和辻哲郎の全作品
青空文庫で公開されている和辻哲郎の全作品を、おすすめ人気順で表示しています。
1-50件 / 全54件
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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「自然」を深めよ | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
我々の生活や作物が「不自然」であってはならないことは、今さらここに繰り返すまでもない。 | |||
『偶像再興』序言 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
偶像破壊が生活の進展に欠くべからざるものであることは今さら繰り返すまでもない。 | |||
『青丘雑記』を読む | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
『青丘雑記』は安倍能成氏が最近六年間に書いた随筆の集である。 | |||
『劉生画集及芸術観』について | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
自分は現代の画家中に岸田君ほど明らかな「成長」を示している人を知らない。 | |||
ある思想家の手紙 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
秋の雨がしとしとと松林の上に降り注いでいます。 | |||
生きること作ること | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
私は近ごろ、「やっとわかった」という心持ちにしばしば襲われる。 | |||
院展遠望 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
遠望であるから細かいところは見えないものと承知していただきたい。 | |||
院展日本画所感 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
歌舞伎芝居や日本音曲は、徳川時代に完成せられたものからほとんど一歩も出られない。 | |||
埋もれた日本 | 和辻哲郎 | 60分以内 | |
この問題を考えるには、まず応仁の乱(一四六七―一四七七)あたりから始めるべきだと思うが、この乱の時のヨーロッパを考えると、レオナルド・ダ・ヴィンチは二十歳前後の青年であったし、エラスムス、マキアヴェリ、ミケランジェロなどはようやくこの乱の間に生まれたのであるし、ルターはまだ生まれていなかった。 | |||
岡倉先生の思い出 | 和辻哲郎 | 5分以内 | |
今度岡倉一雄氏の編輯で『岡倉天心全集』が出始めた。 | |||
巨椋池の蓮 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
蓮(はす)の花は日本人に最も親しい花の一つで、その大きい花びらの美しい彎曲線や、ほのぼのとした清らかな色や、その葉のすがすがしい匂いや肌ざわりなどを、きわめて身近に感じなかった人は、われわれの間にはまずなかろうと思う。 | |||
歌集『涌井』を読む | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
わたくしは歌のことはよくわからず、広く読んでいるわけでもないが、岡麓先生のお作にはかねがね敬服している。 | |||
茸狩り | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
松茸の出るころになるといつも思い出すことであるが、茸という物が自分に対して持っている価値は子供時代の生活と離し難いように思われる。 | |||
樹の根 | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
松の樹に囲まれた家の中に住んでいても松の樹の根が地中でどうなっているかはあまり考えてみた事がなかった。 | |||
京の四季 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
京都に足かけ十年住んだのち、また東京へ引っ越して来たのは、六月の末、樹の葉が盛んに茂っている時であったが、その東京の樹の葉の緑が実にきたなく感じられて、やり切れない気持ちがした。 | |||
享楽人 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
五、六年前のことと記憶する。 | |||
偶像崇拝の心理 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
私がここに観察しようとするのは、「偶像破壊」の運動が破壊の目的物とした、「固定観念」の尊崇についてではない。 | |||
孔子 | 和辻哲郎 | 1時間〜 | |
自分には孔子について書くだけの研究も素養も準備もない。 | |||
古寺巡礼 | 和辻哲郎 | 1時間〜 | |
改版この書は大正七年の五月、二三の友人とともに奈良付近の古寺を見物したときの印象記である。 | |||
城 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
大地震以後東京に高層建築の殖えて行った速度は、かなり早かったと言ってよい。 | |||
自己の肯定と否定と | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
自分にとっては、強く内から湧いて来る自己否定の要求は、自己肯定の傾向が隈(くま)なく自分を支配していた後に現われて来た。 | |||
人物埴輪の眼 | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
埴輪というのは、元来はその言葉の示している通り、埴土で作った素焼き円筒のことである。 | |||
すべての芽を培え | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
