30分以内で読める青空文庫の短編作品
青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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青空文庫で公開されているすべての著者の作品の中で、おおよその読了目安時間が「30分以内」の短編作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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最後の晩餐 | フィオナ・マクラウド | 30分以内 | |
ふいと見た夢のように私は幾度もそれを思い出す。 | |||
「王の玄関」イエーツ戯曲 | 片山広子 | 30分以内 | |
この頃何年ぶりかでイエーツの戯曲「王の玄関」をよみ返してみた。 | |||
軽井沢の夏と秋 | 片山広子 | 30分以内 | |
三月二十四日にTが亡くなつた。 | |||
L氏殺人事件 | 片山広子 | 30分以内 | |
今から何十年も前のことである。 | |||
他計甚麽(竹島)雑誌 | 松浦武四郎 | 30分以内 | |
[#改ページ][#改ページ]凡例地理の肝要なる事、不肖今贅するに及ばず、皆しる處にして、頃年其事に識者心を盡さるゝ所の堅こう((甲))にし而(て)龍動の繁昌、巴里斯の美麗人々皆しらざる者なし。 | |||
新らしき祖先 | 相馬泰三 | 30分以内 | |
或(あ)る年の、四月半ばの或る晴れた日、地主宇沢家の邸裏の畑地へ二十人ばかりの人足が入りこんで、お喋舌をしたり鼻唄を唄つたりして賑(にぎや)かに立働いてゐた。 | |||
野の哄笑 | 相馬泰三 | 30分以内 | |
型の如く、青竹につるした白張の提灯、紅白の造花の蓮華、紙に貼付けた菓子、雀(すゞめ)の巣さながらの藁細工の容物に盛つた野だんご、ピカピカ磨きたてた真鍮の燭台、それから、大きな朱傘をさゝせた、着飾つた坊さん、跣(はだし)の位牌持ち、柩(ひつぎ)、――生々しい赤い杉板で造つた四斗樽(だる)ほどの棺桶で、頭から白木綿で巻かれ、その上に、小さな印ばかりの天蓋が置かれてある。 | |||
父の墓 | 田山花袋 | 30分以内 | |
停車場から町の入口まで半里位ある。 | |||
石段上りの街 | 萩原朔太郎 | 30分以内 | |
私の郷里は前橋であるから、自然子供の時から、伊香保へは度々行つて居る。 | |||
芸術論覚え書 | 中原中也 | 30分以内 | |
一、「これが手だ」と、「手」といふ名辞を口にする前に感じてゐる手、その手が深く感じられてゐればよい。 | |||
校長 | 中原中也 | 30分以内 | |
田舎の県立中学で歴史の教師をしてゐた彼が、今度京都の或私立中学の校長を勉めることになつた。 | |||
我が詩観 | 中原中也 | 30分以内 | |
詩観とはいへ、書かんとするのは要するに私の文学観であり、世界観の概略でもあるから、それに今日や昨日に考へ付いたことではないことを書くのであるから、多くの人に読んで貰ひたいものである。 | |||
耕二のこと | 中原中也 | 30分以内 | |
主家で先刻から、父と母との小言らしい声がしてゐた。 | |||
蜻蛉 | 中原中也 | 30分以内 | |
会社の帰りに社長の宅を訪問した竹山は何時もになく遅く帰つて来た。 | |||
分らないもの | 中原中也 | 30分以内 | |
「福岡から、お客様がみえました」――さういふ下女の取次ぎの言葉を聞いた時から、彼は脅えてゐなくちやならなかつた。 | |||
よもやまの話 | 中原中也 | 30分以内 | |
ジイド全集ももうあと三冊で完了する。 | |||
一月一日 | 永井荷風 | 30分以内 | |
一月一日の夜、東洋銀行米国支店の頭取某氏の社宅では、例年の通り、初春を祝ふ雑煮餅の宴会が開かれた。 | |||
男ごゝろ | 永井荷風 | 30分以内 | |
大方帳場の柱に掛けてある古時計であらう。 | |||
海洋の旅 | 永井荷風 | 30分以内 | |
Homme libre, toujours tu ch※riras la mer.Baudelaire.自由の人よ。 | |||
帰来 | 阿部次郎 | 30分以内 | |
千九百二十三年の七月、私は、独逸を出てから、和蘭・白耳義を経て再びパリにはひつた。 | |||
黄昏の地中海 | 永井荷風 | 30分以内 | |
ガスコンの海湾を越え葡萄牙の海岸に沿うて東南へと、やがて西班牙の岸について南にマロツクの陸地と真白なタンヂヱーの人家を望み、北には三角形なすジブラルタルの岩山を見ながら地中海に進み入る時、自分はどうかして自分の乗つて居る此の船が、何かの災難で、破れるか沈むかしてくれゝばよいと祈つた。 | |||
水 附渡船 | 永井荷風 | 30分以内 | |
仏蘭西人ヱミル・マンユの著書都市美論の興味ある事は既にわが随筆「大窪だより」の中に述べて置いた。 | |||
虫干 | 永井荷風 | 30分以内 | |
毎年一度の虫干の日ほど、なつかしいものはない。 | |||
夜あるき | 永井荷風 | 30分以内 | |
余は都会の夜を愛し候。 | |||
茶美生活 | 北大路魯山人 | 30分以内 | |
新年早々から、縁起でもない、茶遊び攻撃などして、と集中砲火の返報が来そうであるが、茶の道を愛すればこその信念の一途から、とうとう止むに止まれず、あえてバク談投下を試みた次第。 | |||
