高村光雲の全作品
青空文庫で公開されている高村光雲の全作品を、おすすめ人気順で表示しています。
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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佐竹の原へ大仏をこしらえたはなし | 高村光雲 | 30分以内 | |
私の友達に高橋定次郎氏という人がありました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
まず、いろいろの話をする前に、前提として私の父祖のこと、つまり、私の家のことを概略話します。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
これから私のことになる――私は、現今の下谷の北清島町に生まれました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
町内に安床という床屋がありました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
さて、いよいよ話が決まりましたその夜、父は私に向い、今日までは親の側にいて我儘は出来ても、明日からは他人の中に出ては、そんな事は出来ぬ。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
床屋の話が出たついで故、ちょっと話しましょう。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
そこで、これから師東雲先生の生い立ちを話します。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
早速彫らされることになる――この話はしにくい。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
木寄せのことを、ざっと話して置きましょう。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
話が少し元へ返って、私の十二の時が文久三年、十三が確か元治元年の甲子年であった。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
師匠東雲師の家が諏訪町へ引っ越して、三、四年も経つ中に、珍しかった硝子戸のようなものも、一般ではないが流行って来る。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
明治八年は私が二十三で年季が明けて、その明年私の二十四の時、その頃神仏混淆であった従来からの習慣が区別されることになった。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
これから火事の話をします。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
江戸のいわゆる、八百八街には、火消しが、いろは四十八組ありました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
私の十四歳の暮、すなわち慶応元年丑年の十二月十四日の夜の四ツ時(午後十時)浅草三軒町から出火して浅草一円を烏有に帰してしまいました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
雷門に接近した並木には、門に向って左側に「山屋」という有名な酒屋があった(麦酒、保命酒のような諸国の銘酒なども売っていた)。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
少し変った思い出ばなしをします。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
私は十四の子供で、さして役には立たぬ。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
帰ったのは九ツ過ぎ(十二時過ぎ)でした。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
明治八、九年頃は私も既に師匠の手を離れて仏師として一人前とはなっておりましたが、さて、一人前とは申しながら、まだ立派に世に立つに到ったとはいえない。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
今の猫と鼠の話のあった前後の頃おい(確か十五の年)は徳川氏の世の末で、時勢の変動激しく、何かと騒擾が引き続く。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
慶応四年辰年の五月十五日――私の十七の時、上野の戦争がありました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
上野の戦争が終んで後私が十八、九のことであったか。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
さて、今日から考えて見ても、当時私の身に取って、いろいろな意味において幸福であったと思うことは、師匠東雲師が、まことに良い華客場を持っていられたということであります。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
とかくする中、ここに降って湧いたような事件が起りました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
私の年季が明けると同時に、師匠東雲師はまず私の配偶者のことについて心配をしておられました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
私は結婚後暫く親の家へ帰っていた。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
堀田原から従前通り私は相更らず師匠の家へ通っている。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
かれこれしている中に私は病気になった。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
されば追っかけて、また一つ外国人からの注文がありました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
それからまたこういう特別な注文のほかに、他の仕事もぽつぽつあります。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
さて、差し当っての責任として、私が主として師匠東雲師の葬送のことを取り計らわねばならぬ次第となったのであります。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
さて、これから後の始末をつける段となるのでありますが、急に師匠に逝かれては、どうして好いか方角も付きません。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
この時代のことで、おもしろい話がある。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
蠑螺堂は壊し屋が買いましたが、百観音は下金屋が買いました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
さて、五体の観音は師匠の所有に帰し「まあ、よかった」と師匠とともに私は一安心しました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
ちょうど、その時分、虎の門際の辰(たつ)ノ口に工部省で建てた工部学校というものが出来ました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
とかくしている中、また一つ私の生活に変化が来ました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
その時分の私の住居は、下谷西町三番地(旧立花家の屋敷跡の一部)にありました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
「いやしくも仏師たるものが、自作を持って道具屋の店に売りに行く位なら、焼き芋でも焼いていろ、団子でもこねていろ」これは高橋鳳雲が時々私の師匠東雲にいって聞かせた言葉だそうであります。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
それから、また暫くの後、或る日私が仕事場で仕事をしていると、一人の百姓のような風体をした老人が格子戸を開けて訪ねて来ました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
暫く話を途切らしたんで、少し調子がおかしい……何処まで話したっけ……さよう……この前の話の処でまず一段落附いたことになっていた。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
こういうことが続いていたが、或る年、大分大仕掛けに、父は熊手を拵え出しました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
それから、もう一つ、歳の市をやったことがあります。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
ついでながら師匠東雲師の家の跡のことをいって置きましょう。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
さて、今日までの話は、私の蔭(かげ)の仕事ばかりで何らこの社会とは交渉のないものであったが、これからはようやく私の生活が世間的に芽を出し掛けたことになります。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
さて、話は自然私がどうして石川光明氏と交を結ぶことになったかということに落ちて来ます。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
この頃になって一時に種々の事が一緒に起って来るので、どの話をしてよろしいか自分ながら選択に苦しみますが、先に日本美術協会の話をしたから、引き続き、ついでに東京彫工会のことについて話します。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
そこで、この会名の相談になったのでありますが、牙彫家の集団の会であるから、牙彫の「牙」という文字を入れるか、入れないかという間題になった。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
当日は会の発表祝賀会を兼ねて製作展覧を催したのでありました。 |
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