青春を通り越したというのでしきりに残り惜しく感じている人があるようですが、私はまだその残り惜しさをしみじみ感ずるほどな余裕をもっていません。 | |||
世界の変革と芸術 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
講和近づけりという噂がある。 | |||
創作の心理について | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
我々は創作者として活らく時、その創作の心理を観察するだけの余裕を持たない。 | |||
漱石の人物 | 和辻哲郎 | 60分以内 | |
私が漱石と直接に接触したのは、漱石晩年の満三個年の間だけである。 | |||
停車場で感じたこと | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
ある雨の降る日、私は友人を郊外の家に訪ねて昼前から夜まで話し込んだ。 | |||
寺田さんに最後に逢った時 | 和辻哲郎 | 5分以内 | |
去年の八月の末、谷川君に引っ張り出されて北軽井沢を訪れた。 | |||
転向 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
過去の生活が突然新しい意義を帯びて力強く現在の生活を動かし初めることがある。 | |||
藤村の個性 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
藤村は非常に個性の強い人で、自分の好みによる独自の世界というふうなものを、おのずから自分の周囲に作り上げていた。 | |||
土下座 | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
ある男が祖父の葬式に行ったときの話です。 | |||
夏目先生の追憶 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
夏目先生の大きい死にあってから今日は八日目である。 | |||
日本精神史研究 | 和辻哲郎 | 1時間〜 | |
改訂版今度版を新たにするに当たり、全体にわたって語句の修正を施し、二、三の個所にはやや詳しく修補を加えた。 | |||
能面の様式 | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
野上豊一郎君の『能面』がいよいよ出版されることになった。 | |||
文楽座の人形芝居 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
日本文化協会の催しで文楽座の人形使いの名人吉田文五郎、桐竹紋十郎諸氏を招いて人形芝居についての講演、実演などがあった。 | |||
松風の音 | 和辻哲郎 | 5分以内 | |
東京の郊外で夏を送っていると、時々松風の音をなつかしく思い起こすことがある。 | |||
麦積山塑像の示唆するもの | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
麦積山の調査が行なわれたのは四年ほど前で、その報告も、すぐその翌年に出たのだそうであるが、わたくしはついに気づかずにいた。 | |||
面とペルソナ | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
問題にしない時にはわかり切ったことと思われているものが、さて問題にしてみると実にわからなくなる。 | |||
霊的本能主義 | 和辻哲郎 | 60分以内 | |
荒漠たる秋の野に立つ。 | |||
露伴先生の思い出 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
関東大震災の前数年の間、先輩たちにまじって露伴先生から俳諧の指導をうけたことがある。 | |||
アフリカの文化 | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
フロベニウスの『アフリカ文化史』は、非常に優れた書であるとともにまた実におもしろい書である。 | |||
エレオノラ・デュウゼ | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
ロシアの都へ行く旅人は、国境を通る時に旅行券と行李とを厳密に調べられる。 | |||
ベエトォフェンの面 | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
人生が苦患の谷であることを私もまたしみじみと感じる。 | |||
「ゼエレン・キェルケゴオル」序 | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
キェルケゴオルのドイツ訳全集は一九〇九年から一九一四年へかけて出版せられた。 | |||
月夜の東大寺南大門 | 和辻哲郎 | 10分以内 | |
夕方から空が晴れ上つて、夜は月が明るかつた。 | |||
初めて西田幾多郎の名を聞いたころ | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
わたくしが初めて西田幾多郎という名を聞いたのは、明治四十二年の九月ごろのことであった。 | |||
鎖国 | 和辻哲郎 | 1時間〜 | |
この書は近世初頭における世界の情勢のなかで日本の状況・境位を考察したものである。 | |||
寺田寅彦 | 和辻哲郎 | 5分以内 | |
(昭和十一年)寺田さんは有名な物理学者であるが、その研究の特徴は、日常身辺にありふれた事柄、具体的現実として我々の周囲に手近に見られるような事実の中に、本当に研究すべき問題を見出した点にあるという。 | |||
蝸牛の角 | 和辻哲郎 | 30分以内 | |
芸術の検閲(大正十一年十一月)ロダンの「接吻」が公開を禁止されたとき、大分いろいろな議論が起こった。 | |||
地異印象記 | 和辻哲郎 | 60分以内 | |
(大正十二年九月)大正十二年ごろ関東地方に大地震がある、ということをある権威ある地震学者が予言したと仮定する。 |
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