内田魯庵の全作品

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作品名著者読了時間文字数人気書き出し
為文学者経内田魯庵30分以内5,311

棚から落ちる牡丹餅を待つ者よ、唐様に巧みなる三代目よ、浮木をさがす盲目の亀よ、人参呑んで首縊らんとする白痴漢よ、鰯の頭を信心するお怜悧連よ、雲に登るを願ふ蚯蚓の輩よ、水に影る月を奪はんとする山猿よ、無芸無能食もたれ総身に智恵の廻りかぬる男よ、木に縁て魚を求め草を打て蛇に驚く狼狽者よ、白粉に咽せて成仏せん事を願ふ艶治郎よ、鏡と睨め競をして頤をなでる唐琴屋よ、惣て世間一切の善男子、若し遊んで暮すが御執

棚から落ちる牡丹餅を待つ者よ、唐様に巧みなる三代目よ、浮木をさがす盲目の亀よ、人参呑んで首縊らんとする白痴漢よ、鰯の頭を信心するお怜悧連よ、雲に登るを願ふ蚯蚓の輩よ、水に影る月を奪はんとする山猿よ、無芸無能食もたれ総身に智恵の廻りかぬる男よ、木に縁て魚を求め草を打て蛇に驚く狼狽者よ、白粉に咽せて成仏せん事を願ふ艶治郎よ、鏡と睨め競をして頤をなでる唐琴屋よ、惣て世間一切の善男子、若し遊んで暮すが御執

最後の大杉内田魯庵30分以内11,678

一  大杉とは親友という関係じゃない。

一  大杉とは親友という関係じゃない。

美妙斎美妙内田魯庵60分以内12,028

一 欧化熱の早産児  丁度この欧化主義の最絶頂に達して、一も西洋、二も西洋と、上下有頂天となって西欧文化を高調した時、この潮流に棹さして極端に西洋臭い言文一致の文体を創めたのが忽ち人気を沸騰して、一躍文壇の大立者となったのは山田美妙斎であった。

一 欧化熱の早産児  丁度この欧化主義の最絶頂に達して、一も西洋、二も西洋と、上下有頂天となって西欧文化を高調した時、この潮流に棹さして極端に西洋臭い言文一致の文体を創めたのが忽ち人気を沸騰して、一躍文壇の大立者となったのは山田美妙斎であった。

温情の裕かな夏目さん内田魯庵10分以内2,999

夏目さんとは最近は会う機会がなかった。

夏目さんとは最近は会う機会がなかった。

八犬伝談余内田魯庵60分以内22,056

一 『八犬伝』と私  昔は今ほど忙しくなくて、誰でも多少の閑があったものと見える。

一 『八犬伝』と私  昔は今ほど忙しくなくて、誰でも多少の閑があったものと見える。

露伴の出世咄内田魯庵5分以内1,791

ある時、その頃金港堂の『都の花』の主筆をしていた山田美妙に会うと、開口一番「エライ人が出ましたよ!」と破顔した。

ある時、その頃金港堂の『都の花』の主筆をしていた山田美妙に会うと、開口一番「エライ人が出ましたよ!」と破顔した。

人相見内田魯庵10分以内2,855

占ひ、人相、方角、気にしだしたら際限が無い。

占ひ、人相、方角、気にしだしたら際限が無い。

灰燼十万巻内田魯庵30分以内11,484

十二月十日、珍らしいポカ/\した散歩日和で、暢気に郊外でも※※きたくなる天気だったが、忌でも応でも約束した原稿期日が迫ってるので、朝飯も匆々に机に対った処へ、電報!  丸善から来た。

十二月十日、珍らしいポカ/\した散歩日和で、暢気に郊外でも※※きたくなる天気だったが、忌でも応でも約束した原稿期日が迫ってるので、朝飯も匆々に机に対った処へ、電報!  丸善から来た。

文明国には必ず智識ある高等遊民あり内田魯庵5分以内902

遊民は如何なる国、何れの時代にもある。

遊民は如何なる国、何れの時代にもある。

駆逐されんとする文人内田魯庵30分以内5,397

▲余の住ってる町は以前は組屋敷らしい狭い通りで、多くは小さい月給取の所謂勤人ばかりの軒並であった。

▲余の住ってる町は以前は組屋敷らしい狭い通りで、多くは小さい月給取の所謂勤人ばかりの軒並であった。

二十五年間の文人の社会的地位の進歩内田魯庵30分以内10,091

二十五年という歳月は一世紀の四分の一である。

二十五年という歳月は一世紀の四分の一である。

家庭の読書室内田魯庵30分以内4,884

近ごろは一般に大分本を読むやうになつた。

近ごろは一般に大分本を読むやうになつた。

貧書生内田魯庵30分以内4,018

「やい亀井、何しおる? 何ぢや、懸賞小説ぢや――ふッふッ、」と宛も馬鹿にしたやうに冷笑つたはズングリと肥つた二十四五の鬚※々の書生で、垢染みて膩光りのする綿の喰出した褞袍に纏まつてゴロリと肱枕をしつゝ、板のやうな掛蒲団を袷の上に被つて禿筆を噛みつゝ原稿紙に対ふ日に焼けて銅色をしたる頬の痩れて顴骨の高く現れた神経質らしい仝じ年輩の男を冷やかに見て、「汝も懸賞小説なんぞと吝な所為をするない。三文小説家

