5分以内で読める岸田国士の短編作品
青空文庫で公開されている岸田国士の作品の中で、おおよその読了目安時間が「5分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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「文壇波動調」欄記事 | 岸田国士 | 5分以内 | |
新劇協会が、今後経済的支持者を得て、更生の第一歩を踏み出さうとする機会に、その新しい関係者の一人として、私は、世の新劇研究家並に愛好者に訴へる――われわれの仕事を理解し、援助して頂きたい。 | |||
稽古雑感 | 岸田国士 | 5分以内 | |
「盗電」の舞台監督を引受けた時、すぐ作者の金子洋文君に会つて、いろいろ相談したいと思つたが、生憎金子君は旅行中だといふことで、止むを得ず、自分だけの解釈に従つて稽古を進めた。 | |||
新国劇の「屋上庭園」を観て | 岸田国士 | 5分以内 | |
年末から旅行をしてゐたので、今日(十四日)見ました。 | |||
練習曲 | 岸田国士 | 5分以内 | |
――おれはかうして雲を見てゐる。 | |||
端役 | 岸田国士 | 5分以内 | |
端役をすら、一生懸命に演ずる俳優は頼母しい俳優だ。 | |||
或る日の動物園 | 岸田国士 | 5分以内 | |
鷲がその威風に似ず、低脳らしい金属性の声をたてた。 | |||
最もよく系統づけられた戯曲叢書 | 岸田国士 | 5分以内 | |
文芸作品の価値を功利的な立場から論じることは私の趣味に合はない。 | |||
新劇の危機 | 岸田国士 | 5分以内 | |
震災後擡頭した新劇運動の目覚ましい機運は、私の観るところ、あまり順調な進み方をしてゐないやうに思はれる。 | |||
求貸家 | 岸田国士 | 5分以内 | |
阿佐ヶ谷附近――高台――座敷又は書斎が往来に面してゐないこと――五間ぐらゐ――台所の踏板が反り返つてゐないこと――自動車の出入自由ならずともよし――なるべく近所に鶏を飼つてゐないこと――湯殿と便所が申訳についてゐるのでは困る――庭はそんなに広くなくてもよろしい――営養不良の松の木なんか植ゑてないこと――総じて家賃を貼り出してあるやうな体裁の家ならお断り――家主は軍人でも、小学校長でも、いいこと――番地は百三十二番地を忌む――御心当りの方は「手帖」気附にてお知らせを乞ふ――御希望により薄謝呈上。 | |||
せりふ | 岸田国士 | 5分以内 | |
――それが、画かきらしくないんですの。 | |||
俳優養成と人材発見 | 岸田国士 | 5分以内 | |
わが国に於ける新劇不振の原因が、俳優に未だその人を得ない所にあるといふ私の意見は、たまたま劇壇一部の批難を生んだやうであるが、これはたしかに、解釈の仕方によつては、不都合な言辞として受け取られるであらう。 | |||
新劇自活の道 | 岸田国士 | 5分以内 | |
日本の現状は、まだ新劇の自活を許さないと云はれてゐるのですが、その理由は、言ふまでもなく新劇なるものを進んで観ようとする見物が少いからです。 | |||
苦労人クウルトリイヌについて | 岸田国士 | 5分以内 | |
「我家の平和」の作者、ジヨルジユ・クウルトリイヌは、私の最も好きな近代劇作家の一人である。 | |||
シャルル・ヴィルドラックについて | 岸田国士 | 5分以内 | |
「演劇の本質は、古来の劇的天才が、その不朽の作品中に遺憾なく之を盛つてゐる。 | |||
走るノート | 岸田国士 | 5分以内 | |
四十年ぶりで、郷里を訪れたいといふ母の望を叶へる好機会である。 | |||
「我家の平和」を演出して | 岸田国士 | 5分以内 | |
