30分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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茶話 | 薄田泣菫 | 30分以内 | |
帽子***1・5サンデー毎日若い英文学者のN氏は、神戸のある高等専門学校で語学の教師をつとめてゐた。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
さて、話は自然私がどうして石川光明氏と交を結ぶことになったかということに落ちて来ます。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
この頃になって一時に種々の事が一緒に起って来るので、どの話をしてよろしいか自分ながら選択に苦しみますが、先に日本美術協会の話をしたから、引き続き、ついでに東京彫工会のことについて話します。 | |||
序に代えて人生観上の自然主義を論ず | 島村抱月 | 30分以内 | |
私は今ここに自分の最近両三年にわたった芸術論を総括し、思想に一段落をつけようとするにあたって、これに人生観論を裏づけする必要を感じた。 | |||
かくれんぼ | 斎藤緑雨 | 30分以内 | |
秀吉金冠を戴きたりといえども五右衛門四天を着けたりといえども猿か友市生れた時は同じ乳呑児なり太閤たると大盗たると聾(つんぼ)が聞かば音は異るまじきも変るは塵(ちり)の世の虫けらどもが栄枯窮達一度が末代とは阿房陀羅経もまたこれを説けりお噺(はなし)は山村俊雄と申すふところ育ち団十菊五を島原に見た帰り途飯だけの突合いととある二階へ連れ込まれたがそもそもの端緒一向だね一ツ献じようとさされたる猪口をイエどうも私はと一言を三言に分けて迷惑ゆえの辞退を、酒席の憲法恥をかかすべからずと強いられてやっと... | |||
雪代山女魚 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
奥山の仙水に、山女魚を釣るほんとうの季節がきた。 | |||
アーニイ・パイルの前に立ちて | 小林一三 | 30分以内 | |
ネオンの中に明滅する追憶私は、「アーニイ・パイル」の横文字が、淡い、うす緑の五線紙型ネオンサインの色彩の中に明滅するのを、ジッと見詰めていた。 | |||
「心理試験」序 | 小酒井不木 | 30分以内 | |
江戸川乱歩兄から、こんど創作第一集を出すについて序文を寄せよとの事。 | |||
外務大臣の死 | 小酒井不木 | 30分以内 | |
「犯人は芸術家で、探偵は批評家であるという言葉は、皮肉といえば随分皮肉ですけれど、ある場合に、探偵たるものは、芸術批評家であるということを決して忘れてはならぬと思います」と、松島龍造氏は言った。 | |||
二重人格者 | 小酒井不木 | 30分以内 | |
河村八九郎は今年二十歳の二重人格者である。 | |||
改暦弁 | 福沢諭吉 | 30分以内 | |
大陽暦と大陰暦との辨別此度大陰暦を止て大陽暦となし、明治五年十二月三日を明治六年一月一日と定めたるは一年俄(にはか)に二十七日の相違にて世間にこれを怪む者も多からんと思ひ、西洋の書を調て彼の國(くに)に行はるゝ大陽暦と、古來支那、日本等に用る大陰暦との相違を示すこと左の如し。 | |||
麻酔剤 | モーリス・ルヴェル | 30分以内 | |
「わたしなんか、麻酔剤をかけなければならぬような手術をうけるとしたら、知らないドクトルの手にはかかりたくありませんね」と美くしいマダム・シャリニがいいだした。 | |||
誤った鑑定 | 小酒井不木 | 30分以内 | |
晩秋のある夜、例の如く私が法医学者ブライアン氏を、ブロンクスの氏の邸宅に訪ねると、氏は新刊のある探偵小説雑誌を読んでいた。 | |||
安死術 | 小酒井不木 | 30分以内 | |
御話の本筋にはいる前に、安死術とは何を意味するかということを一寸申し上げて置こうと思います。 | |||
恐ろしき贈物 | 小酒井不木 | 30分以内 | |
ニューヨーク市、西第七十街のあるアパートメントに、グレース・ウォーカーという四十前後の女が住んでいた。 | |||
怪談綺談 | 小酒井不木 | 30分以内 | |
はしがき伽婢子の昔から日本も随分怪談に恵まれているが、その話は多くは似たり寄ったりで、事実談として紹介されているものも大抵千遍一律である。 | |||
被尾行者 | 小酒井不木 | 30分以内 | |
市内電車の隅の方に、熱心に夕刊を読んでいる鳥打帽の男の横顔に目をそそいだ瞬間、梅本清三の心臓は妙な搏(う)ち方をした。 | |||
経世の学、また講究すべし | 福沢諭吉 | 30分以内 | |
ある人いわく、慶応義塾の学則を一見し、その学風を伝聞しても、初学の輩はもっぱら物理学を教うるとのこと、我が輩のもっとも賛誉するところなれども、学生の年ようやく長じて、その上級に達する者へは、哲学・法学の大意、または政治・経済の書をも研究せしむるという。 | |||
実さんの精神分析 | 夢野久作 | 30分以内 | |
実さんの精神分析と言っても、私が実さんの精神を分析するのじゃない。 | |||
泡盛物語 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
私は、昭和のはじめ、世の中が一番不景気の時代に失職してしまった。 | |||
越後の闘牛 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
越後と上州の国境をなす谷川岳と茂倉岳を結ぶ背面の渓谷に源を発し、八海山と越後駒ヶ岳の裾を北流して新潟県北魚沼郡川口村で信濃川に合する魚野川の川鮎は、近年にわかに都会人の食趣に、その美旨の味品が注目されるようになった。 | |||
岡ふぐ談 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
今年は、五十年来の不作で、我々善良なる国民は来年の三月頃から七月頃にかけ、餓死するであろうという政府の役人の仰せである。 | |||
香熊 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
このほど、友人が私のところへやってきて、君は釣り人であるから、魚類はふんだんに食っているであろうが、まだ羆(ひぐま)の肉は食ったことはあるまい。 | |||
熊狩名人 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
先日、長野県下水内郡水内村森宮の原の雪野原で行なわれたラジオ映画社の「人食い熊」の野外撮影を見物に行ったとき、飯山線の森宮の原駅の旅館で、この地方きっての熊撃ちの名人に会った。 | |||
