立つて、国民組織といふ問題が政治的に取りあげられ、更に、近衛内閣の出現と同時に、職域奉公といふ言葉が世上にひろまつた。 | |||
『力としての文化』まえがき | 岸田国士 | 30分以内 | |
私は最近二年間、大政翼賛会文化部の仕事を引受け、国民組織として整備すべき文化機構に関し、また、国民運動として取りあぐべき各種文化問題について、いろいろ自分でも研究し、各方面の意見も徴したのですが、なにしろその範囲は無限に広く、一つ一つの問題が極めて深い根柢のうへに立つてゐるといふことを知るにつけ、先づどこから手をつけるべきかといふことに屡※迷つたのであります。 | |||
農村の文化について | 岸田国士 | 30分以内 | |
皇国農村の建設といふことが近頃叫ばれてゐる。 |