「我家の平和」は、フランスでも一度見たことがありますが、その印象は頗る薄いものでした。 | |||
ふらんすの芝居 | 岸田国士 | 5分以内 | |
一体、芝居の話といふものは、その芝居を観た同志でなければ、したつてつまらないと思ふのですが。 | |||
「チロルの秋」以来 | 岸田国士 | 5分以内 | |
私の戯曲の処女上演は、「チロルの秋」です。 | |||
悩みと死の微笑 | 岸田国士 | 5分以内 | |
私は芥川氏の作品を、半分ぐらゐしか読んでゐない。 | |||
女九歳 | 岸田国士 | 5分以内 | |
Y子はK病院で扁桃腺の手術をすることになつた。 | |||
十二月的感想 | 岸田国士 | 5分以内 | |
私は平生毛筆を使はない。 | |||
ジヨルジュ・クウルトリイヌに就いて | 岸田国士 | 5分以内 | |
劇作家としてのクウルトリイヌは、既にその仕事ををはつてゐるやうに思はれる。 | |||
強ひられた感想 | 岸田国士 | 5分以内 | |
文学といふものを専門的なものと考へる理由は十分にあるが、また、これを専門的なものではないと考へる一面がある筈である。 | |||
編輯当番より | 岸田国士 | 5分以内 | |
少しは面倒な仕事、柄にない仕事でも、みんなが順番にやるといふことになると、私はなんとしても厭やとは云へない。 | |||
暫く黙せしめよ | 岸田国士 | 5分以内 | |
芝居のことについて、今、何も云ふ気にならぬ。 | |||
希望 | 岸田国士 | 5分以内 | |
私は不勉強で行動主義の何であるかといふことを今日まで余り注意しないでボンヤリしてゐた。 | |||
岡田糓君の個展 | 岸田国士 | 5分以内 | |
私が巴里で岡田君を識つたのは、欧洲大戦の終つた一九一九年の初めでありました。 | |||
「モンテーニュ随想録」(関根秀雄君訳) | 岸田国士 | 5分以内 | |
私は本年度文芸懇話会賞候補作品として、関根秀雄訳「モンテーニュ随想録」を推薦したものの一人である。 | |||
西洋映画は何故面白いか? | 岸田国士 | 5分以内 | |
かういふ問題はどういふ範囲の人々に興味があるかわからぬが、本誌「トツプ」の読者は、映画の専門家でないにしても、相当高級映画フアンであらうと思ふし、さうなら、日本映画の優秀作が、西洋の普通の水準にまで達してゐないことを万々気付いてをられる筈であるから僕と一緒にひとつこの問題を考へていただきたい。 | |||
新しき天地 | 岸田国士 | 5分以内 | |
シナリオといふものが、文学の一つのジヤンルとして発達するかどうか、例へば戯曲のやうなものになる可能性があるかどうか疑問である。 | |||
演劇アカデミイの問題 | 岸田国士 | 5分以内 | |
演劇と映画とはどんな関係にあるか?これを理論的にでなく、実際的に、私は考へてみる。 | |||
山本有三氏作「真実一路」について | 岸田国士 | 5分以内 | |
婦人雑誌にかういふ本格的な小説が掲載されたことはまさに類例がないのみならず、さういふ小説が、編輯者の期待以上、読者の反響を呼んだといふこともまた、実に画期的であつたといはれてゐる。 | |||
文学界後記 | 岸田国士 | 5分以内 | |
○文学界の精神といふやうなものがだん/\はつきりして来たことはうれしい。 | |||
「文化勲章」制定に就て | 岸田国士 | 5分以内 | |
文化勲章の制定が公布せられたことは、私個人としていろいろ考へさせられる問題があると同時に、国民として、まことに慶賀すべきことだと思ふ。 | |||
感想 | 岸田国士 | 5分以内 | |