良寛様の書 | 北大路魯山人 | 30分以内 | |
良寛様のような、近世では他にその比を見られないまでの、ずば抜けた書、それをわれわれごときがとやかくといい気になって批評することは、どういうものかと危惧を禁じ得ないものがないのでもないが、しかし良寛様には常日頃親しみと尊敬とを持っている一人であるという関係をもって許していただけるとし、僭越を承知しながら、ともかくも感ずるところを一応述べさして貰うこととする。 | |||
父の帰宅 | 小寺菊子 | 30分以内 | |
「あれ誰だか、兄さんは知つとるの!」「知らん!」「ちよつとそこ覗いて来ると分るわ。 | |||
念仏の家 | 小寺菊子 | 30分以内 | |
私の家の祖先は、越中の国水橋といふ小さな漁村の生れであつた。 | |||
日の光を浴びて | 水野仙子 | 30分以内 | |
日は照れど、日は照れど君を見る日の來(こ)なければわたしの心はいつも夜日は照れど、日は照れどわたしは目盲ひ、耳聾ひ、唖者君を見もせず、聞きも得ず「日が照つてゐる……。 | |||
加波山 | 服部之総 | 30分以内 | |
桜井家の媒酌としてその村に行ってからことし九年ぶりになる。 | |||
咸臨丸その他 | 服部之総 | 30分以内 | |
太平洋をはじめて汽船が横断したのは――といった問題を、ひと頃しきりに調べたことがあった。 | |||
黒田清隆の方針 | 服部之総 | 30分以内 | |
黒田清隆の伝記があれば、だれか教えていただきたい。 | |||
黒船前後 | 服部之総 | 30分以内 | |
鉄で船を造ることは、技術的には、ヘンリー・コートが鉄板製造法を発明したことで(十八世紀末)可能になった。 | |||
志士と経済 | 服部之総 | 30分以内 | |
幕末に取材する大衆文芸は一部志士文芸(?)でもあるが、志士活動の基底にどんな社会経済が横たわっているのかはっきりしないものが多い。 | |||
新撰組 | 服部之総 | 30分以内 | |
清河八郎夫れ非常の変に処する者は、必らず非常の士を用ふ――。 | |||
せいばい | 服部之総 | 30分以内 | |
徳川時代の司法権は各藩がもっている。 | |||
福沢諭吉 | 服部之総 | 30分以内 | |
著述家慶応二年丙寅初冬付『西洋事情』初篇は出版後一年間の売捌高だけで、正版偽版とりまぜ十万部の上にのぼった。 | |||
明治の五十銭銀貨 | 服部之総 | 30分以内 | |
この夏配達された、さる新聞の家庭用付録に「オカネの値打ち」という記事にあわせて、明治から昭和にいたる五十銭銀貨の実物大の図譜が載っていた。 | |||
犬 | 島崎藤村 | 30分以内 | |
此節私はよく行く小さな洋食屋がある。 | |||
灯火 | 島崎藤村 | 30分以内 | |
飯島夫人――栄子は一切の事を放擲する思をした後で、子供を東京の家の方に残し、年をとつた女中のお鶴一人連れて、漸く目的とする療養地に着いた。 | |||
突貫 | 島崎藤村 | 30分以内 | |
……………………………………………………………………………………………………………………………………………私は今、ある試みを思ひ立つて居る。 | |||
くだもの | 正岡子規 | 30分以内 | |
植物学の上より見たるくだものでもなく、産物学の上より見たるくだものでもなく、ただ病牀で食うて見たくだものの味のよしあしをいうのである。 | |||
病牀苦語 | 正岡子規 | 30分以内 | |
○この頃は痛さで身動きも出来ず煩悶の余り精神も常に穏やかならんので、毎日二、三服の痲痺剤を飲んで、それでようよう暫時の痲痺的愉快を取って居るような次第である。 | |||
明治卅三年十月十五日記事 | 正岡子規 | 30分以内 | |
余が病体の衰へは一年一年とやうやうにはなはだしくこの頃は睡眠の時間と睡眠ならざる時間との区別さへ明瞭に判じ難きほどなり。 | |||
病牀譫語 | 正岡子規 | 30分以内 | |
◎政治家とならんか、文学者とならんか、我は文学者を択ばん。 | |||
初夢 | 正岡子規 | 30分以内 | |
(座敷の真中に高脚の雑煮膳が三つ四つ据えてある。 | |||
病 | 正岡子規 | 30分以内 | |
○明治廿八年五月大連湾より帰りの船の中で、何だか労れたようであったから下等室で寝て居たらば、鱶(ふか)が居る、早く来いと我名を呼ぶ者があるので、はね起きて急ぎ甲板へ上った。 | |||
墓 | 正岡子規 | 30分以内 | |
○こう生きて居たからとて面白い事もないから、ちょっと死んで来られるなら一年間位地獄漫遊と出かけて、一周忌の祭の真中へヒョコと帰って来て地獄土産の演説なぞは甚だしゃれてる訳だが、しかし死にッきりの引導渡されッきりでは余り有難くないね。 | |||
散文詩 | 石川啄木 | 30分以内 | |
曠野路に迷つたのだ!と氣のついた時は、此曠野に踏込んでから、もう彼是十哩も歩いてゐた。 | |||
伊那紀行 | 今井邦子 | 30分以内 | |
此度の信州旅行は、伊那の高遠町の名高い小彼岸櫻を見る事と、天龍峽の芽吹きの若葉を見たい爲であつたが、高遠町の方には更に永年心にかけてゐた老女繪島の遠流の事蹟をしらべたい私の念願が果されて、はからずも伊那の友人によつて、彼の地に繪島の研究者があり、その人に紹介の勞をとつてもらふ事が出來る事になつた大きな目的を持つてゐたのである。 |