豊島与志雄の全作品

草野心平のことを、懇意な人々は心平さんと言う。

戦災の焼跡の一隅に、大きな石が立っていた。

私の仕事と世の中とのつながり。

フランス大革命を頂点とする十八世紀より十九世紀への一大転向、隷属的封建制度の瓦解と自由統一的立憲制度の成育とは、新世界をもたらすものと考えられていた。

訳者改訳の筆を擱（お）くに当たって、私は最初読者になした約束を果たさなければならない。

「ジャン・クリストフ」は、初めカイエ・ド・ラ・キャンゼーヌ中の十七冊として発表され、次で十冊の書物として刊行されていたが、一九二一年に、改訂版四冊として再刊された。

『死刑囚最後の日』Le dernier jour d'un condamn※ は、ヴィクトル・ユーゴー（Victor Hugo）の一八二九年の作である。

山の湯に来て、見当が狂った。

文学者のところには、未知の人々から、いろいろな手紙が舞い込んでくる。

「あなたは仮面をかぶっていらした。

男ぎらいと、ひとは私のことを言うけれど、そうときまったわけのものではありません。

独りでコーヒーをすすっていると、戸川がはいって来て、ちょっと照れたような笑顔をし、おれと向き合って席についた。

準備は出来た。

橋のところで、わたしは休んだ。

陽が陰るように、胸に憂欝の気が立ち罩める時がある。

結婚してから、三ヶ月は夢のように過ぎた。

夢の後味というものは、なにかはかなく、しんみりとして、淋しいことが多い。

男嫌いだと言われる女もあれば、女嫌いだと言われる男もある。

「おじさん、砂糖黍たべようか。

一、高木恒夫の告白人生には、おかしなことがあるものだ。

――大いなる蛸の如きもの、わが眼に見ゆ。

松月別館での第一日は、あらゆる点で静かだった。

小泉美枝子は、容姿うるわしく、挙措しとやかで、そして才気もあり、多くの人から好感を持たれた。

――癖というのか、習慣というのか、へんなことが知らず識らずに身についてくる。

志村圭介はもう五十歳になるが、頭に白髪は目立たず、顔色は艶やかで、そして楽しそうだった。

終戦後、東京都内にも小鳥がたいへん多くなった。

欝ぎの虫、癪の種、さまざまなものが、人間のなかに住んで、正常な感情を引っ掻きまわすと言われているが、ここに、木山宇平のなかには怒りの虫がいつしか巣くったと、周囲の人々から見られるようになった。

二月になって、思いがけなく、東京地方に大雪が見舞った。

公園と言うには余りに狭く、街路に面した一種の広場で、そこの、篠懸の木の根本に、ベンチが一つ置かれていた。

池、といっても、台地の裾から湧き出る水がただ広くたまってる浅い沼で、その片側、道路ぞいに、丈高い葦が生い茂り、中ほどに、大きな松が一本そびえている。

第一話都内某寺の、墓地の一隅に、ちと風変りな碑があります。

四方八方から線路が寄り集まり、縦横に入り乱れ、そしてまた四方八方に分散している。

それは、たしかに、この花子が致したことでございます。

市木さんといえば、近所の人たちはたいてい知っていた。

自動車やトラックやいろいろな事輌が通る広い坂道があった。

退社間際になって、青木は、ちょっと居残ってくれるようにと石村から言われて、自席に残った。

或るコンクリー建築の四階の室。

祖母の病気、その臨終、葬式、初七日と、あわただしい日ばかり続く。

湖心に眼があった。

某私立大学の法学部で植民政策の講義を担任してる矢杉は、或る時、その学校で発行されてる大学新聞の座談会に出席したが、座談会も終り、暫く雑談が続き、もう散会という間際になって、まだ嘗て受けたことのない質問を一人の学生から提出された。

丘の上の小径から、だらだら上りの野原をへだてて、急な崖になり、灌木や小笹が茂っている。

或るところに、元という長者がありました。

この不思議な事件は、全く思いがけないものであって、確かな解釈のしようもないので、それだけまた、深く私の心を打った。

ある田舎に、阮という豪族の一家がありました。

ある河のほとりに、崔という豪家がありました。

揚子江の岸の、或る港町に、張という旧家がありました。

杭州西湖のなかほどに、一隻の画舫が浮んでいました。

方福山といえば北京でも有数な富者でありました。

壁と天井が白く塗ってあるので、狭い屋内は妙に明るく見えるが、数個の電灯の燭光はさほど強くない。

星野武夫が上海に来て、中国人のうちで最も逢いたいと思ったのは秦啓源であった。