吉川英治の全作品

人生・間の山なるべく、縁起の吉い日にしようぜ。

飯櫃十八になるお次が、ひとつの嫁入りの資格にと、巣鴨村まで千蔭流の稽古に通い始めてから、もう二年にもなる。

飢餓山河「彦太承知だの」「む、行く」「二十日の寄合いにゃ、きっと、顔を出してくれや。

雪の後北がわの屋根には、まだ雪が残っているのであろう、廂（ひさし）の下から室内は、広いので、灯がほしいほど薄暗いが、南の雀口にわずかばかりつよい陽の光が刎（は）ね返っていた。

馬と兵と女七月の上旬である。

「――お待ちかねでいらっしゃる。

春の雁（かり）からっとよく晴れた昼間ほど、手持ち不沙汰にひっそりしている色街であった。

雲雀も啼（な）かぬ日河が吼（ほ）えるように河の底から、船頭の大きな声が、「――船止めだとようっ」「六刻かぎりで、川筋も陸も往来止めだぞうっ」船から船へ、呶鳴り交わしてから触れ合っていた。

弟の窓・兄の窓紺屋の干し場には、もう朝の薄陽が映している。

柾木孫平治覚え書人々は時の天下様である太閤の氏素姓を知りたがった。

蜂の巣太鼓櫓の棟木の陰へ、すいすいと吸いこまれるように、蜂がかくれてゆく、またぶーんと飛び出してゆくのもある。

明治二十五年（1892）八月十一日。

五石十人扶持おもいがけない未知の人から、ぼくらは常々たくさんな手紙をうける。

家康は重大な話のうちに、ひょいと、話を聞いていない顔をする癖があると、何かの書に見た。

競馬場がふえ、競馬ファンもふえてきた。

ひとくちに紅くさえあれば紅梅といっているが、あの紅さもいろいろである。

みんな金を持って、金を捨てにゆく群衆が、どうして皆あんなに愉快そうな顔を揃えてゆくだろうか。

五月五日には天皇賞レースがある。

＊おととしより去年、去年より今年と、一冬ごとに東京に殖えて来たものに河豚料理がある。

折々の記世の“名ヅケ子”子が生まれる。

鼻の白粉一夜、ある映画館で私はつい飛んでもない自分の阿呆をあたりのつつましい観客たちに暴露していた。

×どこでもいい。

持ちもの嫌いひとにはバカげていても、自分にはゆるせない潔癖がたれにもある。

あれはもう何年前か。

鳴門秘帖のころいま帰って来たばかりなんですよ。

ちかごろこんなにみたされた気もちはなかった。

先ごろは、親鸞聖人の大遠忌があり、今夜も親鸞聖人についてご関心の深い、またご信仰の深い皆さまのお集まりと思うのでありますが、私はそうした皆さまにお話し申し上げるほどの何も持っていないんです。

本誌（大法輪）の二十五年に因んで、僕の二十五歳頃を語れと仰っしゃるんですか。

とかく、現代人はまだ、辞書辞典などを、ほんとに、自分の頭脳にしきっていない。

画でも書でも掛ければそこの壁にはその作者が存在する。

文化の日、十一月三日というと、ぼくら明治生まれのものには、降る雪も――だが菊の香も明治も遠くなりにけり――の感が深い。

たまにシマのズボンをはくこともないではないが、冠婚葬祭、私はたいがいなばあい平服でとおしている。

大観さん、と生前どおりに呼ばせていただく。

ことばは少く、文はみじかいほどがよい。

幸福人あの座敷に寝ころんで見たら、房総の海も江戸の町も、一望であろうと思われる高輪の鶉坂に、久しくかかっていた疑問の建築が、やっと、この秋になって、九分九厘まで竣工た。

十九の海騒『はてな。

小諸の兄弟『のぶ。

草廬の剣新介は、その年、十六歳であった。

母のすがたを見ると、甚助の眼はひとりでに熱くなった。

たれかがいま人間性のうちの「盗」という一部分を研究対象としてみたら、近頃ほどその資料に豊富な世間はないだろう。

木も草も枯れ果てて、河内の野は、霜の白さばかりが目に沁（し）みる。

問う者が、（世の中に何がいちばん多いか）と訊いたところ、答える者が、（それは人間でしょう）と、云った。

風入れ異変迅い雲脚である。

熟れた柿が落ちている。

藪椿（やぶつばき）裏藪の中に分け入って佇（たたず）むと、まだ、チチッとしか啼けない鶯（うぐいす）の子が、自分の袂（たもと）の中からでも飛んだように、すぐ側から逃げて行く。

お部屋様くずれ今夜も又、この顔合せでは、例によって、夜明かしとなること間違い無しである。

親の垢（あか）几帳面な藩邸の中に、たった一人、ひどく目障りな男が、この頃、御用部屋にまごまごしている。

朱い横笛箱根山脈の駒や足高や乙女には、まだ雪の襞（ひだ）が白く走っていた。

思い出もいまは古い、小紋の小切れやら、更紗の襤褸（つづれ）や、赤い縮緬の片袖など、貼板の面には、彼女の丹精が、細々と綴（つづ）られて、それは貼るそばから、春の陽に乾きかけていた。

神子上典膳時代「松坂へ帰ろうか。