作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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青空文庫で公開されている高村光雲の全作品を、おすすめ人気順で表示しています。
作品名 | 著者 | 読了時間 | 人気 |
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幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
ちょうどこの彫工会発会当時前後は私は西町にいました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
話がずっと後戻りしますが、今日は少し別のはなしをしようかと思いますが、どうですか。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
御徒町に転宅しまして病気も概かた癒りました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
さて、鏡縁御欄間の仕事が終りますと、今度は以前より、もっと大役を仰せ附かりました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
合田氏のはなしを聞けば、なるほど耳寄りな話である。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
いよいよ狆の製作が出来ました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
狆の製作が終ってから暫くしてふと鶏を彫ることになりました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
以前狆(ちん)のモデルで苦労した経験がありますから、今度はチャボのモデルは好い上にも好いのを選みたいというのが私の最初の考えであった。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
かれこれ批評を聞いたり、姿形を研究したりしている間に、一月余りも経ってしまいましたので、いよいよ取り掛かることにしました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
それから、三月一杯掛かって、四月早々仕上げを終る……その前後にまた一つお話しをして置くことが出て来る……美術協会の展覧会は、毎年四月に開かれることになっている。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
さて、当日になりました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
さて、展覧会もやがて閉会に近づいた頃、旅先から若井兼三郎氏が帰って来た。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
下谷西町で相変らずコツコツと自分の仕事を専念にやっている中に、妙なことで計らず少し突飛な思い附きで余計な仕事を遊び半分にしたことがあります。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
私の友達に高橋定次郎氏という人がありました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
佐竹の原に途方もない大きな大仏が出来て、切舞台で閻魔の踊りがあるという評判で、見物人が来て見ると、果して雲を突くような大仏が立っている。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
これから話の順序が学校へ奉職った時分のことにちょうどなって参ります。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
三月十二日にお雇いを拝命すると、間もなく、岡倉幹事は私に奈良見物をして来てくれということでした。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
美術学校の教授を拝命したのが三月十二日、奈良京都への出張が同月十九日、拝命早々七日ばかりで旅に出まして、旅から帰ると学校の人となり、私の今日までの私生涯がここで一転化することになったのでありますが、それはそれとして、今日はその翌年の明治二十三年の十月十一日に帝室技芸員を拝命した話をしまして、それから楠公の像を製作した話へ移りましょう。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
宮城前なる馬場先門の楠公銅像についてお話しましょう。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
そこで、彫刻製作となるのですが、岡倉校長は、主任は高村光雲に命ずるということであり、それから山田鬼斎先生を担任とすることになった。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
原型の楠公像はすべて檜材を用い、原型全部出来ましたので、明治二十六年三月十六日に学校庭内に組み立て、時の文部大臣並びに学校に関係ある諸氏の一覧に供したのであるが、住友家から学校へ製作を依嘱したのが明治二十三年。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
さて、楠公像は、この原型を同じ美術学校の鋳金科教授岡崎雪声氏が鋳造致して住友家へ引き渡したことでありました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
学校奉職時代の前に少し遡り、話し残したことを補充して置きたいと思います。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
総領娘を亡くしたことはいかにも残念であったが、くよくよしている場合でもなく、一方には学校という勤めがあるので取りまぎれていました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
ここでまた話が八重になりますが、……その頃馬喰町の小町水の本舗の主人に平尾賛平氏という人がありました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
そこでまた話がいろいろ転々しますが、平尾賛平氏が、どうしてこうも私のために厚い同情を注いで下すったかということについては、今までお話をしたばかりでは少し腑に落ちかねましょうが、これにはちょっと因縁のあることで、それをついでに話します。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 5分以内 | |
今日までの話にはまだ門人の事について話が及んでおりませんから、今日はそれを話しましょう。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 10分以内 | |
その当時、私の友達で京橋桶町に萩原吉兵衛という人がありました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
さて、谷中(茶屋町)時代になって俄(にわか)に弟子が殖えました。 | |||
幕末維新懐古談 | 高村光雲 | 30分以内 | |
ここで、少し断わって置かねばならぬことは、こういう門弟たちのことは別段興味のある話しというではなく、また事実としても、いわば私事になって、特に何かの参考となることでもありませんから、深く立ち入り、管々しくなることは避けたいと思います。 |