30分以内で読める豊島与志雄の短編作品

守山未亡人千賀子さん私が顔を出すと、あなたはいつも擽ったいような表情をしますね。

大正七年八月十六日夜――私は神保町から須田町の方へ歩いて行った。

「久七、お前が好きな物持って来ただよ。

その日私は、鎌倉の友人の家で半日遊び暮して、「明日の朝から小説を書かなければならない」ので、泊ってゆけと勧められるのを無理に辞し去って、急いで停車場へ駆けつけ、八時四十何分かの東京行きの汽車に、発車間際に飛び乗った。

久保田さんは、六十歳で某大学教授の職を辞して以来、いつしか夜分に仕事をする習慣がついてしまった。

都会には、都会特有の一種の幽気がある。

鬱陶しい梅雨の季節が過ぎ去ると、焼くがような太陽の光が、じりじりと野や山に照りつけ初めた。

四月から五月へかけた若葉の頃、穏かな高気圧の日々、南西の微風がそよそよと吹き、日の光が冴え冴えとして、着物を重ねても汗ばむほどでなく、肌を出しても鳥肌立つほどでなく、云わば、体温と気温との温差が適度に保たれる、心地よい暖気になると、私は云い知れぬ快さを、身内にも周囲にも感じて、晴れやかな気分に包まれてしまった。

馬方の三吉というよりも、のっぽの三公という方が分り易かった。

ぼんやりしていた心地を、ふいに、見覚えのある町角から呼び醒されて、慌てて乗合自動車から飛び降りた。

「この頃の洋式の建築は可笑しなことをするもんだね。

寝台車に一通り荷物の仕末をして、私は食堂車にはいっていった。

十一月の或る晴れた朝だった。

電車通りから狭い路地をはいると、すぐ右手に一寸小綺麗な撞球場があった。

五月初旬の夜です。

吉乃は、いつものんきで明るかった。

お父さん、御免なさい。

私と彼とは切っても切れない縁故があるのだが、逢うことはそう屡々ではない。

正夫よ、君はいま濃霧のなかにいる。

同じ高原でも、沓掛の方は軽井沢より、霧も浅く湿気も少ないので、私の身体にはよいだろうと、そう野口は申しましたが、実際、私もそのように感じました。

或る田舎に母と子とが住んでいた。

叔父達が新らしい家へ移転してすぐに、叔父は或る公務を帯びて、二ヶ月ばかり朝鮮の方へ旅することになりました。

「金魚を見ると、僕はある春の一日のことを思い出して、いつも変な気持になる、」と云ってＳが話したことを、そのまま三人称に書き下したのが、次の物語りである。

Ｓ君が私に次のような話をしてきかした。

私は蓮が好きである。

吾々は多くの偶像を持っている。

人の生活には、一の方向が必要である。

都会に於ける中流婦人の生活ほど惨めなものはない。

バラックに住む人々よ、諸君は、バラックの生活によって、云い換えれば、僅かに雨露を凌ぐに足るだけの住居と、飢渇を満すに足るだけの食物と、荒凉たる周囲の灰燼と、殆んど着のみ着のままの自分自身と、其他あらゆる悲惨とによって、初めて人間の生活というものを、本当に知ったに――感じたに違いない。

小説の書かれたる内容が問題となってもいい位に、吾国の小説界は進んでいると思う。

芸術上の作品は、一方に於ては作者に即したものであり、他方に於てはそれ自身独立したものである。

芸術上の作品は、必ずその作者の心境を宿す。

広い病室。

寡黙の徳を讃えるのは、東洋道徳の一つであり、西洋道徳の一微分でもある。

私の故郷の村中に、ちょっと無気味な隘路がある。

田舎の旧家には、往々、納戸の隅あたりに、古めかしい葛籠が、埃のなかに置き忘れられてることがある。

私は初め、父と母とのことを書くつもりだった。

親疎さまざまの程度の友人達のことをぼんやり考えてみて、そのうちから、思い出すままの断片的印象を書き綴ってみることにする。

植村諦君の詩集「異邦人」は、近頃読んだもののうちで、感銘深いものの一つだった。

旅にあって、吾々は、山川の美のみに満足する風流気から、よほど遠くにある。

作品の活力は、中に盛られてる作者の生活的翹望から来る、ということが説かれる。

近頃、文壇に懐古的気分が起ってきているのが眼につく。

「もう遅すぎる、クレオンよ、わしの魂はもうテエベを去った。

或る男が、次のようなことを私に打明けた。

先年、Ｂ君が突然死んだ。

筑後川右岸の、平坦な沃野である。

外出間際の来客は、気の置けない懇意な人で、一緒に外を歩きながら話の出来る、そういうのが最もよい。

現今の少年は、非常に明るい眼をもっている、空想は空想として働かしながらも、事実のあるがままの姿を、大袈裟に云えば現実を、じっと眺めそして見て取るだけの視力をもっている。

文学の中に吾々は、種々の意味で心惹かるる人物を沢山持っている。

横光利一氏の「紋章」のなかには、「私」という言葉で現わされてる一人の文学者が出てくる。