食指談 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
蕎麥は、春蕎麥よりも秋蕎麥の方が、味香共に豊かであると昔からいわれているが、その理屈はともかくとして、このほど上州赤城の中腹室沢の金子豊君から贈って貰った秋蕎麥は、近年まれにおいしかった。 | |||
純情狸 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
私に董仲舒ほどの学があれば、名偈の一句でも吐いて、しゃもじ奴に挑戦してみるのであったが、凡庸の悲しさ、ただ自失して遁走するの芸当しか知らなかったのは、返す返すも残念である。 | |||
利根川の鮎 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
人生の旅これは、私が十八、九歳のころ考えたことである。 | |||
魔味洗心 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
二、三日前、隣村の嘉平老が、利根川で蜂鱒を拾った。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
話がずっと後戻りしますが、今日は少し別のはなしをしようかと思いますが、どうですか。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
いよいよ狆の製作が出来ました。 | |||
『七面鳥』と『忘れ褌』 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
『斉正、その方は七面鳥を持っているか』鍋島斉正が登城したとき、将軍家定がだしぬけにこんな質問を発したから斉正は面喰らった。 | |||
海豚と河豚 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
鯨と名のつくものなら、大抵は食べたことがある。 | |||
縁談 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
私のように、長い年月諸国へ釣りの旅をしていると、時々珍しい話を聞いたり、また自らも興味のある出来ごとに誘い込まれたりすることもあるものだ。 | |||
想い出 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
十五、六歳になってからは、しばらく釣りから遠ざかった。 | |||
議会見物 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
上議会中、一日くらいは傍聴席へはいってみるのも国民のつとめであろう。 | |||
香魚と水質 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
食事が、必要から好厭に分かれ、さらに趣味にまで進んできたのは、既に五千年の昔であるのを古代支那人が料理書に記している。 | |||
採峰徘菌愚 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
篠秋痘鳴と山田論愚の二人が南支方向へ行くことになった。 | |||
酒渇記 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
近年、お正月の門松の林のなかに羽織袴をつけた酔っ払いが、海豚が岡へあがったような容でぶっ倒れている風景にあまり接しなくなったのは年始人お行儀のために、まことに結構な話である。 | |||
すっぽん | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
このほど、御手洗蝶子夫人から、『ただいま、すっぽんを煮ましたから、食べにきませんか』と、言うたよりに接した。 | |||
増上寺物語 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
五千両の[#「五千両の」は底本では「五十両の」]無心慶応二年師走のある寒い昧暗、芝増上寺の庫裏を二人の若い武士が襲った。 | |||
たぬき汁 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
伊勢へななたび熊野へさんど、という文句があるが、私は今年の夏六月と八月の二度、南紀新宮の奥、瀞八丁の下手を流れる熊野川へ、鮎を訪ねて旅して行った。 | |||
淡紫裳 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
この一文は昭和十四年四月、京城日報社の招きにより、将棋の名人木村義雄氏と共に、半島の各地を歩いた記録である。 | |||
盗難 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
私は、娘を盗まれたことがある。 | |||
利根の尺鮎 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
私は利根川の水に生まれ、利根川の水に育った。 | |||
にらみ鯛 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
悲しき副膳のお肴万延元年の四月の末の方、世はもう、青葉に風が光る初夏の候であった。 | |||
春宵因縁談 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
はなしのはじめは三木武吉と頼母木桂吉の心臓の出来あんばいから語りだすことにしよう。 | |||
姫柚子の讃 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
このほど、最上川の支流小国川の岸辺から湧く瀬見温泉へ旅したとき、宿で鰍(かじか)の丸煮を肴(さかな)に出してくれた。 | |||
水と骨 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
人は常識的には、太平洋へ注ぐ表日本の川の水温よりも、日本海へ注ぐ裏日本の川の水温方が低いであろうと、考えるにちがいない。 | |||
みやこ鳥 | 佐藤垢石 | 30分以内 | |
この正月の、西北の風が吹くある寒い朝、ちょっとした用事があって、両国橋を西から東へわたったことがあった。 | |||
石をしょわずに | 村山俊太郎 | 30分以内 | |
昭和二十二年七月二十日の朝、T村小学校のわかい女教師が、通勤の途中にある淵に投身自殺をした。 |