文学といふものを専門的なものと考へる理由は十分にあるが、また、これを専門的なものではないと考へる一面がある筈である。 | |||
新劇の分類 | 岸田国士 | 5分以内 | |
近頃一部の演劇評論家の間に、「進歩的演劇」といふ言葉が使はれてゐる。 | |||
演劇雑誌 | 岸田国士 | 5分以内 | |
月々僕のところへ来る演劇雑誌が十種あまりある。 | |||
新劇の大衆化 | 岸田国士 | 5分以内 | |
商業劇場の口吻を真似て、所謂新劇団体が、なにかと云ふと脚本難を訴へてゐる。 | |||
久保田万太郎氏著「釣堀にて」 | 岸田国士 | 5分以内 | |
これは久保田氏の五冊目の戯曲集だといふことである。 | |||
上海で戦死した友田恭助君 | 岸田国士 | 5分以内 | |
友田君の初舞台は新劇協会だが築地小劇場が出来て其メムバーになつたのが大体新劇俳優としてのハツキリした出発点である。 | |||
戦死した友田恭助氏 | 岸田国士 | 5分以内 | |
友田君戦死の通知を受けて、かねて覚悟はしてゐたことながらまだ半信半疑の気持である。 | |||
三八年の女性はかく生きよ! | 岸田国士 | 5分以内 | |
事変が起ると同時に、各婦人団体の活躍が急にめざましくなり、何々婦人会の襷をかけた婦人達が、出征兵士の送迎に慰問に飛び歩いてゐるのは、一応婦人の国家的自覚のあらはれとして結構なことゝいはねばならないが、果して婦人のなすべきことはこれに尽きてゐるだらうか。 | |||
築地座の『旧友』 | 岸田国士 | 5分以内 | |
エドモン・セエの「旧友」は、辰野隆氏によつて巧みな翻案が企てられ、私が予て主張する「西洋劇の消化」が、ここに、一個の前例なき舞台的見本を提供したことは、ひそかに快とするところだ。 | |||
伊賀山精三君に | 岸田国士 | 5分以内 | |
十二月号の本誌(「劇作」)に掲載された君の力作『唯ひとりの人』を、たつた今読み了りました。 | |||
巴里の新年 | 岸田国士 | 5分以内 | |
旅の眼に映じた外国の正月をといふお需めで、一昔前の記憶から探してみたが、其処にはほとんど、「お正月」といふものがない。 | |||
懸賞小説に寄せて | 岸田国士 | 5分以内 | |
従来の新聞小説を見ると、一定の型があると思ふ、この型は数々の経験者が、意識的に、或は無意識的に、創りあげた型である、この型の跡を踏むことは新聞小説を執筆する上で、読者受けもよし、新聞社の側にも満足のゆく型である、もしくはそれに近い。 | |||
著作者側の一私見 | 岸田国士 | 5分以内 | |
世間は、出版権と著作権とが飽くまで相反する利害の上に相争ふものであると誤認してゐるやうであるが、それは悪出版者と不良著作者との間に限ることで、寧ろ出版権法の精神は、対著作者の関係以上に、同業者間の職業的良心に訴ふべき性質のものであること、著作権法と同様である。 | |||
現代大衆劇は斯くして生れる | 岸田国士 | 5分以内 | |
新しき「新派」――現代大衆劇――がなぜ起らないかといへば、その第一の理由は、さういふものが現在の日本に欠けてゐることを、劇壇の人々は嘗て問題にせず、大衆も亦さういふ演劇への要求を示さずにゐるからでせう。 | |||
演劇的青春への釈明 | 岸田国士 | 5分以内 | |
本誌(「劇作」)四月号、山辺道夫氏の「演劇的青春」といふ評論を読んでみると、僕の名前が引合ひに出されてゐる。 | |||
『おふくろ』 | 岸田国士 | 5分以内 | |
本誌(「劇作」)三月号に発表された田中千禾夫君の処女作『おふくろ』について、僕として云ひたいことは、ただ一言で尽きる。 |
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