「やい亀井、何しおる? 何ぢや、懸賞小説ぢや――ふッふッ、」と宛も馬鹿にしたやうに冷笑つたはズングリと肥つた二十四五の鬚※々の書生で、垢染みて膩光りのする綿の喰出した褞袍に纏まつてゴロリと肱枕をしつゝ、板のやうな掛蒲団を袷の上に被つて禿筆を噛みつゝ原稿紙に対ふ日に焼けて銅色をしたる頬の痩れて顴骨の高く現れた神経質らしい仝じ年輩の男を冷やかに見て、「汝も懸賞小説なんぞと吝な所為をするない。三文小説家

犬物語内田魯庵60分以内16,151

俺かい。

俺かい。

青年実業家内田魯庵5分以内1,959

「全でお咄にならんサ。外債募集だの鉄道国有だのと一つの問題を五年も六年も担ぎ廻る先生の揃つてる経済界だもの。近ごろ君、経済書の売行が好いさうだが、何の事は無い、盗賊を見て縄を綯ふやうなもんだ。戦争以来実業が勃興したといふのが間違つてる。何が勃興してゐるもんか、更に進歩しないと云つても宜しい、畢竟空株の空相場が到る処に行はれたので一時に事業が起つたやうに見えたが、本と/\が空腹に酒を飲んだやうなもの

「全でお咄にならんサ。外債募集だの鉄道国有だのと一つの問題を五年も六年も担ぎ廻る先生の揃つてる経済界だもの。近ごろ君、経済書の売行が好いさうだが、何の事は無い、盗賊を見て縄を綯ふやうなもんだ。戦争以来実業が勃興したといふのが間違つてる。何が勃興してゐるもんか、更に進歩しないと云つても宜しい、畢竟空株の空相場が到る処に行はれたので一時に事業が起つたやうに見えたが、本と/\が空腹に酒を飲んだやうなもの

二葉亭余談内田魯庵60分以内22,189

一 二葉亭との初対面  私が初めて二葉亭と面会したのは明治二十二年の秋の末であった。

一 二葉亭との初対面  私が初めて二葉亭と面会したのは明治二十二年の秋の末であった。

淡島椿岳内田魯庵1時間〜27,167

震火で灰となった記念物の中に史蹟というのは仰山だが、焼けてしまって惜まれる小さな遺跡や建物がある。

震火で灰となった記念物の中に史蹟というのは仰山だが、焼けてしまって惜まれる小さな遺跡や建物がある。

鴎外博士の追憶内田魯庵30分以内9,048

若い蘇峰の『国民之友』が思想壇の檜舞台として今の『中央公論』や『改造』よりも重視された頃、春秋二李の特別附録は当時の大家の顔見世狂言として盛んに評判されたもんだ。

若い蘇峰の『国民之友』が思想壇の檜舞台として今の『中央公論』や『改造』よりも重視された頃、春秋二李の特別附録は当時の大家の顔見世狂言として盛んに評判されたもんだ。

硯友社の勃興と道程内田魯庵1時間〜31,677

一 飯田町の中坂――馬琴と「まどき」と思案外史  震災で破壊された東京の史蹟のその中で最も惜まれる一つは馬琴の硯の水の井戸である。

一 飯田町の中坂――馬琴と「まどき」と思案外史  震災で破壊された東京の史蹟のその中で最も惜まれる一つは馬琴の硯の水の井戸である。

斎藤緑雨内田魯庵30分以内10,845

「僕は、本月本日を以て目出たく死去仕候」という死亡の自家広告を出したのは斎藤緑雨が一生のお別れの皮肉というよりも江戸ッ子作者の最後のシャレの吐きじまいをしたので、化政度戯作文学のラスト・スパークである。

「僕は、本月本日を以て目出たく死去仕候」という死亡の自家広告を出したのは斎藤緑雨が一生のお別れの皮肉というよりも江戸ッ子作者の最後のシャレの吐きじまいをしたので、化政度戯作文学のラスト・スパークである。

三十年前の島田沼南内田魯庵60分以内13,076

一  島田沼南は大政治家として葬られた。

一  島田沼南は大政治家として葬られた。

二葉亭四迷内田魯庵10分以内2,342

二葉亭四迷の全集が完結してその追悼会が故人の友人に由て開かれたについて、全集編纂者の一人としてその遺編を整理した我らは今更に感慨の念に堪えない。

二葉亭四迷の全集が完結してその追悼会が故人の友人に由て開かれたについて、全集編纂者の一人としてその遺編を整理した我らは今更に感慨の念に堪えない。

二葉亭四迷の一生内田魯庵1時間〜52,924

二葉亭の歿後、坪内、西本両氏と謀って故人の語学校時代の友人及び故人と多少の交誼ある文壇諸名家の追憶または感想を乞い、集めて一冊として故人の遺霊に手向けた。

二葉亭の歿後、坪内、西本両氏と謀って故人の語学校時代の友人及び故人と多少の交誼ある文壇諸名家の追憶または感想を乞い、集めて一冊として故人の遺霊に手向けた。

二葉亭追録内田魯庵30分以内8,686

一 二葉亭が存命だったら  二葉亭が存命だったら今頃ドウしているだろう? という問題が或る時二葉亭を知る同士が寄合った席上の話題となった。

一 二葉亭が存命だったら  二葉亭が存命だったら今頃ドウしているだろう? という問題が或る時二葉亭を知る同士が寄合った席上の話題となった。

明治の文学の開拓者内田魯庵30分以内4,467

坪内君の功労は誰でも知ってる。

坪内君の功労は誰でも知ってる。

四十年前内田魯庵30分以内8,483

亜米利加の排日案通過が反動団体のヤッキ運動となって、その傍杖が帝国ホテルのダンス場の剣舞隊闖入となった。

亜米利加の排日案通過が反動団体のヤッキ運動となって、その傍杖が帝国ホテルのダンス場の剣舞隊闖入となった。